マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

丹波市・守目堂のダイジングサン調査散策

2013年11月09日 08時48分29秒 | 楽しみにしておこうっと
中之町伊勢講の神具を見送った私たちはご近所で祭られているダイジングさんの在り方を調査した。

丹波市(たんばいち)町の市座神社から北寄り。

東西を抜く北側は勾田(まがた)町である。

その道筋の向かい側にあった斎壇。



木製の燈籠は大神宮なのか、それとも愛宕さんなのか判らない。

吊るしてあった御神燈提灯には「東等町」の文字がある。

地区の名称であるのか判らない。

斎壇にあったカヤの葉は何を意味するのであろうか。判らないことだらけである。


そこから北へ向かった。

道筋に高く揚げた御神燈の提灯がある。

ここは守目堂(もりめどう)町の中之町。

斎壇を組んでいる太神宮石塔は「文化七年(1810)」の刻印があった。

昭和60年7月16日に新調された白幕には「西之町 伊勢講」とある。

住民の話しによれば夕方にお供えをして「ダイジングサン」のお祭りをするらしい。



ちなみに置いてあった「「おみきどっくり」は中之町伊勢講で拝見した色柄と同じで松竹梅を描いている。

愛知の稲荷大名神の店で買ったものだと云う。

ここら辺りはくねくねと曲がった筋違いの街道。

南北に通る伊勢街道だと話す男性。

この町の構造は藤堂藩が築城した城下町で攻撃を防ぐために造った「カイマガリ」だそうだ。

「カイマガリ」を充てる漢字は「鍵曲」。

鍵の手のように曲がった筋違い路は、見通しを悪くして敵の進入を防いだのである。


これよりさらに北へ向かう。

西之町の住民が云うにはそこより西へ曲がった奥にあるという。

角にあった石塔。

「月参講中」が建てたと思われる「太神宮」は「常夜燈」でもあり、「文化巳丑二季(1805)四月」の年号が見られる。

その場からぐぐっと南下した場に斎壇があった。



その街道も「カイマガリ」の構造になっている。

街道とも思える場には高く揚げた献燈提灯は本町とある。



その街道を西に向かった。

民家の玄関に飾ってあった「蘇民将来子孫家門」の護符。



「家運隆盛」との間には特異な幾何学的デザインで描かれている。

星型のセーマンと格子状のドーマンである。

門戸が閉まっていたのでお話を聞くことができなかった。

そこから西へわずか。川があった。

清廉な川は布留川のせせらぎ。

透き通る川の流れに金魚藻がたくさん生えていた。

ハヤ(ハイ)魚も泳いでいる。

町中でこれほどまでに奇麗な川の流れは見たことがない。



橋の袂からそこを眺めた風景。

宮崎酒造の酒蔵が美しい姿で建ち並ぶ。


本町から南下した。



ここにも高く掲げた献燈提灯がある。

市座神社の真正面にあたる地区は新町である。

白雲山迎乗寺(げいじょうじ)北端にある燈籠は2基。



南側が木製の「愛宕大神」で、北側は石塔の「大神宮」だ。

お供えをして、「愛宕大神守護符」が置いてあった。


短時間の調査に聞き取りはできなかったが、当地ではダイジングサンとアタゴサンが混在しているように思った。

他市町村のアタゴサンは7月23日、24日、或いは橿原市の八木のように8月23日、24日が見られる。

新暦、旧暦のどちらかを選択していると思われる。

(H25. 7.16 EOS40D撮影)