体育の日に宮迎えが行われた橿原市五条野の春日神社。
トヤのヤドでヨバレの宴を終えたあとは再び神社へ参って宮送りが営まれる。
今日は同神社の祭礼のひとつでダイジグサン参り。
上、下の内垣内の氏子13軒はロウソクを点した高張提灯を担いで大神宮に集まってくる。
お餅、お神酒、塩などを供えてトヤは灯明に火を点す。
年長者が前に立って一同は般若心経を唱える。
特別な神事もないダイジグサン参りは稲刈り前の祭礼である秋祭りのあとに行われるもので刈り始めの儀式だとされている。
2ヶ月後の12月7日、屋形を祀っていたヤドでトヤ籤が引かれる。
翌年のトヤを決める籤で、伊勢の代参で拝受したお札を使って引き上げる。
当たったトヤが初めて営むのがダイジグサン。
何度かしたがやはり緊張するもんだと仰ったトヤさん。
戦前は桑畑を栽培してカイコを飼っていた。
所狭しに置かれたカイコの棚。
寝る場所がなくて、少しの棚間が寝床。
ムシャムシャと食べまくるカイコの音で寝られんかった昭和13、4年。
その後の戦中時代は甘藷栽培に転化した。
軍に売って儲けた時代から戦後は稲作。
時代変化による作物の文化変遷話にトヤのじいちゃんは目を輝かせた。
(H20.10.16 Kiss Digtal N撮影)
トヤのヤドでヨバレの宴を終えたあとは再び神社へ参って宮送りが営まれる。
今日は同神社の祭礼のひとつでダイジグサン参り。
上、下の内垣内の氏子13軒はロウソクを点した高張提灯を担いで大神宮に集まってくる。
お餅、お神酒、塩などを供えてトヤは灯明に火を点す。
年長者が前に立って一同は般若心経を唱える。
特別な神事もないダイジグサン参りは稲刈り前の祭礼である秋祭りのあとに行われるもので刈り始めの儀式だとされている。
2ヶ月後の12月7日、屋形を祀っていたヤドでトヤ籤が引かれる。
翌年のトヤを決める籤で、伊勢の代参で拝受したお札を使って引き上げる。
当たったトヤが初めて営むのがダイジグサン。
何度かしたがやはり緊張するもんだと仰ったトヤさん。
戦前は桑畑を栽培してカイコを飼っていた。
所狭しに置かれたカイコの棚。
寝る場所がなくて、少しの棚間が寝床。
ムシャムシャと食べまくるカイコの音で寝られんかった昭和13、4年。
その後の戦中時代は甘藷栽培に転化した。
軍に売って儲けた時代から戦後は稲作。
時代変化による作物の文化変遷話にトヤのじいちゃんは目を輝かせた。
(H20.10.16 Kiss Digtal N撮影)
橿原市古川町の氏神さんは東坊城万田の八幡神社。
今日は宮座講の儀式で、ご神燈提灯と幕が張られた公民館に集まってくる。
「い」、「ろ」、「は」の三組で構成されている宮座は旧村23軒。
元々は「い」だけだったが分家が増えていくにつれ組を増やしていった。
かつての朝、晩と自分の食べる分だけ作ったまかない食事をトヤの家に持ち寄ってごちそうを食べていたが、たいそうになって10年ほど前に食事や供えモチなど手間のかかるものは大幅に簡素化し、トヤ制度も廃止したという。
八幡神社に出発する時間になったとき、世話人は三方に載せた二段重ねモチ、洗米、巻きコンブ、ダイコン、金杯などを抱えて練行する。
到着すると神饌を神殿に供えて神主さんの祓えの儀、祝詞奏上、神社総代役員の玉串奉奠など神事が執り行われる。
その間、座衆は拝殿で座ったまま参拝する。
神事を終えると神饌のお下がりをいただく。
人数分にコンブを切断して洗米とともに紙皿の上に配られる。
金杯にお神酒を注ぎぐいとひと飲み。
洗米とコンブをアテに歓談の場と化す。
元々は10月13日であった宮座講のころは稲刈りの時期だった。
晩稲から早稲に替わっていくにつれ祭礼の日を変えていった。
若手はサラリーマン、年寄りが多くなって平日は集まりにくくなって9月末の日曜日に入り込んだ。
今年はやたらとイナゴが多いが、豊作に感謝する日は神社にお参りするんだとおっしゃる男性は日焼けした顔が逞しい。
(H20. 9.28 Kiss Digtal N撮影)
今日は宮座講の儀式で、ご神燈提灯と幕が張られた公民館に集まってくる。
「い」、「ろ」、「は」の三組で構成されている宮座は旧村23軒。
元々は「い」だけだったが分家が増えていくにつれ組を増やしていった。
かつての朝、晩と自分の食べる分だけ作ったまかない食事をトヤの家に持ち寄ってごちそうを食べていたが、たいそうになって10年ほど前に食事や供えモチなど手間のかかるものは大幅に簡素化し、トヤ制度も廃止したという。
八幡神社に出発する時間になったとき、世話人は三方に載せた二段重ねモチ、洗米、巻きコンブ、ダイコン、金杯などを抱えて練行する。
到着すると神饌を神殿に供えて神主さんの祓えの儀、祝詞奏上、神社総代役員の玉串奉奠など神事が執り行われる。
その間、座衆は拝殿で座ったまま参拝する。
神事を終えると神饌のお下がりをいただく。
人数分にコンブを切断して洗米とともに紙皿の上に配られる。
金杯にお神酒を注ぎぐいとひと飲み。
洗米とコンブをアテに歓談の場と化す。
元々は10月13日であった宮座講のころは稲刈りの時期だった。
晩稲から早稲に替わっていくにつれ祭礼の日を変えていった。
若手はサラリーマン、年寄りが多くなって平日は集まりにくくなって9月末の日曜日に入り込んだ。
今年はやたらとイナゴが多いが、豊作に感謝する日は神社にお参りするんだとおっしゃる男性は日焼けした顔が逞しい。
(H20. 9.28 Kiss Digtal N撮影)