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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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畝火山口神社祈年祭

2008年04月04日 07時52分41秒 | 橿原市へ
橿原市大谷町の畝火山口神社では、毎年28日に稲田の豊作を祈願する祈年祭が営まれる。

昼過ぎ、社務所に集まった氏子四人は祈年祭のあとに行われるお田植え祭の松苗を束ねていく。

奉書で包んだ苗、閏年の今年は13本用意し、拝殿に種蒔きの籾種とともに供えられる。

氏子らが拝殿に揃うと神事が始まる。

祓えの儀、祝詞奏上など厳かに執り行われる。

(H20. 2.28 Kiss Digtal N撮影)


天高市神社御田植祭

2008年03月27日 07時50分08秒 | 橿原市へ
橿原市曽我町には二社の神社が鎮座する。

近鉄真菅駅南に宗我坐宗我都比古神社、ここから南東約1km余りの地に天高市(あめのたかち)神社。

神殿、拝殿、祓戸社に鳥居の位置や向きまでそっくりに建てられている兄弟社のような造り。

両神社を一度に拝見すると、また戻ったのかと時空間を跨いでいるような感覚に陥る。

宗我坐宗我都比古神社での祈年祭を終えた曽我町自治会役員は、天高市神社に着くやいなや祈年祭が始まる。

祓戸社の前に並び、祓えの儀が行われたあと拝殿に登る。

修祓、祝詞奏上が行われると御田植祭が始まる。

神殿と拝殿の間の境内には四方に竹を立て、1㎡ぐらい、石枠で囲った小さな場は田んぼに見立てられたもの。

宮司は供えられた松苗を手に持ち、ひと束ずつ植えていく。

拝殿からガラス越しに見ておられる役員ら。

厳かに御田植え所作された20本の松苗は五穀豊穣を祈るもの。

実際の田植えが終わる6月には、無事に田植えが終わったと神さんに奉告する「さなぶり祭」が行われる。

ちなみに、石枠囲いの田は宗我坐宗我都比古神社でも同じ位置にある。

おそらく同神社でも御田植え所作が行われていたものと考えられる。

(H20. 2.17 Kiss Digtal N撮影)

宗我坐宗我都比古神社祈年祭

2008年03月26日 08時32分15秒 | 橿原市へ
橿原市曽我町には二座の神社が鎮座する。

近鉄真菅駅南に宗我坐宗我都比古神社があり、ここから南東約1km余りの地に天高市神社がある。

両神社の氏子は地域毎でなく隣組に別れている。

今日は両神社で御田植祭が行われることから曽我町25町の自治会役員が集まってくる。

役員らは両神社の氏子代表者。

二社とも崇める神社であることから、祭礼は時間帯をずらして執り行われる。

御田植祈年祭は本来、17日。

役員らが集まりやすい第三日曜に移行しているが、今日は珍しく同一日になった。

役員らが揃うと祈年祭が始まる。

祓戸社の前に並び、祓えの儀が行われたあと拝殿に登る。

拝殿の両脇には縄で編んだ四角い鉢に松の早苗が既に植えられている。

天気の良い日に植えておくとおっしゃる宮司。

五穀豊穣を祈り松苗の早苗を植えると御田祭祝詞が奏上される。

ひとりずつ玉串奉奠の祭礼を終えると、一目散に天高市神社へ急ぐ役員は忙しい。

(H20. 2.17 Kiss Digtal N撮影)

五条野ガイド

2008年03月23日 07時40分12秒 | 橿原市へ
祭事取材は事前に下調べが大切。

三日前にやってきた見瀬町八幡神社。

参道向こうには綱掛けの真っ最中。間に合った。

氏子さんに撮影了解をお願いして撮影しているとukiukiさんが聞き取りされていた。

おぅ、久しぶりだねと挨拶して合流した。

綱掛けを終えてから、昨日に庚申さんの取材させていただいた五条野へ案内した。

五条野の綱掛けは6年ほど前に廃れているが当時の場所を聞いていたので現地確認。

幻となった山を想像してここらへんよねとシャッターを切る。

庚申さんの場所やヤドのお家なども連れて廻った。

ukiukiさんは、綱掛けを尋ねて五条野に来たことがあるという。

そのときに聞いた人の話ではやってないという一言だけだったので確認ができなかったそうだ。

ところで、ここには植山古墳があるのだけど知ってると聞けば、連れてってーと願われ春日神社裏へ登っていった。

眼前に現れたブルーシートは古墳を覆い尽くしている。

古墳公園化がすすめられており向こう側は整地されている。

(H20. 2.11 SB912SH撮影)