幾度となく訪れる宇陀市平尾に鎮座する水分神社オンダ祭。
この年は極度に冷え込む。
雪が舞うことも度々あった。
僅かだが残雪が境内に見られた。
三社大明神の御前で神事が行われる。
石階段には桶に入れられたオヒネリがある。
これは後ほどに伝統行事が奉納される種まきに使われる生米が入っているのだ。
「まこよまこよ 福の種をまこよ」と台詞とともに神さんに向かって撒かれる。
閃光が走ったその瞬間に浮かぶ福の種。

三社大明神を讃えて目出たい言葉を連ねる祝い詞の「鍬初め」を高らかに詠みあげる大当。
初めての体験であったが見事な演技をこなす。
長老たちがいうには「歌舞伎役者みたいでもうちょっとなぁ」と・・・。
一般客からしてみればそれはそれは堂々たる演技であって、むしろ古来の風情を感じた。
大当とともに一年交代の神主となった小当の二人。
設えた舞台で田植えの所作を演じる。
台詞は繰り返しなのでわりあいと頭に入りやすいと話す大当。
大当、小当は宇陀川を境に西と東で毎年入れ替わる。
その方法は隣村の野依と同じである。
同じように衣装を着た子供たちは5人。
初乙女(ショトメ)と呼ばれる早乙女を演じる役目だ。
とは言ってもほとんど所作はなく黙々と座っている。
その表情はまるで神の子のようである。
それは参籠所から舞台で登場するときにわかる。
戻っていくときもそうだが一人ずつ長老に背負われた初乙女。
足が地面についてはならないのだ。
神の子たちが動作するのは「若い初乙女を しともみ もんだれば」と謡う苗取りなどで舞台を周回するときだけだ。
大当と小当とともに並んで一周したのちはくるりと翻し逆向きに一周する。

昨年にデビューした4歳児の女の子も同じように周回する。
デビューしたときは幼子だった。
それから一年経ってみれば堂々と出演しているというIさんの目がゆるむ。
5人の初乙女の上は中学生辺りまで。
男の子だけで神事を継承してきたがそういうわけにはいかなくなったと話す。

子供がいっとき少なくなった時代があったそうだ。
「大人の男性も加わったがどうもいかん。やはり子供でないと恰好がつかん」と語った。
(H23. 1.18 EOS40D撮影)
この年は極度に冷え込む。
雪が舞うことも度々あった。
僅かだが残雪が境内に見られた。
三社大明神の御前で神事が行われる。
石階段には桶に入れられたオヒネリがある。
これは後ほどに伝統行事が奉納される種まきに使われる生米が入っているのだ。
「まこよまこよ 福の種をまこよ」と台詞とともに神さんに向かって撒かれる。
閃光が走ったその瞬間に浮かぶ福の種。

三社大明神を讃えて目出たい言葉を連ねる祝い詞の「鍬初め」を高らかに詠みあげる大当。
初めての体験であったが見事な演技をこなす。
長老たちがいうには「歌舞伎役者みたいでもうちょっとなぁ」と・・・。
一般客からしてみればそれはそれは堂々たる演技であって、むしろ古来の風情を感じた。
大当とともに一年交代の神主となった小当の二人。
設えた舞台で田植えの所作を演じる。
台詞は繰り返しなのでわりあいと頭に入りやすいと話す大当。
大当、小当は宇陀川を境に西と東で毎年入れ替わる。
その方法は隣村の野依と同じである。
同じように衣装を着た子供たちは5人。
初乙女(ショトメ)と呼ばれる早乙女を演じる役目だ。
とは言ってもほとんど所作はなく黙々と座っている。
その表情はまるで神の子のようである。
それは参籠所から舞台で登場するときにわかる。
戻っていくときもそうだが一人ずつ長老に背負われた初乙女。
足が地面についてはならないのだ。
神の子たちが動作するのは「若い初乙女を しともみ もんだれば」と謡う苗取りなどで舞台を周回するときだけだ。
大当と小当とともに並んで一周したのちはくるりと翻し逆向きに一周する。

昨年にデビューした4歳児の女の子も同じように周回する。
デビューしたときは幼子だった。
それから一年経ってみれば堂々と出演しているというIさんの目がゆるむ。
5人の初乙女の上は中学生辺りまで。
男の子だけで神事を継承してきたがそういうわけにはいかなくなったと話す。

子供がいっとき少なくなった時代があったそうだ。
「大人の男性も加わったがどうもいかん。やはり子供でないと恰好がつかん」と語った。
(H23. 1.18 EOS40D撮影)