ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「原理的」 20200528

2020-05-28 | Weblog

 

 


「卵を割らずにオムレツを作ることはできない」(フランスの諺)

「意識装置に何が加えられても(第一増量)、
その第一増量の活動が意識化されるためには、
それ以上の量(第二増量)が加えられる必要がある。
そして第二増量が意識に報告されるにはさらに増量が必要なのである」(G・Bateson)


世界から「A」というクラスを抽出すると、
クラスの外には自動的に「非A」というクラスが配置される。

よい/わるい、きれい/きたない、ほんとう/うそ、すき/きらい。
ある価値の措定はかならず「価値/反価値」を分けるラインを世界に走らせる。

漫画の吹き出しのように「味方」のクラスを囲むと、
囲み線の外には「味方以外」「敵」が配置され、
「味方/敵」をわける〝戦線〟が自動的に世界に引かれることになる。

こうした〝世界分節〟の原理的展開は、
第一には認識のエコノミーにおける効用をもち、
再検討を加えるという手間と時間を大幅に節約してくれる。

物事あるいは事態の単純分類法、定型的なパターン処理の原理として、
われわれの「世界認識の経済」の大半に活用されている。

しかし、人間の世界経験の多様性、多層性、未規定性に目をやると、
こうした原理的展開からこぼれていくもの、あるいは、
世界に走るライン同士の混線といった事態が無数に存在する。

単純な価値的「肯定-否定」といった分節にしたがわない世界経験、
たとえば〝愛〟という感受において、
それはしばしば「敵-味方」という分類線に〝斜線を引く〟ように展開する。

     *

「原理」は文脈に依存し、あるいは文脈を指定し、文脈ごとの「原理」が生きられる。
すべてを包括する全知全能的原理は存在しない、という「原理」。

 

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