ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「ライン」 20200920

2020-09-20 | Weblog

                                   https://www.youtube.com/watch?v=bbLDxEBlaEY

 

グッド、バッド、キレイ、キタナイ、ホント、ウソ

つねに世界にはラインが走っている
ラインを走らせるのはぼくであり、きみ以外にいない

あれかこれか、あれこれ審議するまえに
意味と価値に色づいた世界が描かれ生きられていく

それぞれの理由、それぞれの意味と価値、それぞれの世界
そのつど心深く沈められた確信のカタチにおいて

生きることの地平、ラインは意識するより早く
意識に世界を用意し、新たな企投の地平が開かれる

近づくこと遠ざかること
求めること求めないこと
選ぶこと選ばないこと
つながることつながらないこと

あらゆる作動に先んじて
ひとりひとり、あらゆる作動の前提をつくるように
ラインは走り世界の姿を描き出す

知ること考えることより早く
知ること考えることを導くように

ラインが世界を告げる
ナイス、アブナイ、オーケー、ダメ、ゴー、ストップ

区切られるインサイドとアウトサイド
重なりあうように生成する期待と不安

生きることの条件が与えられる
区切ることと生きること、それが
同じことであるかのように
     
選び、選ばれつづける生きるかたち
固有の世界記述、固有の着生、固有の適応

ひとりひとりの生の代え難さ、動かし難さ、絶対性において
それぞれには生まれ、生きられる理由と根拠がある

「運命、宿命、生の条件」、そんな語り方もなされる
でもさ、そんなことは百も承知さ、そう言ってみる
 
与えられた条件は最後の〝結審〟を意味しない
それは、ただのはじまりにすぎない

それぞれに生きられるラインとライン
出会われる地点、現象するアタッチとデタッチ

ここにいる、そこにはいない、互いが生きるラインがある
けれど、視線はまじわり、なにかが起こる

ラインは世界を教え、世界へナビゲートする
あらかじめ決められた唯一の世界であるかのように

だからこそ、明らかにしなければならないことがある
忘れなでいよう

「それは単なるはじまりにすぎない」

ラインを引くのはぼくであり、きみ自身である
ラインはなんども引き直すことができる

ぶつかるに値するかどうか、逃げなくていい
逃げなければそれがはっきりする

「ラインを引き直すスペースを空けておけ」

生の可動域、生の享受可能性は拡張することができる
決めつけることの潔さに溺れないほうがいい

決めつけられるまえに決めつける
それは決めつけられることと同じことだ

ラインの主語をまちがえてはいけない

ラインに従って「運命」を受け入れる
そんなバカな!といえる位相がある

ぼくたちはラインを示され、教えられ、学び
ただ追認するために生まれてくるわけではない

ラインは引き直すことができる
ラインは動く、動かすことができる

真実絶対、唯一、不動のラインはどこにも存在しない
そう信じて固まってしまったニンゲンがいるだけだ

これが世界のほんとうの姿!

そう断言するニンゲンは例外なく「加齢臭がする」
これは年齢を問わない、子どものなかにもいる

根本原理は、ただ一つだ
世界の生成をになう「ぼく」と「きみ」がいるだけだ

ニンゲンの数だけラインは走っている
ニンゲンの数だけ世界の現われがある

ラインの本質を見極めれば出会えるものがある
ラインは変化する、はじまりの条件は世界を確定しない

これが世界!と決めつける愚か者がいるだけだ

激しく動いても、動かなくても、じっとしていても
新たな世界を描くようにラインはつねに駆けていく

未知の、未踏の、新しい世界、関係しあう世界
はじめて出会う世界、きみ自身がそこに待機している

 

 

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