ときに乱用したくなる言葉に出会うことがある
たとえばこんな言葉がある
「暦の上だけの人間のおとな」(ハリー・スタック・サリヴァン)
たしかにそんなことがあるなと思うがすぐに内省はやってくる
この言葉の乱用に走るのはこどものふるまいだろう
面白がって溜飲を下げるだけのために使う
ガキのふるまいと呼んだほうがいいかもな
おとなならこんな問いに誘われるかもしれない
そもそもおとなとはなんだ、こどもってなんだ
両者をわける絶対的な区分線とは一体どこにあるのさ?
「暦の上だけの人間のこども」
逆に、たしかにそんなことがあるにちがいない
こどもをあんまりなめてはいけない、悪い悪い
めんどくさくてもそんなことをきちんと考える
考え抜くことがおとなかもな、とおとなはめんどくさく考える
けれどそれだけのこと、たったそれだけのちがいかもしれない
決めつけ、頭ごなし、恫喝、説教、したり顔、マウンティング
すべて却下して生きるおとなが好きだったこども時代
問いの連鎖を絶やさず生きるしかない、そうなのかもしれない
だったらおとなもこどもも同じじゃねえか、偉そうにすんな、とも思う
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます