──竹田青嗣『欲望論』第一巻、636・662・663
最後に、これが最も重要だが、生の体験において生成する「事物」秩序の、
「数学化」された体系への書き換えによって、およそ意味や価値の源泉である
生の主体と事物との根源的な本質関係としての「欲望相関性」が
われわれの目から完全に覆われてしまうということである。
心身問題を統合的一元論の視点で考察し記述すれば、
それが描き出す系列の中に必ずある絶対的な「空白」「飛び越え」
すなわち「自由」の領域が現われる。
この「空白」「間隙」は、事物の因果的連鎖から一旦逸脱し、
再び新しい因果系列を生み出すという意味で、
比喩的に「自由」と呼ぶべきものである。
この「自由」という磁場、すなわち生き物における「感覚」「意識」
「エロス的力動」「欲望」「企投」の原理というべきものは、
本質的に、事物の因果系列の連鎖から消去されるもの、
むしろ連鎖を生み出す「力」であるもの、それゆえ事物の因果の連鎖としては
決して記述されえないものとしてのみ現われる──。
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