https://www.youtube.com/watch?v=efvJ6dvYjnA
生きられる地平、位相──相互にとって「非知」であることの基底的原理を消し去ることはできない。しかし、その姿、表情、ふるまい、表現としてのコトバを捉えることはできる。その意味、意図、意志、感情について、理解の触手を走らせることはできる。
同じ地平、同じ生きられる位相を生きていると信じられるかぎり、さまざまに描かれる上昇と下降のそれぞれの航跡、交わりの諸相は、「この世界」という共通の座標上にマップされる。
出現、遭遇、接近、離隔、親和、異和、わかれ、並走、クラッシュ、墜落、消失、回帰、その無限的パターン。目撃され、体験される無数の航跡について、そのつど湧き上がる意味と価値をめぐる内なる告知、情動生起。
「Yes-No」──「きれい-きたない」「ほんとう-うそ」「よい-わるい」
相互の「非知」性が消えたかのように、座標の自明性を前提として意識下深く沈め、〈世界〉は生きられていく。すべては「非知」の乗りこえの実践的試行、展開、その歴史的連続性。
この展開につけ加えておきたいものがある──すなわち、そのすべての「生成性」についての集合的な共通了解の形成。すなわち、マップ上に現象するさまざまな蹉跌、矛盾、クラッシュの地点において、そのつどに相互の「非知」と試行的乗りこえの原理性を示し、そのことの確証を導く「召喚ポイント」を心のうちに確保し配置すること。