ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「狂風のシグナル」 20190904

2019-09-04 | Weblog

       https://www.youtube.com/watch?v=SCLIyoCwXf4

 

回帰すべき場所はどこか

めがけるべき未来はどこか

話は、じつは単純さ

そんなものはどこにもありえないのさ

なにもないということがすべての背景だ

なにもないガランドウというわけさ

なにもないという、このほがらかな真実が

俺たちのほんとうのふるさというわけさ

いったいどういうことかわかるか

この上ない風通しのよさにおいて

鼻歌がよく響くということさ

この清らかな真実において

なつかしさの原郷が広がっている

無-意味、無-価値、偶然の戯れ

おお、木の葉のように風に吹き飛ばされる存在の心もとなさよ

それはただ、意味を求める弱虫の人間たちが分泌する感情だけに由来している

「本当か!」

然り。本源において拝跪すべきどんな存在も絵空事である

みずからを捧げるべきどんな対象も理由も意味をもたない

その了解の果てに

ガランドウには気もちのいい風が吹き抜ける

愛する理由はいらない 憎む理由もいらない

いつも、すでに、あらゆる場所で、それは、ただ訪れる

「本当にそうか!」

然り。それが俺たちの生の核心だ

訪れの疑えなさにおいて 訪れの未規定性において

一切がはじまり一切がおわってゆく

いつも、すでに俺たちはガランドウのなかを歩いている

回帰を拒むことにおいて 未来を語らないことにおいて

ふるさとは清らかに保ちつづられていく

「この酷薄さに堪えられるか!」

然り。ブタだけが愛を語り、倫理を語り、善を語る

カバだけが正義について、未来について僭称する

愛も倫理も善も正義も未来もただ生きられるだけで

語ることで生まれたことも生まれてくることもない

ただ生きられることの延長において

未規定の現在が一つの必然に転位していく

「拝跪する感情もそうではないか!」

然らず。されど倒錯された必然

ヘンタイとしての人間の歴史があり

そのエサは至るところに撒き散らされている

だれかが、みんなが、そうするという理由だけで

だれかが、みんなが、そうしないという理由だけで

一人の人間はみずからの生存を瓦解させることができる

その恐怖に堪えきれず

人間は目をつむり おのれならざる「なにか」に向かって跳躍する

エサは撒かれる

ブタはすり寄る

ブタは喰らう

ブタは丸々と肥る

おもうツボで、仕上げは人間のとんかつだ

「それを喰らうのはだれだ!」

共食いさ。

エサはどんな形にでも変幻する

Aに代入されるB、Bに代入されるC

無限に変幻するとんかつゲームにおいて

その中心はいつも空虚である

いつみても、どこをみても、差し押さえを喰らったイノチたち

共食いの空虚なゲームが展開していく

このありえなさにおいて人間のふるさとには苦い陰影が加えられる

ブタのエサは至るところに溢れている

振りかえればいつもだれかが据膳して待っていることだろう

平和とはいえないな

ツラの皮を厚くしながら

文化が序列を配して卑俗を見下している

そういう定式が出来上がっているということさ

ブタ主義、カバ主義がまかり通る土地柄だ

自然は受けつけないシロモノということさ

どん詰りには逆上だけが待っていることだろう、崩壊は必然だろうよ

正義と正気を語る者たちが

全体において狂った算段で裁きを繰り返す

その基本は不信ということだろう

裸体のむせびがすり替えられたということさ

微笑めばなにかが返ってくると

どうもそういう仕掛けになっているらしい

わかっていただきたい紳士たち

かなえていただきたい淑女たち

そして、わたしにおまかせなさいのトンマたち

この凸と凹のコンビネーションがいつも同じ風景を構成している

絶えずなにかを拝んでイノチをすり減らす者と

絶えずエサを撒いてイノチをかすめとる者と

時に応じて攻守入れ替わりながら死の種を配分しあっていく

そうした常套に制御された土地の光景が

ガランドウには鮮やかに映し出されている

愛の裏側。平和の裏側。正義の裏側。戦争の裏側。

閉ざされた視覚に支配された

みせかけの安寧とみせかけの争いの外に

ぐつぐつと燃え盛る紅蓮の炎が見える

「だれがそれを見ているんだ!」

貴様が見ろ。

ガランドウの先に大地を焦がし、空を染め上げ いつも冷たい灼熱が舞っている

訪れるものはいつも

迅速に俺たちの存在を染め上げていく

まなざしが交叉すると電撃が走り

なにかが壊れ なにかが点火する

押し寄せる情動の高波に耐え切れずに

こころは結界を破られる

「おお」

愛なのか憎悪なのか

正体を確かめるまえに俺たちにはいつも届いていた

エネルギーの凝集において

愛も憎悪も一つの感化にほかならなかった

求めることにおいて求めないことにおいて

高鳴る心臓の拍動はいつも同じ強度を刻んでいく

俺たちをいま照らすものが希望なのか絶望なのか

こころは問うより早く新たな結界を生き始めていく

俺たちは希望を決断して希望することはできない

俺たちは絶望を企画して絶望することはできない

俺たちの心臓に近接した場所に俺たちの生の前線があり

絶対の速度においてそれは俺たちの現在を照らし出していく

善人であることも悪人であることも知ることも知らないことも

俺たちは俺たちの前線を決して追い越すことはできず

俺たちはそれを追いかけることだけができるだけた

俺という存在は俺という生の前線から俺において事後的に抽出されるだけだ

俺の思惑をこえて俺自身を生き抜いているものがいる 

聞こえるものは頌歌なのか悲歌なのか

未来へ向かうのか過去へ向かうのか 

欲望としてか献身としてか

俺たちはほんとうはなにも答える必要がなかった

俺たちはいつも生の前線から俺たち自身を告げられ

すべての時制が織り上げる未決の現在へ誘われていく

俺たちは世界への着生を告げられ

生存の可能性と危機が同時に開かれる

いまを灼熱の光で焦がしつづけている

永遠に未踏の清らかなふるさとがある

俺たちにとっていつもそこが新たな結界への入り口を告げる

ただ、そのことをただ知ること 事実を事実として受けいれることにおいて

なつかしいふるさとの地平が開かれる――

ただここにおいてだけ、ほんとうのふるさとがある

ほんとうの意志、うそっぱちの意志を分光する

なつかしさの原郷からだけ 俺たちのほんとうの言葉が立ち上がってゆく

ひとりひとりのふるさとであり 俺たちのふるさとであり

ここを離れてほんとうの言葉に出会うことはない

 

 

 

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