https://www.youtube.com/watch?v=SCLIyoCwXf4
「個」を起源としてそこに生成するものとしての「客観」──「主観の一様態としての客観」(ニーチェ)の本質。
第一に、共同構築物としての「客観」──集合的な合意項という人為性。絶対的外部、絶対的真実、語りえないものとしての「客観」ではなく、 生成としての「客観」。すなわち個と個を結び合わせるパターンとしての関係子。
共通の了解事項=客観の生成性についての認識の決定的な重要性。 生成性──それゆえに新たな生成、刷新可能性、変容可能性を本質とするものであること。生成と同時に、消滅の可能性をつねに孕むものであること。
第二に、「客観」の超越項化、絶対項化、最終項化に対する防圧。 個(実存)の自由な企投可能性の抑圧、制圧による〝絶対支配〟の根拠としての「客観」の用法を棄却すること。
すなわち「客観」からの規定としての「主観」ではなく、逆に、「客観」はつねに「主観」同士の自由な関係企投の可能性を支援するものであること。 そのことにおいて生成の本質、始原性をもつものであること。たえざる関係企投という人間の核心的な生の意志に支えられ、支え返し、さらにそれ自身が鍛え上げられていく可能性をもつものであること。
「客観」の生成──それは「共存可能性」を探索する主観同士の意志に由来し、そのたえざる刷新可能性を保持することで、 いわば〝よりよき関係世界〟の構成という「個」と「個」の集合的で始原的な欲望にささえられているということの本質。 個それぞれの生にとって「よきもの」「心地よいもの」の多義性、そしてその追求の多様性、多数性を生かしうるものとしてあるために、たえざる更新可能性を保持することを絶対条件としてもつものであるということ。