一応、土台を確認しておくが、サーンキヤ哲学が「真実」という読み方をしたら間違えてしまう。
インド哲学の統一された視点でもない。
サーンキヤ学派は、より古い「ヴェーダ聖典」の権威を認めつつ、それにはしばしば重大な欠陥があるので本当に解脱を目指す人のよりどころにはならない、という立場をとる。
僕たちが高校の社会科で習ったときにちらっと出てきたインド哲学は「ヴェーダーンタ学派」のものであって、「ブラフマン」や「アートマン」などの単語を聞けばなんとなく思い出す人もあるだろう。
サーンキヤ学派はヴェーダーンタ学派とも軌を別にする。
かといって非主流派という呼び方はできない。
これら学派によって、輪廻の主体はなんなのか、世界の流出はどこから起こるのか、などの理論に重大な違いがある。
どれが正しいなどと考えるのは僕らにとってナンセンスなのだ。
そう頭に入れた状態で読み進めてほしいのだが、とにかく「プラクリティ」というのはサーンキヤ学派の理論に登場する言葉なのだから、サーンキヤ学派の世界観、文脈で考えるしかない。
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