そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

神社ですること

2006-12-15 05:37:06 | 癒し
神社というのは何をしに行くところでしょう?
一般に、大多数の方にとって、神社は自分の願いを伝えに行くところだと思います。

しかし、見えないいのちにとって、わたしたちが思っていること、希望していることを知るのはたやすいことです。
そこにあえてお願いをしにいく必要があるでしょうか。

神社に行ってするのは基本的に、守ってもらっている感謝を伝えるだけで充分です。
そして、そこのいのちとともにあることを感謝できれば何よりです。

以前、お会いしたある方が、
「神社というのは、行って神を癒すところだ」
とおっしゃっていました。
確かにそう言う場合もあります。
場所によってはエネルギーが不足して、わたしたちの祈りを必要としているところがあります。
長年の経験からそんな言葉が出たのだと思います。

ただ、そこで考えたいことがあります。
わたしたちが誰かに会うとき、一方的に何かを与えたり、一方的にもらったりしているものでしょうか。
何かしてあげているようでも、必ずそこで何かをいただいているのが普通です。
出会いを通して、見えない力は双方向にはたらいているのです。

特定の場所に行った時でも同じです。
場の力が足りないとき、わたしたちは祈ってエネルギーを提供している。
そこで得た清々しさは、やはりそこの場を通じていただいたものだと思うのです。
巡り巡ってわたしたちは必ず何かをいただいています。

「してあげている」と思っていても、どこかしら、何かしら「してもらっている」もの。
やはり基本的に、神社では感謝だけでよいと思います。

そして、人に対しての態度も、神に対しての態度も同じものが出るのです。

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神社でお話しすること (春魅)
2010-06-12 10:49:04
以前、神社にお参りした時、
「ねぇ、何をお願いしたの?」
と訊かれ、
「世界平和」
と答えたことがあります。

「もっと自分の利益のためのお願いをしたらいいのに」
と言われて、
「自分の利益は、自分の努力で得るものだからお願いする必要はないでしょう?
 自分の努力だけでは達成できないことを神様にお願いしただけなんだけど」
と答えると、相手は何だか納得していた様子でした。

今、私が神社でお話しする内容は変わりました。
「世界平和(人間社会、という範囲ではなく、宇宙平和?)のために頑張りたいと思っています。
 それを宣言するために、ここへご挨拶に参りました。
 どうか皆を見守っていてください。」
です。

本当は、
「それを達成するためなら、自分自身の幸せ(例えば、贅沢が連続する生活だとか)は要りません。
 代償として捧げますので、事業が上手く進むようお手伝いしてください」
と付け加えました。
捧げると言っても、単に神社に納めるのではなく、
得たものは必要とされるところへ還元していく、といったイメージです。

偉業を成すのが私ではなくても、
もし、少しでも、偉人が出てくるための下地になれたならば、嬉しいと思います。
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