鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

放射能雨

2011-03-21 22:56:56 | Weblog
地震から10日。
二度目の雨。
コレは、たぶん、放射線を含んだ雨で、通常に降る雨とは、違うのだと思う。

大分、昔の話になるけれども、1960年代の後半に、水爆実験があって、その影響で、放射能雨が、降るから、雨の日は、外へ出てはいけない・・・と、子供達の間で、噂になったことがある。

真偽を確かめるほど、大人ではなかったし、放射能雨にあたるとどうなるかというと・・・
『ハゲる』のだそうだ・・・。

その根拠も分らずに、やっぱ・・・ハゲたら大変かもなぁ・・・くらいにしか思っておらず、いつしかそんな放射能雨も子供達の話題には、のぼらなくなった。

放射能雨=ハゲる・・・

ハゲるくらいで済めば、御の字であると今は思う。

考えてみれば、癌などの放射線治療を行うと脱毛するのは、その為なのかどうか?
真偽は、知らない。

体内に入った放射線は、ガンマ線などを放出しながら、体内被曝状態となって、細胞を傷付け、やがて、癌や白血病といった治癒が難しい病を誘発していく・・・ということらしい。

世界で初めての被爆国である日本が、放射線に関しては、もっともっと神経質にならなければいけなかったのだろう・・・とそう思う。
安易な電力需要に負けて、地獄を忘れた・・・そんなところだろうか?

日本人は、忘れっぽい・・・。

そうなのもしれない・・・。

2000年も前の出来事を未だに、子々孫々まで伝えているユダヤ民族とは、イキモノとして、別なんだろうなとさえ・・・思う。


・・・それにしても、今、福島で原発の沈静化にあたられている方々には、本当に、頭が下がる思いである。
多分、今は・・・誰も、行きたがらないところで、危険な作業をされている自衛隊・消防庁・電力会社の社員方々・・・。
苦難、苦渋の選択で、現地へ赴かれているのだろう。
それは、神意以外のなにものでもない・・・神を越えたその勇気と力に、何度、感謝と慰労の念を捧げても、たぶん、絶対に足りない・・・。


・・・音もなく・・・

2011-03-20 22:59:41 | Weblog
午後から、曇ってきて、お天気は、下り坂のよう・・・。


自宅に隠棲2日目。
余震は、相変らずで、カタカタ・・・ガタガタ・・・と繰り返す。

報道では、野菜、牛乳、水道水に放射性物質検出・・・。

あくまでも、『微量』。
人体に、直ちに影響を及ぼす値ではない・・・ということだけれども。

直ちに・・・ってことは、時間が経つにつれて、影響が、出ないとは言えないってことだろうし、『微量』っていうのも、なんか・・・。
過去の原発事故のデータを基に算出してるんだろうけれど、政府も、研究者も、誰も『絶対安全』と、保証してくれている訳では、ないのだし・・・。

『全く、検出されませんでした。』
・・・なんてことだと、コレは、もう誰も信じないでしょう。

『多量に検出されました。』
・・・コレだと、あまりにも信憑性がありすぎて、パニックだしなぁ・・・。

曖昧は、美しい・・・。
重大なことを包み隠すには、もってこいだと思ったり・・・。

よく考えてみれば、原発があんな状態で、30kmは、避難の対象または、自宅退避ってことになっているのだから、放射線の被害が、いまんとこ『微量』、『直ちに、人体に影響を与える値ではない・・・』って、言い方以外、どんなに事態が、重篤であろうと、そう報道する以外にないのだろうと思うし、現状では、そう報道するしかないのだろう。

その結果が、わかるのは、何年か、何十年か先の話。
福島周辺、或いは、関東に、白血病や癌や脳腫瘍の患者が増えている・・・とか・・・。
政府は、今のうちに、各県に、放射線医療の専門病院を作る準備でもしておいたほうが、よいのではないでしょうかね・・・こんなことくらいしか、提言できないけれども・・・。

今、真実を知ったところで、どうしようもない。
この土地を離れて、どこかへ移住するくらいしか、手段がなくて、それは、大多数のひとには、不可能なことなのだろうし・・・。
あとは、政府か自治体が、ヨウ素剤を配布するとか???


放射線は、音もなく・・・降り注ぐ・・・。

春の三連休

2011-03-19 22:05:03 | Weblog
春らしく穏やかに晴れた一日。
余震・・・なんだろうか?毎日、毎日、ガタガタとよく揺れる・・・。

震災がなければ、春の三連休にいろいろと予定を立ていらっしゃった方も多かったのでは・・・?

お彼岸だし、寒さも緩んで、早い桜は、もう咲いているし・・・。

私は居住地が、関東地方で、直接の被災は、免れましたが、ガソリンスタンドは、何処も閉鎖か、或いは、給油制限、給油に数時間待ち・・・だとか、普段の生活とは、ちょっと違っているような・・・。
スーパーには、在庫切れの棚も目立つようですが、全く、食糧がないという訳ではないし、生鮮食料品は、通常通りでした。


地震発生から、余震や原発事故、停電、交通状況・・・いろいろなストレスで、お疲れの方も多いかと思います。
この三連休、身体を休めることが、可能な方は、極力、休まれた方がよいのではないか・・・と。

今、出来ることは、『節電』するくらいですが、もともと、自宅にいる方が好きですし、この三連休は、いつもどおり、自宅で、ダラダラと休養です。

テレビなども、必要な情報以外は、つけなければ、少し節電になるだろうし、車を使う外出を控えれば、少しは、ガソリンの節約になるでしょう。
関東北部では、放射線量も通常より増えているという発表ですから、直接、人体に影響は、ない・・・という報道ですが、やはり、浴びなくてよい放射線なら、浴びないに越したことはないでしょうから、出来るだけ、自宅に隠棲していた方が、よさそうです。

寝床から出なければ、暖房も不要だし、疲れているから、朝寝して、朝食は、抜いて、昼と夜の2食にすれば、電気・ガス・水の節約に。
一日中、床の中にいれば、入浴等も1日くらいはしなくても大丈夫だろうし、これもエネルギーの節約になるかと・・・。

でも、一日中、寝てばかりもいられないでしょうから、三連休の一日くらいってことで、『休養day』
また、来週からの過酷?な日々も始まるのだろうし。


何のことは、ありません。
私のいつもの週末です・・・。コレ・・・。

石の棺

2011-03-18 23:28:31 | Weblog
昨日よりは、やや暖かい。
よく晴れた一日。

早朝から深夜まで、ヘリコプターの音が響く。
自衛隊・・・だろうか・・・???

原発の事故・・・というよりは、震災の被害といった方が適切かもしれない・・・。

めぐみのエネルギーを生みだして、水底で、眠りにつこうとした核燃料を呼び起こしたのは、地震・・・。

福島の第一・第二原発は、IAEAの暫定評価で、レベル4からレベル5へ。

この原発の施設は、どうなるんだろう・・・。
そんなことを考えた。
・・・こんなことは、私が考えたって、何にもならないし、下手な考え休むに似たり・・・なのだし・・・。

原発は、再度、動き出すのだろうか・・・???

政府は、原子力エネルギーへの転換を推進していたけれど、ここで、見直しをする・・・というようなことをラジオのニュースで聞いた。

リサイクルできて、僅かな燃料で、最大のエネルギーを生み出す原子力・・・。
資源のない我が国には、願ったり、叶ったりの夢のエネルギーになるはず・・・だった。

1960年代後半か70年代の初め頃だったと思うけれども・・・。
その頃は、よく停電した。やたらによく停電した。電力供給が追いつかなかったのだろうと思う・・・。

そして・・・。アメリカのファミリー・ドラマをみて驚いた。
蛇口をひねれば、お湯は、使い放題、各家庭には、オーブンレンジ、大きな車・・・、潤沢な食糧、広い庭のある大きな家・・・幸せそのものだった家族のドラマ・・・そんなドラマを見ながら、アメリカは、なんて、豊かで、贅沢なんだろう・・・コレも広大な国土、豊かな資源・・・そんなものがあるからなんだろうなと思ったりした。

当時、電気炊飯器とテレビと炬燵を一緒に使うと、ブレーカーが落ちる我家では、到底、現実不可能だった・・・あのファミリー・ドラマの世界・・・。
それが、ある時期を境に、停電なんて、雷でも落ちない限り、なくなったし、電気炊飯器とテレビと炬燵、更に、アイロンを同時に使っても、ブレーカーが落ちない時代が、普通よりも所得が落ちる我家でも、実現したのである・・・。
・・・しかも、自動車にしかついていなかったエアコン(主に冷房)でさえ、普通に使えるようになったのだ。
それは、多分、原発のお陰だろうと思っている。

・・・そんな昔みたアメリカのファミリー・ドラマのような生活を支えてくれた、原発も・・・。
多分・・・鋼鉄とコンクリートの巨大な石の棺の中で、再び、長い眠りにつくのだろうか・・・。


パンドラの箱

2011-03-17 23:21:19 | Weblog
よく晴れて、寒い一日。
地震から7日。
計画停電の実施は、私の居住地では、今のところ、回避されてはいるけれど、事務所の暖房は、止められていて、手は冷たいまま・・・。
パソコンのキーボードに手をのせて、放熱で温める。


パンドラの箱があいて、大量の水と分厚い鋼鉄とコンクリートの無敵の騎士に護られていた『死の天使達』が、次々と飛び出して行く。
静かに、眠って、臨界の時を待ち、めぐみのエネルギーを放出してきた『天使達』は、放射線という人の目には、見えない剣を振りかざし、静かに、静かに、音もなく、姿を現すことも無く、忍び寄る。

絶対にあけることの許されないパンドラの箱をあけたのは、地震と大津波・・・。
自然のもつ驚異のポテンシャルで、いとも簡単に、大量の水と分厚い鋼鉄とコンクリートの騎士を打ち破り、パンドラの箱は、いとも簡単に開いてしまった。

従順で、大人しかった『核』は、制御を逃れ、自然界へとリリースしていく。

高濃度の放射線のシールドは、四方に張り巡らされて、ヒトの侵入を拒む・・・。
ここは、もう自分たちの領域だと・・・。

パンドラは、神々の忠告も聞かず、好奇心に負けて、禍の箱を開けてしまった。

恐ろしい勢いで、飛びだした『禍の天使達』は、四方八方に散って・・・人は、不幸になった。

箱の底に、僅かに残ったもの・・・それは、希望・・・。

パンドラには、『希望』が残された。

・・・この国に、果たして、希望は、あるのだろうか・・・。

石の棺で、覆われた『チェルノブイリ』。
四半世紀後も、石の棺に閉じ込められた『苦蓬』。

この先、『死の大天使』と化したあの残骸は、どうなるのだろうか?
チェルノブイリの石の棺のように、石の棺で覆われるのだろうか・・・???

石の棺に大人しく納まってくれるのだろうか?
かつて、人々に、電力という恩恵を与えた『核』達は・・・。


死の大天使・・・降臨!

2011-03-15 21:53:24 | Weblog
くもりがち。
夜中の地震で、何度も何度も目が覚める。
このまま、ずっと眠っていたい・・・。

・・・会社は、通常に動いている。
けれども、閉塞的なあきらめ感の漂う物憂い雰囲気。

計画停電情報を見るために勤務中に何度も、何度も、情報を求める・・・。

心の何処かで憂いていたことが、紛れも無く現実となる。
関東周辺で、放射線のレベルが上がる・・・。
あの地震で、原発だけ、無事でありえるはずがない・・・。
無事だと信じこまされていた(・・・或いは、信じようとした)私がバカなのだ。

多分・・・地震の直後から、鋼鉄とコンクリートに閉じ込められた核燃料は、行き場を求めて、リリースされていたのだろう・・・報道されなかった(・・・或いは、出来なかった・・・)だけなんだろうと思っている。

緩やかに、緩やかに・・・。
死の大天使が舞い降りる。

神から盗み取った『神の火』を、人は、戦争に使った。
それは、わずかでも大量のエネルギーを生み出すことができて、半減しながら長い年月をかけて、ヒトの求めるエネルギーを生み出し続けるまさに『神の火』。
ひとは、それで、ひとを殺した・・・。

それから半世紀。
地獄の業火は、再び、ヒトに恩恵を与える『神の火』となって、人の手に戻ってきた。

使い方さえ間違えなければ、それは、今までの石油や石炭や天然ガスに取って代わる未来のエネルギーとして、ヒトに恩恵を与えるハズだった・・・。

そして・・・神は、死の大天使を空に放った。
『神の火』は、死の灰となって、緩やかに緩やかに、音もなく、降り注ぐ。
死の衣装を纏った緩やかに人の眠りをさそう大天使。

臨界・・・メルトダウン・・・。

死の大天使・・・降臨・・・。

『神の火』は、神のみに制御できることのできる神の領域・・・。



祈り・・・祈り・・・祈り・・・。

2011-03-14 21:30:20 | Weblog
時間を追うごとに、雲が広がり、なんだか、これから先の未来が、徐々に翳っていくような不思議な胸のざわつき・・・。

テレビから流れる震災の画像は、もはや理解を超えて、もう、なにかコンピュータグラフィクスの映画でも見ているようで、現実とは、思えない。
実感できない・・・。
信じたくない・・・。
それなのに、テレビは、毎日、毎日、同じ画像を流し続ける。

原発も・・・。
人智を超えて、もう神の手に委ねられているとしか思えない・・・。
ニュースの解説員さんは、それ程、危険では、ないようなことを言っているけれど、多分、重大ななにかを隠しているようにしか聞こえない。
たぶん・・・報道できない『真実』は、隠されたままなのだろうと思う。

停電は、今日一日・・・なんとか、免れた・・・こうして、ブログを書くことができる。

・・・できる・・・ということが、こんなに有難いことだったとは・・・。

夜でも本が読める・・・。
灯りの下で、食事ができる・・・。
暖かい暖房がある・・・。

普通だと思っていたことが、普通でなくなるときが、もうすぐやってくるのかもしれない。

何に祈れば、いいのだろう・・・。
今は、祈るすべを知らない・・・。

・・・それなのに、会社へ行く。
会社に行って普通に仕事をする・・・。
誰も、悲惨な顔は、していないし、普通に時が過ぎて行く・・・。

情報は、刻々と変わる・・・。

『夕方から、計画停電の予定があります。直接業務・間接業務を問わず、定時には、退社して下さい。』
事務所に聞こえるアナウンス・・・。
停電か・・・そんなこと・・・今まで、なかったな・・・いや・・・昭和の中頃は、よく停電していた・・・子供の頃。


何に祈ればいいのだろう・・・。
今は、祈る術を知らない・・・。

どうぞ世界が、破滅へと向うことがありませんように・・・。

静寂な日曜日 

2011-03-13 21:01:32 | Weblog
春らしい穏やかな暖かさ。

静まりかえった・・・静寂な日曜日。
朝から、ヘリコプターの音の他には、至って、普通の日曜日。

地震が発生して、会社から帰宅後、一歩も外へは出ていない。
街の様子が分らない。

家人は、自転車に乗って、近所のドラッグ・ストアへ。
簡単に食べられるものを購入してこようかと思ったけれども、食糧品の棚には、ほとんど無い・・・と。
蘭の花を一輪と取り敢えず、食べる事のできる売れ残った食品を数点買って、戻ってきた。

テレビは、刻々とニュースを伝える。

電力の供給が地域ごとに一定の時間とまる。

ガソリン不足で、スタンドは、閉鎖中???

これから、どうなるのだろうか・・・。
今はまだ、何も知らない・・・。何も知らされない・・・。

この先、国力の落ちた国は、どうやって復興していくのだろうか?

今できること・・・。それをやるしかない・・・。

取り敢えず、節電か・・・。
燃料を使うから、車に乗るのはやめておこうか・・・。

それにしては、あまりにも静かすぎる。

いつもの日曜日より、救急車のサイレンが響くだけ・・・。


もしかすると、報道が、規制されているのかもしれない原発の放射能・・・そんなものが、音もなく、静かに・・・それは、静かに、降り注いでくるのかもしれない・・・。

そんなことばかり考える。
そうかもしれないし、違うかもしれない・・・。

だって・・・史上最大の地震だもの・・・原発だけが、無事って・・・そんなハズないじゃない・・・悲観的な見方しか今はできない。


光の無い夜

2011-03-12 20:54:02 | Weblog
3月11日・・・東北地方太平洋沖地震・・・発生。

電気が止まり、電力で、水をくみ上げている自宅では、断水。


まだ、周りが明るいうちは、そんなに長く停電ってこともないだろう・・・最大でも、当日中には、復旧するだろう・・・くらいにしか思っていなかった。

日が暮れて、気温がどんどん下がってくる。
通電していない炬燵(芝居炬燵と家人は、笑う)に足を突っ込んで、毛布と小さな石油ストーブで、暖を取る。足に小さな使い捨てカイロを貼り付けて、暖める。
石油ストーブの上のヤカンにペットボトルの水をいれ、沸かす。
カップラーメンにヤカンのお湯を注ぐ。
灯りは、LEDの小さな懐中電灯と仏壇の蝋燭を交互に使いながら。
昼間、家人が買ってきた出来合いのお惣菜で、夕食。
『戦時中みたいだねぇ・・・。』
家人は、毛布に包まりながら、笑う。
『寒いからビールでも飲むか・・・1本だけあるから。』
1本を二人で半分づつ。
『寒いときは、カップラーメンでも美味しいね。』
あまり、危機感のないのんき者二人。
それでも、不安は、どんどん大きくなっていく。

ラジオだけにたよる情報(電力復旧後、テレビの映像で驚いた・・・こんな状態だったとは・・・)。

首都圏と東北の状況は、わかるけれど、地元のライフラインは、どうなっているのか、全くわからないまま。
とにかく、電気が来ないことには、暗くて何もできないし・・・。
地元のラジオ局は、まったく受信できない。

何もできない・・・ただ、芝居炬燵で、横になって、寒さを凌ぐだけ。
『電気は、有難いね。』
『2,3日かかるかのかねぇ・・・電気・・・。』
『見てごらんよ。外真っ暗で、不気味だね。』

オリオンが、南に傾きかけて、星明りだけが、綺麗だ

光の無い夜・・・光のない街・・・。

世界の終わりは、こんなふうに、静かなんだろうか・・・。

いまなお・・・余震は続く・・・。

去り行く日々・・・。

2011-03-10 21:16:51 | Weblog
春は名のみの風の寒さや・・・。
もう3月も中旬で、3月は、春・・・なんだけれど、風は、冷たい・・・。

そんなこんな・・・しているうちに、年が明けて、はや三ヶ月・・・。
うんざりするくらい長い長い1月と、イライラするばかりの2月とやりすごし、そして、光輝く・・・3月・・・と言いたいところですが、この春も、そうも言ってはいられないようです。

なんの因果か、よその部門の会計処理まで、引き受けることになったのが、去年の晩秋。
いろいろやってみて、結局、何にも理解していなくて、何もわからなくて、右往左往して、どうして、自分だけ背負わなければならないのかな・・・。
そんな思いで、過ごして来た日々でした(・・・まだまだ、コレからが本番か・・・)。 

思い切って、仕事を変えてしまった方が、よかったのかもしれない・・・毎日、毎日、そんなことばかり、考えて、考えて、考えて・・・いたから、季節は、変わって、花も散って、花をみる余裕もなくて・・・。

去り行く日々を惜しむこともなく・・・
ただ・・・茫然と流されていくだけ・・・

随分、日が経ったのに、なにひとつ満足の行く答えは出ない。
ヒントすら掴めずにいる・・・。

どうせ、行き着く先は、同じなら、もう何も考えず、ただ、その時を生きて行くしかないのかもしれない・・・そんなふうに思うものの・・・。

この道は、多分、私の行く道ではないのかもしれない・・・。
間違った道を選んで待ったのかもしれない・・・。

でも、たぶん行き着く先は、同じ・・・。
だったら、つかの間でも、そんなことを忘れてしまえる・・・そんな何かが欲しいと思うのです。

現実に回帰する・・・ただ・・・それだけでいいのかもしれない。

そう・・・以前のように、何も望まず、何も期待せず、ただ淡々と過ぎ行く日々に手を振って、そんなふうにまた生きられたらいいのに・・・。

去り行く日々を、ただ惜しみながら・・・。
花が散るのを惜しみながら・・・。

誰を、羨むこともなく、誰にかえりみられることもなく・・・。
去り行く日々に・・・ただ、音も無く去り行く時間のように・・・。