鼎子堂(Teishi-Do)

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四十一回目の月命日/映画:九十歳。何がめでたい

2024-07-07 21:02:12 | 演劇・映画

猛暑爆裂中の七夕。

こんなに暑くないでしょう普通は・・・。

ということで、午前8時には既に、室温31度。

 

7日の日曜日の早朝・・・月は違えど、母は逝った。

来週か再来週のくもりか小雨の日に、墓参しようと思う。

そして、朝方、ベランダの物干しざおに、キジ鳩が一羽。

日曜日の朝は、鳩が来る・・・???

 

熱帯夜だったせいなのか、それとも関係ないのか・・・早朝、右?(左かも)脚が攣る。

コレが、コムラガエリ・・・というやつかな。

大量?の寝汗で、ミネラル流出か、水分不足なのか・・・痛みが治まるのを待って、階下のキッチンで、マグネシウムとほう砂を溶かした水を補給。

*ほう砂は、注意書に、飲食不可とありますので、自己責任で、使っています。

 

昨日(6日)。

早朝から、隣市シネマ・コンプレックスにて、『九十歳。何がめでたい』を鑑賞。

今年、百一歳になる作家・佐藤愛子の自伝?エッセイを映画化。

母が、愛読していた作家のひとり。

母の遺品を整理したときに、佐藤愛子の著作があった。

殆ど、網羅していたのではないか・・・。

文学的な『血脈』、『女優万里子』、『晩鐘』。

『私と娘の時間』など、ユーモアたっぷりの娘さんとの軽妙な日々のエッセイ、そして断筆宣言後に上梓した本作品の原作『九十歳。なにがめでたい』。

この本は、母も読んでいた。

母は、佐藤愛子より、10歳前後年齢が下だった。

100歳を超えている女性有名人は、三笠宮百合子妃くらいしか思い浮かばないけれど・・・。

 

戦争、二度の離婚、配偶者の麻薬中毒の借金返済・・・昭和という(ある意味、過酷な)時代を生きた・・・という意味では、同士だったに違いない。

佐藤愛子の著作が出るたびに、

『自分よりも老齢なのに、こうして執筆できるのは凄い。私も頑張ろう!』と勇気をもらっていたのかもしれない。

現在と違って、昭和という時代は、女は家に居て、親の言いなりで、親がつれてきた配偶者と結婚して・・・それが一番の幸福・・・という昭和的(あるいは、前時代的)な常識に縛られていたから、離婚して、文筆業で、身を立てていくには、離婚上等、借金上等・・・くらいの境遇がないと、難しかったのかもしれない。

普通に?幸せに暮らしている女性は、たぶん、小説なんか書かないだろうな・・・と昭和の頃は、思っていた。

森茉莉、宮尾登美子・・・古いところでは、林芙美子・・・そしてこの佐藤愛子。

中学生頃のだったと思うけれど、夏休み中に、TBSで放送されていた昼の帯ドラ(昼メロの走り?かな)で、佐藤愛子の半生をドラマ化した『愛子』というドラマが放映されていて、見るともなく、見ていたのだけれど、ドラマの内容より、五輪真弓の歌う『愛子』という曲が好きだった。

 

佐藤愛子を演じた草笛光子も、年齢に負けていない驚異の女優である。

私の母とほぼ同じ年齢だけれど、セリフを覚え、演技をする・・・そして、何より・・・和服をあれだけ、格調高く着こなせるのは、やはり驚異そのものだ・・・。

七十歳だか、八十歳の頃だったか・・・母は、草笛光子の舞台を観劇に行ってひとこと。

『同じ年齢なのに、ラインダンスで、足がちゃんと上がっていた。とても真似できない。』

 

年齢を重ねても、ちっとも見苦しくならないばあさんには、ひたすら憧れる。

それなのに、今日も私は腰が痛い・・・佐藤愛子や草笛光子の年齢のひとの子供くらいの年なのに・・・。

 



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