鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『檀林皇后私譜:杉本苑子・著』②

2012-07-08 22:50:36 | Weblog
明け方まで、雨。天気回復基調。蒸し暑さ戻る・・・。

奈良朝の三女帝・持統・元明・元正に仕えた橘三千代とその配偶者となる藤原不比等。
この戦略的に結ばれたカップルから、光明子が生まれ、皇籍以外から初めて、立后して、皇后の座につき、孝謙女帝を生むことになり、その孝謙帝を排するために、失脚した橘奈良麿。
その孫が、橘嘉智子、橘逸勢という系図につながるのですが・・・。
日本の名家といえば、『源平藤橘』と言われるように、このいづれかを祖に持つ家系です。
そのひとつ、橘家は、どうも祖の三千代・・・女の強さであるような気がします。

『あんた(嘉智子)が、温室咲きの花なら、(藤原)薬子夫人は、霧まとう野アザミだ。男なら、誰でも目を洗われる美しさだが、うっかり手をだすと棘にやられる。あんたの美貌をもってしても、太刀打ちできないぜ。』

温室咲きの花は、いつか権力争いの中枢に見え隠れする影となります。
後に、霧纏う野アザミと形容された藤原薬子は、失脚し、名実ともに、嵯峨帝と嘉智子は、登極することになるのですが・・・。

そして、夫の嵯峨帝。
帝の位についたとたん、関係をもった女達とその子供達を、偶然を装いながら、認めさせてしまうその計算高さ。表の顔と裏の顔が、180度違うのに、それを許さざるを得ない不思議な魅力。
優しいのに冷たい、真面目なのに不道徳・・・自ら書いたその書の端正さが示すとおりの帝王だけれど、その裏に潜むのは、決して、自分が前面に出ないこと・・・譲られる気まずさを避けるために、まず譲ってしまう処世術・・・皇位に手が届きそうで、届かないポジションに生まれた自分の身をどうしたら、押し上げることができるのか・・・常に意識していた怜悧な理性。
多くの妃賓を持ったのも、こういうオトコは、今も昔も、女が、ほおっておかないのかもしれません。

一方、嵯峨帝とは、その性格の対極をいく橘逸勢。
その学力と隷書は、右に出るものがないと評されながらも、アクの強さは、隠せない・・・。
最愛の嘉智子を神野皇子(嵯峨帝)に横取りされ、渡唐するものの、堕落。若い頃は、橘秀才と呼び名がつくほど、キレ者だったものの、その凋落ぶりには、度が過ぎる。有り余る才を天から受けながら、不遇の人・・・と、なり果てた橘逸勢もまた、運命に弄ばれた一人か・・・。

運命をその冷徹で、怜悧な頭脳で、切り開いた嵯峨帝と才に溺れた橘逸勢の二人に愛された橘嘉智子・・・。

仕合せだったかどうかは、夫婦して墓にはいるまで、わからないぜ・・・!
橘秀才は、冒頭で、言い放つ。

・・・檀林皇后、果たして、幸せだったのか不幸だったのか・・・?

それにつけても・・・中公文庫は、文字が小さくて、読みづらい・・・。


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