猛暑日続く・・・。
深夜から、YouTubeが、ブチブチ切れているので、現在使っているタブレットが寿命なのかなぁ・・・と思っていたら、利用しているキャリアであるKDDIの通信障害というニュース・・・。
現在(7月2日午後9時30分)、まだ復旧に見込みが立たないようで、スマートフォンの画面は、『圏外』になっている。
何処かへ電話する用事もないし、固定電話もあるし・・・特に、不自由は感じないけれど、お仕事関係の方々は、大変だったようで。
通信関係が、ダウンすると、こんなに混乱するのだね・・・などと思いながら、テレビのニュースなどみていたけれど。
YouTubeが、ブチブチ切れるので、本など読むことに。
最近は、昔のように、寸暇を惜しんで本を読む・・・ということがなくなって、全く集中できない。
数ページ読んだだけで、もう興味は、他に移ってしまい、ああ・・・アレやっとこう・・・とか、アレどうしたっけ・・・と頭が、本から遠ざけようとしている。
読書は、よいこと・・・みたいに、洗脳?されて育ってきたので、中学時代から、数十年・・・本ばかり読んでいた。
けれども、地頭が悪いせいで、その知識も忘却の彼方で、何の役にも立っていない。
その本で得た知識を利用したくとも、興味の範囲が極端に狭いから、そんな本を知っている・・・というひとすらいない。
視力は落ち、既に、老眼になり、コレだけ読んだのだから、もういいか・・・と思うものの、やはり月に何冊かは、買ってしまい、そして、読まずに、積み上げておく・・・所謂、『積読(つんどく)』状態で。
亡き母は、死ぬ間際迄、読書をしていた。
目も悪くなり、身体が、弱ってきても、本を読むこと、文字を書く(手紙を書く)、手芸をする・・・ということをやめない人だった。
流石に、手芸は、針に糸を通すことが困難になっていて、私を呼んで、数本の針に糸を通させる。
液体プロポリス液を、カプセルに入れる、粉薬を、オブラートに包む・・・なんてことも、段々、出来なくなって来て、食後の薬の世話もしていたことを思い出した。
母は、前夫との間に、女児が居て、それが、私の異父姉なのだけれど、
『お母さんのように、上手にお手紙が書けません。』
と言っていた。
母は、綺麗な文字を書く人だったけれど、やはり亡くなる1年前くらいから、真っすぐに、文字を書くことができなくなっていた。
目の不調、手が思うように動かせない・・・。
それでも、本は、読んでいた。
新聞は、毎日読んでいたし、小説、週刊誌、健康雑誌、アロースケルトンのパズル本を取り寄せて、解いていた。
私には、とてもそんな気力は、なくなっている。
暑さの中、エアコンを使い、本を読むのは、最大の贅沢かとも思うけれど、猛暑読書にならず、現在に至る・・・。