毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

ジャンプ台放浪記 シルバーシャンツェ編~3

2010-04-13 23:43:43 | ジャンプ台放浪記関連



本題に入る前に。
ぷっと笑えるか、
くっ、お気の毒と涙を誘うか。



見て、この山っ。







まさに、さっぽろ文庫タワーっ。


どうしたって?
どうしてこんなにあるのかいでしょ。


夫の叔母が田舎で書店経営しておりまして。
お店の棚にさっぽろ文庫数冊あるのは知っていたのです。
前から譲ってとお願いしていたのですが。


先週の親戚の葬儀のとき、
どどぉぉんと渡されたのがこれでして…
こんなにあったとは知らなかったわ…
それもなんだか興味湧かないのも多々ありじゃない…


そりゃそうよね、
超田舎の本屋さんにさっぽろ文庫ってこと自体奇妙だってね。
ほらね、
ちゃんと私の手許にくることになってるでしょ。
それも上手い具合に電子本化されてないやつばかり。
70以降飛びで20数冊。
帯やカバーが破れていたり日焼けしてたりはあるけれど、
中はサラですわ。


でね。


連日の脳ぎゅうぎゅうジャンプでお疲れ気味。
ちょいとダンボール箱から出して、
ぺらぺら捲ってみましたら…


あ、あった…





赤坂山・寺口山 さっぽろ文庫74 わが街新風景より


この山とは三角山のことね。
もっと詳しく具体的な年代もツツジ山も書いてくださいなんですけど。
ほんと何もなかったみたいです。


もう一冊 さっぽろ文庫73 昭和の話。
ここにもスキー関連で少し載っておりました。
電子本にもちらちら出てますけど、
分散して情報がいろいろな本に載っている…
私のこのさっぽろ文庫タワーから新たなうぉぉが飛び出すかも知れません(笑)。


なんだか漬物になっちゃいそうですわ、私…。


ちなみに。
さっぽろ文庫93 北の本三00
これ使えるか使えないか両極端ですけど本の手引書です。



あぁ。シルバーシャンツェと関係ない話で時間とスペースを使ってしまいました。


よしっ。
気合だ、気合っ。



昨日の現地入りした画像です。
あのシルバーシャンツェの尾根・斜面と似た場所、
撮影地点が分かるかどうか。


あぁパワフルな私っ(爆)。


でね。


これはどうしようもないのですけどね。
近いと全体が見えないし、
離れると家と重なって見えないのですわ。
おまけに家はぎゅうぎゅう。


まぁ我が家を出る前に地図上で押さえていた地点、
あの尾根に近づいていきますと。


ぽっかりと空白地帯、土地が視界が開けまして。
尾根麓に児童公園が。
近いけど、尾根に近すぎて画面に入りきらないだろうけど、
まぁ行って写してこようとね。


で。


その公園の名前を見たとき鳥肌がざわわとね。









三角山公園。
こっちは山の手がつくけれど、
アルファシャンツェと同じ三角山公園じゃない。


おまけに待ってましたとばかりに、








ジャンプ台的滑り台っ。
ぅぉぉぉぉぉぉっ…
何故こんなカタチにしたんだい?
札幌市の洒落?全て知っていた?偶然??


ひとり鳥肌浮かべながらひきつり笑ったのでした。







逆光で見えないし。


もう不審者ですわ、侵入者。
顔見知りしか歩かないような道。
必要以上に地図とコピーを見えるように持ち、
いかにも探し物です私を装いまして。

…ってその探してるものって何ってのがさらに怪しいんですけどね。








公園と民家のおそらく居間が向かい合っていまして、
さすがこの裏山尾根探索は諦めました。







尾根下部。
この道を左に折れると、







大なまこの背が真正面に。
当たり前ですけど意外と近いっ。
アルファシャンツェはもう少し上だけど、
確かにT字形な配置になる。








見えそうで見えないこのもどかしさっ。
おいおい…









もっと探せば、
あるいはどこか高いところに上れれば、
もっとすっきりこんな画像を得られたかもしれませんが…
どうも小心者の度胸なしでして…
愛嬌も色気もございやせんが…


本当、
ここがシルバーシャンツェ跡地だとしたら、
あの山の手三角山公園に何かプレート欲しいと思いません?
これって札幌市か北大スキー部の世界?
私が杭打ってもダメよね(笑)。当たり前だってね。




移動。



次はツツジ山近辺探索。







 





これはなかなか見やすくなったでしょ。
拡大すればいいってモノでもないと今悟りました(笑)。
等高線の数値は変わらないので書き込んでおきました。
お手持ちの現代版の地図と比較が楽でしょ?
なんて親切な私。うん。いえ。←どっちよ?


これを現在の地図と比較してう~んう~んなのですが。
一時仮設ジャンプ台らしき記号が現在の川にカブりまして(汗)。


で。
また間違いの思い込みかもなのですが、
ツツジ山の文字上の○。
これが等高線50の上に書き込んであるようで。
スキーコースの線と重なっていて見難いですけど。

これを今の地図に当てはめると、
ありゃっ。
偶然なんですけど昨日写した位置っ?。







○印が坂の真ん中より少し手前というか、
まさに私が立っている場所?足元になるってかっ??
うぇぇぇぇ。
削られた斜面元ツツジ山を写したつもりだったのですが…



でもね、
正直私この仮設ジャンプ台は自信ないのです。


当時はまずここいら辺に道路は一本も無かった。
川の流れ、位置も太さも違っていたでしょし、
今のように護岸工事もしていなかったはず。
橋は木の富茂登橋ですから。
(今の山の手橋はまだありません)









「きのこの里」ビルの裏の建物の下が先ほどの私が写した道と斜面です。







道路はなく、
斜面はどんなだったんでしょ。






河畔にはネコヤナギ







こんな感じ。








ざっぶ~んっ。








昨日ツツジ山はもうないって書きましたけど、
つい先ほどまでそう思ってましたけど、
確かに斜面は削られて宅地化はしてますけど全て平らになっているわけではないなと。
一度このシルバースロープを歩いたことがありますが、
手前の住宅地はえらい坂だった…
山っぽい面影はないけれど、
ここがツツジ山なのかもしれません。
三角山の下には優しい斜面がのぞいているし。









ここで、あそこで飛んでいたのかなぁ(笑)。
もうすっかり上を向いて歩くのが習慣化しております(笑)。
このジャンプ台シリーズが終わったら、
上を向いた集大成?
ばっかばかしいオマケが始まりますから(笑)。
おいおいってね。



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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
きのこの里 (くまぼう)
2010-04-14 12:18:06
どうやらそこが仮設台のランディングバーンのようですね。

多分、地形は、そんなに大きく変わってないと思いますよ。
宅地部分は、若干切って、ちょっと盛って、という程度。
発寒川右岸の道路も、たぶん山を大きく削ったのではなくて、山の切りは少しで川側を盛って、護岸しているんだと想像します。
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きのこの里 (みどり)
2010-04-14 16:37:58
くまぼうさんからその言葉が出ると、
私はとても安心してしまいます(笑)。
あ、知らない人が読んだら『なんだ?この二人?』でしょけど。
なんでこんな端っこ選んだのかなぁと。
スキーだってまだ普及してないころだから、
スキーヤーが溢れていたわけでもない。
なまこからも遠い。
どうしてこんな端を選んだのか…
何かいい答えのもととなる発想ありません??


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突然ですが (yt)
2011-12-06 20:05:40
三角山について昔の写真を当たっていましたところ、ちょっと気になる写真がありましたのでお知らせしました。
札幌文化資料室の所蔵写真検索で「三角山」と入れ、4/5ページ目の上から2番目「三角山之景」の写真です。
多分琴似の八軒方面(ちょっと遠方)から写したものと思われますが、三角山の右下にある三角状の丘(稜線?)の頂上から下方にかけてジャンプ台としか考えられないような場所があると思うのですが・・・。
何度見ても、頂点の白い部分がアプローチのスタート地点(もしかして人造構造物?)で下方に行くにしたがって平地まで広がっていく部分がランディングバーンに見えてしまいます。
場所も寺口山のようではないでしょうか、もしかしてシルバーシャンツエ?
もうみどりさんにとっては完了かもしれなかったかもしれませんが、ちょっと気になったもので、もしよければ一度ご確認ください。
ただし撮影年は不明となっているようです。でも副題に「スキー滑走場二シテ世二知ヲル」とあるところから戦前であることは間違いないと思います。
余計なお世話かもしれません。すみません。
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古い写真 (みどり)
2011-12-06 21:42:41
こんなに古い写真がネットで見られるんですねぇ。
まず最初に寺口山。
現在も山の手にお住まいの80代後半の方にお聞きしたんです、寺口山の呼び名について。
すると、昔はここら辺一帯をつつじ山とよんでいたそうです。
私は寺口山の横の発寒川に近い部分だけの呼称かと思っていたのですが(そう呼ばれていた時期もあるようです)。
そしてこの写真ですが。
撮影場所が明らかでないのが痛いですね。
三角山は見る角度、位置で形が異なります。
当時あった道は限られていますし。
本通りから写したように見えるのですが。
寺口山には確かにジャンプ台はあったようですが、
この写ってい三角状の丘は、今の山の上病院付近ではなく、登山道横の尾根の三角のように私には見えてしまいます。
私の友人から頂いた貴重な資料があるのですが。
ジャンプ台を研究なさっている方の論文です。
そのなかで、シルバーシャンツェの場所が書いてありました。
ここにそのまま引用していいのかわかりませんので載せませんが、この方も私と同じこぶし平から沢をはさんで突き出ている尾根の中間位置からすそ野にかけて琴似駅方向に飛んでゆくように作られたという内容で発表しています。
北海タイムスのあの新聞のこともとりあげてますし、「ヌタック」の手書きの地図とほぼ同じ角度に見える場所からの検証もされてます。
ただ、ジャンプ台は実際に残っているわけではなので…。

探してゆくと、また新たな事が出てくるかもしれませんね。



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すみませんでした (yt)
2011-12-06 23:02:58
そうですね、私も位置は琴似本通の突き当たりに相当しそうには感じていました。
私の感覚と家内(琴似神社の隣生まれ)の感覚では、あのあたりが子供の頃の寺口山のスキー場なものでして・・。
歳と共に古い写真や記事に興味が増していくようです。
もう少し鮮明な画像がほしかったですね、お騒がせしてすみませんでした。
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撮影場所や年月日 (みどり)
2011-12-07 00:12:34
場所が定かでないので、これだけは推測憶測になっちゃうんですよね。見る側の主観とか潜在意識とかもありますし。私には本通りのような気がするだけで、実際は違うのかもしれませんし。
固定シャンツェとは別に、仮設の櫓タイプのジャンプ台は毎年出現していたようです。
円山のジャンプ台の記事も載っていて、知らないだけでいろいろあるんだなぁと。

あ、それと、書き間違いをしてました。
「この方も私と同じこぶし平から~」ではなく、「この方も同じように、こぶし平から~」と書きたかったんです。すみません、なんだか点の打ち方一つで意味合いが変わってしまいました。文を書くって、難しいです。
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団長ォォ~(;_;) (elfenbein )
2014-10-15 18:50:21
ジャンプ台がツボと言えば私、エルフェンバインでございます(^^;)
日本最古の固定シャンツェにして場所特定最難関かと思われたシルバーシャンツェの遺跡(痕跡)に勢いでたどり着きました事をご報告させていただきます
今頃かい!!
でも残ってましたよ!!基礎が!!!
詳しく書くのはヤボかと思いますので控えさせていただきますが、団長にぜひ確認調査していただきたいです
本当に素晴らしい体験でした(T-T)
このような感動的な機会のきっかけを与えてくださった団長に感謝です!!!

バザーリ『さがせ!さればみつからん』




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ありましたかっ!? (みどり)
2014-10-15 22:05:07
うわー!!
それは素晴らしいことです!!
大発見じゃないですか!
ぜひ確認調査に行きたいです、触ってみたいです。
って、かなり大変だったのではないですか?
私なら基礎を前に感極まって泣いちゃいそうです。
いやぁ、すごいです。おめでとうございます。
その行動力、敬服します!
今度こっそり場所教えてください。
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お願します! (ジャンプの友)
2014-10-20 08:47:32
 痕跡発見の知らせに居ても立ってもおられず初コメントです。
私もジャンプ台の歴史に興味が有り場所の特定に強く惹かれた者です。
elfenbeinさん、ヤボなどと仰らずに遺構御対面果たしたいと切に願っておりますので、道すじ・その佇まい等報告下されば幸いです。
葉が落ちたら確認調査隊を組んで赴きたいと温めております。
御教示何卒よろしくお願い致します。
返信する
私からも (みどり)
2014-10-20 10:58:28
elfenbeinさん、私も対面したくてうずうずむずむずしています。
場所が場所だけに、
ここコメント欄に大っぴらに書きづらいこともあるかと考え、
このブログの左サイドバーにメッセージ欄を設けておきました。
そこに書き込んでくだされば「ジャンプの友」さんには私から必ず届けますし、
私も夢のシルバーとのご対面となれば感涙ぽとぽとになるかと思われます。
ご連絡をお待ちしております。
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