マロッシの趣味の家

趣味のカメラや戦車のブログ

ブログで使う写真

2006年03月30日 23時08分16秒 | カメラ関係、撮影など
いつもブログをアップする時同時に写真もアップするのだが、
アップする写真は出来るだけ新鮮な物を使いたい。

その為には常に新しい写真を仕入れる必要があるのだが、
そろそろネタ切れ!

それと最近直ぐ眠くなるので昨日は日記もさぼってしまった。

新しい写真を写しに今週出来れば土曜日に撮影したいが
さて何を写しに行こうか?


画像はA200で写したJR武田尾駅構内

旧福知山線廃線跡 Ⅲラスト

2006年03月28日 23時02分41秒 | カメラ関係、撮影など
戦前の朝鮮併合に始まる朝鮮人労働者の事故死を知り詳しく調べてみると、
決して朝鮮人だけではなく出稼ぎの労働者など過酷な武庫川渓谷の
鉄道建設の作業で命を落とした歴史を知る。

本来なら今のJRが彼等を慰霊するべきだと思うのだが廃線後にはそのような事を知るべき手がかりさえ無い。

実は私は宝塚の中学校に通ったのだが、クラスには沢山の在日のクラスメートがいた!
ある日突然先生から金さんは今日から山本さんになりましたなんて事を何度か体験し
そのクラスメートの多くは武庫川沿いに住んでいた。
改めて歴史を知ると武庫川に関連した暗い歴史、仁川競馬場にあった軍事工場、
過酷な架線工事、武庫川の集落の強制撤去、事故死した朝鮮人の事を半ば差別的と思える記事にした当時の新聞。
知れば知るほど過去に体験した記憶とリンクして複雑な気持ちになる。

偶然の力で事故のあった77年後命日に私は呼ばれたのか?自分たちを忘れないで欲しいとのメッセージなのか?

画像は事故現場近くにあるトンネル

旧福知山線廃線跡 Ⅱ 悲しい話

2006年03月27日 11時16分20秒 | カメラ関係、撮影など
ショッキングな話だが武田尾に抜ける最後のトンネルは六号トンネルと呼ばれ
そこから武田尾に向かって右手に防護壁が現れる。

実は防護壁には小さなトンネルがあり何気に覗くと真新しい菊など花と線香がそなえてある!「誰か自殺でもしたのかな~!」と
想像だけでは納得出来ずネットで検索すると過去に過酷な労働に従事した朝鮮人の若者が氷結したダイナマイトを乾かす為
ここで焚火をしていた所突然爆発して数人が非業の死を遂げた場所との文章を見つける。

http://www.ne.jp/asahi/home/osarukun/zatuwa50-4.htm

ここの中の下の方にに現場の防護壁の写真もあるが私は気になって中を覗いたのだが場所は間違いない。

この文章が書かれてからすでに7年経つが事故の日付が1929年3月26日となっていて1993年に現場を調査に訪れた
この記事の著者は偶然命日の3月26日にここを訪れ、我々が行った日が2006年3月26日。

事故から77年経った命日に私は呼ばれたのかも知れない。
機会があれば供養の気持ちで花でも供えてあげたいと思った。

画像は現場近くで写した廃線跡

旧福知山線廃線跡 Ⅱ

2006年03月27日 10時36分07秒 | カメラ関係、撮影など
以前に北海道の林道で迷い込んだ廃道で見つけた朽ち果て雑草に埋もれた橋脚に比べると
毎週人の通うであろう廃線後はまだ幸せかも。
北海道では日が暮れ一人ではクマが怖くて見に行けなかったメガネ橋は
もう一度行ってみたい。

京都府の山奥にある廃村八丁、京大演習林にあるトロッコの線路後など
結構私は好きだ、

旧福知山線廃線跡 Ⅱ

2006年03月27日 09時34分58秒 | カメラ関係、撮影など
廃線跡には特別美しい風景がある訳では無いが、
桜のシーズンには花見で訪れる人も増えるそうだ。
私の好みはまばらにしか人に会うことが無い環境の方が贅沢で好きだ。

途中にある人面壁のある武庫川渓谷や百畳岩など子供の頃は有名な
観光地だったと記憶するが現在ではは寂びれていて見に来る人は少ないのでは?


Dimage A200

旧福知山線廃線跡 Ⅱ

2006年03月27日 08時59分55秒 | カメラ関係、撮影など
距離は7km程でトンネルの中は真っ暗で足元も見えないのに
ライトを準備しながら家に忘れてしまった間抜けな私だが、
カメラはしっかり準備していった。

実際に使ったのは3台だけ、しかしそれは予定していた事!
天候の変化に合わせ得意な色を出すカメラを使い分ける積りだった。
しかし生憎の曇天で思うように使い分け出来なかったが
この廃線跡はR-D1のカラーが似合いそうで出来ればもう一度行ってみたい。



Dimage A200

旧福知山線廃線跡

2006年03月26日 23時30分36秒 | カメラ関係、撮影など
JR福知山線の宝塚の隣生瀬駅から国道176号を暫く歩くと
旧福知山線の廃線跡を歩いて武田尾まで行く事が出来る。

小学校の頃遠足で汽車に乗って通ったトンネル!
二十歳の頃初めての冬山登山でもディーゼル車に乗って通った線路は既になく
残った枕木と風化した標識などに名残りを感じる事が少し出来る。

kimiさんとM.m.Kさんの三人でそんな廃線跡を歩いて来た。
カメラはあえて一眼は使わずA200を使用。
廃線跡の撮影には画質やノイズなど無関係!
軽量コンパクトなA200がベストだ。



Dimage A200