マロッシの趣味の家

趣味のカメラや戦車のブログ

三連休

2011年09月25日 18時52分44秒 | BMW

                                                                        



ありがたい事に、誰にも相手にされない人生ではなくて、毎週バイクに一緒に乗ってくれる相手がいる。


三連休の初日金曜日には、四日市市までマグロ料理を食べに行った!

大遠会館って大衆食堂風の店で1280円の、まぐろ定食を頂く。


                         

ごはんは私の体を見て勝手に大盛りって感じ(笑)

まあ、こんなもんかなって感じだった、本当は南紀勝浦に行く予定が、台風の被害で予定変更!

ネットで調べて行ったが、正直もっと、ガッツリ食べたかった!

味も富山でおぎおぎさんにご馳走になった海産物とは比べ物にならない。

まあ安くて豪華ってわけには当然行かないな!

                          

連休最後の今日も、二台で早朝ツーリング!忙しい(笑)

実はバイクのシートから袋に入れたアルファ55を落下!フィルターが割れて、レンズから外れなくなり

キットレンズをもう一本買ったが、高級フィルターよりも安かった!

そんなレンズでもこれだけ写れば立派なもんだ。


記憶

2011年09月08日 00時02分57秒 | Weblog

過去にロッコールで撮影した上の画像と、なんの繋がりも無い話だが、
今から30年程前の大昔、私はクライマーとして穂高の屏風岩に登っていた。

あまりに昔の話なので記憶がどんどんあやふやになっていく前に、
確かに経験した事として忘れないうちに書き残しておこうと思う。

当時山岳会所属の山仲間3人で、T4稜を150メートル程登った所が本当の屏風岩の取り付き!
テラスと呼ぶには広すぎるT4稜線上を歩いていると、仲間がヘルメットを見つけて拾った。

「誰だ、こんな所にヘルメット忘れて行った奴!」と言った直後に拾ったヘルメットを放り投げた。
良く見るとヘルメットは頭頂部が割れて、中には血のりが付いていたらしい。

私は中はあえて見なかったが、思い当たるふしがあって、T4稜には沢山のザイルが惜しげもなく切って
ビレーとして放置されていた。

肝心の登攀は、3人で手間取り時間切れで屏風岩の中腹のテラスにビバーク。
翌日から雨が降り出し、下部の一ルンゼを見ると、滝のようになっている!

確保するザイルに水が伝わり、カッパの袖から水が入って非常に不快だ。
屏風の登攀ルートから流れ落ちる水に登攀をあきらめ、300メートル程の降下を始めるが、
安全の為、一人ずつの降下で思うように降りれない、更に悪い事は重なるようで、
T4稜に降り立った時、回収するはずのザイルが、クラックに入り込み途中で回収出来なくなってしまった。

もう一度登って、回収するかで少々もめたが、嫌な予感がするとの意見でザイルを途中で切って回収
9mmの二本のザイルで40メーターを一回で懸垂下降する予定が、25メートル弱になってしまい、
下降ポイントのビレーまで届かなくなり、苦労してT4稜を下降出来たのは、日暮近くだった。

雪渓の残る急峻な沢を日暮に下降するのは危険と判断、T4稜取り付きにある、大きな岩小屋でビバークする事に。
多分無駄話などで、夜遅くまで話していたと思う。

ツェルトを被って眠りにつきかけた深夜恐らく2時頃だろうか、雨音に混じって足音が聞こえてくる。
「誰か登って来てる!」と言うと、全員起きてたみたいで、「確かに登ってくるな~!」との返事。

正気に戻って、こんな夜中に登ってくるのか~と足音を聞いていると、その足音は
ジャリッ、ジャリッっと我々の岩小屋の下で止まる。
5メートル程の高さにある洞窟からでは見えないので、「俺、ちょっと見てくる」と起き上がろうとすると
隣の仲間が「頼むからやめてくれと体を押さえる」

彼が言うには、もし本当になにか見ても、ここから逃げられないとの事。
確かに・・・・・・

その後全く音は無くなり、雨の降る音だけで、いつの間にか眠る。
夜明けと供に下を見るが、当然?何もいない。
登攀は失敗だったが、後に屏風岩登攀記と言う昭和30年代の本を読む機会があり。

そこには確かに、雨の降る夜に屏風岩の麓では無念の死を遂げたクライマーの霊の足音がすると書いてあった。