きのう 午前中は買い物とカフェ 午後は自主上映会にゆきました。多くの知人と会いました。10年ぶりの再会もあり 語りの会にきてくださったおかあさん方から声をかけていただいたりしました。カタリカタリの仲間とも会えて楽しい日となりました。
大田さんは 家永教科書裁判で、30年にわたり家永教授を支え 教育内容に対する権力の介入が日本の教育荒廃の病根であることを訴えました。教育とは教え諭すという上から目線のものではなく 子どもが自ら学んでゆくことをささえてゆくことだ....という視点、それはあたりまえのようで とてもあたらしいものにわたしは感じたのです。
その根っこに 太平洋戦争で 輸送船を米軍に撃沈され 漂流しジャングルをさまよった経験があるといいます。なすすべもなかった東大のいわばエリートだった大田さんに比して 農民兵 漁民兵は生きる力を身につけていた、それを目の当たりにした大田さんは いままで学んできたことはいったいなんだったのだと自問したそうです。
戦後 大田さんは 居場所のない農家の次男坊三男坊たちと青年学級をひらきます。そのなかに弟妹の面倒を見る必要から 高校にもいけなかったうらわかい女性がいました。青年たちは詩をもちより悩みを共有し ガリ版を切って機関紙も印刷するまでに成長してゆきました。ところが、女性は父親から 青年学級への参加を禁止されてしまいます。仲間たちは彼女を支えました。そして ある日 娘は思い切って 父に語りかけるのです。「とうちゃん かあちゃんとおなじようになるのはいやだ」と.......「オレだって話せばわかる」 娘は父の許可を得て小躍りします。そして大田さんの紹介で幼稚園の保母さんになるのです。その充実したしあわせそうな顔......彼女は自分で運命をきりひらいたのでした。わたしは その方に いつしか母のおもかげと長女のおもかげをかさねあわせていました。涙があふれました。
大田さんは毎週 一週間分の新聞の折込広告の重さをはかっています。その重さは欲望の重さなのだそうです。現代社会はなんとかしてモノを買わせようとします。そこでわたしはハっとしました。新聞をやめて2年 テレビをやめて9ヶ月 すっかりモノを買わなくなったことに気づいたのです。やっぱり知らぬ間に洗脳されていたんですね。わたしたちはいつのまにか国民・市民・人間から 消費者にされてしまいました。消費者は労働を金に変え金をモノに変えます。そのシステムのなかで次第に孤独になってゆくのだと太田さんはいいます。
では どうすれば わたしたちは孤独から逃れゆたかに生きてゆけるのでしょう。太田さんは考えます。基本的人権とはなにか.......それはいのちだ。ではいのちの本質とはなにか.....
① いのちはひとつひとつがちがう。
② いのちはじぶんから変わってゆく。
③ いのちはここちよくかかわる。 ひびきあう。
いのちは自然の摂理とともにある。太田さんは地域のミュージアム化をめざしてゆきます。ひとびとがよりそう場を模索してゆきます。ゆめとあこがれをで自分やまわりのひとをあたためながら......
著書を買いました。ぱらぱら めくったなかに あることばを見ました。柳田國男が 語ることは かかわること といっているというくだりです。...... ひびきでつたえる語り部としてはとても意味深いことばですが ネットで検索してもでてきませんでした。
ずっと 低調だったのですがなにか吹っ切れたようです。わたしの夢 あくがれる心持をかたちにしてゆきましょう。多くのひとのたくさんの夢 あこがれとひびきあって補いあい 助け合って生きてゆきましょう。
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