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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



リベルタンゴ → コチラ

アディオスノニーノ → コチラ

天使のミロンガ → コチラ

オブリヴィオン → コチラ

アヴェ・マリアTanti anni prima → コチラ

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   NHK関連がつづきますが てのひらのメモ いいドラマでした。ひとりの専業主婦が裁判員に選ばれる.....それは 仕事を優先し喘息の子どもを死なせてしまい 保護者遺棄罪に問われたキャリアのある女性の事件でした。 なぜ彼女は病気の子を置いて仕事に行ったか。さまざまな立場の裁判員のときに感情的な意見........否定的な証人の意見 四面楚歌の被告人  名作 怒れる12人の男たち を彷彿させる展開です。

   専業主婦の主人公(田中好子さんが好演)が冷蔵庫の中の抹茶アイスクリームの存在に疑問を持ったことから 急展開します。時間の関係でひとりひとりの裁判員のバックボーンが十分描けなかったのが残念でした。主婦の....(わが身を振り返ったとき) わたしに彼女が裁けるだろうか!? という静かな述懐に作者は思いをこめたのではないかと思います。裁判員制度もまた アメリカの押し付けであると聞きました。
(死んだ男の子が実は実子ではなかった というのは蛇足であるように私的には思いました。)

   NHK杯 エキシビジョンで真央ちゃんの演技が見られてよかったです。”豊の部屋”で樋口豊さんが真央ちゃんの前で泣いてしまいました。「真央ちゃん がんばってるね」って......真央ちゃんは困ってしまったようですが......豊さんはファンの気持ちを代弁してくれたような気がしました。

ユウチュウブ →コチラ
   
   NHKの中継は 満遍なく選手の演技を見せてくれて 解説も節度と選手へのやさしさがあふれていて とても好きです。フジやテレビ朝日だったら真央ちゃん 泣かされてしまったかもしれません。浅田真央さんは試練を神様から与えられるひとなのでしょう。それは真央ちゃんに重い試練を乗り越える意志とチカラがあるからです。



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 きのうは語りを前にして眠れなくて 今日は語り終わって まだ眠れない......もう朝なのに......わたしのなかで目覚めているのはだれ? こんな夜はちあきなおみを.......聴いてみる.......うたってみる  極めて上質の語り

   アコーディオン弾き → コチラ

   伝わりますか→コチラ

ラ・ボエーム → コチラ

   そっと おやすみ → コチラ

おやすみなさい.....




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    きのう イリスの竪琴第三部”風の竪琴”を読んだ。この本が絶版になってしまったのは惜しいことである。なぜ読まれないのだろうと考えるに 展開の遅さと表現の複雑さにあるのではないか。ものがたりは往きつ戻りつしつつ 細部の美を描写する.


    雪と氷のエーレンスター山 のどかなヘド 恐ろしくも美しい大地のあるじたち わたしにはとても書けないイメージとことばと色彩の奔流である。ものがたりのながれを見失ってしまいそうだ。マキリップはゲド戦記を書いたル・グインを師とあおいでいたのか 風の竪琴に登場する女魔法使いナンは彼女がモデルという。けれど ふたりは決定的に違う。


   文学には少なくともふたつの側面がある。たのしませることとメッセージを伝えることだ(とわたしは思う)。どちらも不可欠だが たいていどちらかに比重がかたむいている。そして ひとの心を打つメッセージ性があり そのメッセージを支えるだけの骨格とデティールのある作品が生き残る。

   文学を語り部に置き換えてもよい。語り部とはストリーテラーとして聴き手をわくわくさせドキドキさせ愉しませる側面と(大いなるものの、死者の、虐げられたものの)メッセンジャーとしての側面がある。どちらも不可欠だが たいていどちらかに比重がかたむいている。しっかりした骨組み(起承転結、序破急)とデティール(ことばのうつくしさ 的確さ)それを支える 声のひびき 声を支える身体.....


    マキリップのイリスの竪琴は"大いなる者"からその世継ぎへ世界が継承されることにまつわるものがたりであり、自己を知る、光と闇などのテーマを持つのだが メッセージ性も骨格もさておいてストーリーは谷間を迸り時に逆流しうたいながら大河となる。......そして デティールのうつくしさ、一滴の煌きはたとえようもない。

    ル・グインのゲド戦記はハイタカやアレン(男性)テヌーやテルー(女性)の真実の自己を知るものがたりであり、先に進むものからあとにつづくものへの継承のものがたりであり 光と影 生と死 相反するものが対立し、やがてひとつにまじわり完結する  生と死 光と闇はたがいに光を与え合い奪い合い 永遠に輪廻生成するという壮大なテーマと骨格を持つ。


    読者としてはどちらも捨てがたい。でも 語るとしたら ....一期一会のまたとない機会に どうしても伝えたいことがある。まずある。デティールまでとても神経が行き届かない。声のひびきもいまいち 身体はようやくひとなみになったところで 語り部として わたしが望む身体とはほど遠い。どれもこれも中途半端でまだまだ。

      それでも語る。それでも語りたい。





http://koujiyama.at.webry.info/201009/article_6.html

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    日曜日お昼前の静かな時間 イルスの竪琴...海と炎の娘を読みました。パトリシア・マキリップのファンタジー....わたしこのシリーズ大好きです。ことばの麗しさ 比喩のゆたかさには特筆すべきものがあります。 そうした意味では ゲド戦記より楽しませてもらいました。

    魔法学校の学生で謎の解き手であるモルゴンはヘドというのどかな農業国の領主でもありました。ところが彼は....宿命の星のもとに生まれた”星を帯びし者”だったのです。ヘド、アンをはじめ国々は”偉大なる者” の見守るなかで調和を持って暮らしていました。......ところが......

    モルゴン、その許婚でアンで二番目に美しいレーデルル 偉大なるものの竪琴弾き、デス 偉大なるもの 大地のあるじたち 多数の登場人物の織り成す一大叙事詩 といいましょうか うつくしく豊かな不思議の世界を構築したマキリップは力のある作家...アイルランド出身だったと思います。
実はわたしは どのファンタジーよりずっとずっと熱心に何度も読みました。それでこの三冊の本は”デミアン”とおなじくらいボロボロです。

    テーマはなんだろう 成長譚 失われしものへの愛 父と子のものがたりでもあります。ふしぎと母は影が薄いのです。絶版だと思いますが 気になったらぜひお読みください。挿絵は山岸涼子.....じつにものがたりとあっています。萩尾望都のタニス・リーの表紙絵もすばらしかったが 挿絵画家としては山岸さんに一日の長がある ものがたりととけあい ものがたりをよりうつくしくしています。

    午後 子貝川にでかけました。CIMAIのパンを買って フルーツとチーズと飲み物 籠に入れて.....岸辺にシートをひいてからだをあずけると 大地と空にからだがとけてしまって わたしの重みはきえてしまいました....こんなしあわせあるだろうか......おきて うたいながら土手をあるきました。すると とおくで犬も遠吠えしてくれました。

    草の土手をむすめがひとり 彼岸花の花束を胸にそそくさと車にはしってゆきます。見れば 土手の低まったところに石の祠があって参道のように彼岸花が一列に赤い花を咲かせていて やせた青年がしゃがみこんで熱心に掘っています。思わず 「その花はやめたほうがいいですよー」 と叫びました。

    石のお社はこちらを向いてはいません。つまり川を拝むようになってはいない....もしかしたら死者を祀ったのではないかしら......彼岸花は死人花といわれ うつくしいのに忌み嫌われました。彼岸花の真紅が音もなくしんと咲いているのに出くわすと ドキリ としませんか? 件の青年は 「はい わかりました」 と素直に去ってゆき ”恋人の無心に応えようと一生懸命だったのね ちょっと脅かしちゃったかな”....今度は髪振り乱し「おめぇさま その花ばかりはよしなされ....その花にはなぁ.....」とやってみようかと.....。




   

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    マイケルのTHIS IS IT で活元したあと WOWOWで佐倉儀民傳の録画放送を観た。平成中村座のコクーン歌舞伎 宗五と子どもたちのハリツケで終わるのかと思ったらつづきがあった。
びっくりこいて 最後には涙

出演者総出腕をつきあげのラップシーン! 

ソウゴの死は無駄死にだったか
ハシレ ソウゴ モットハシレ
ソウゴノシコウサクゴ はつながっている
サクラノギミン シブヤのジャクシャ
オレタチのジュウネンゴ チノミゴのニジュウネンゴ ....センネンゴ

アメリカグンノイルニホンレットウ 9 1 1 ハナンダッタカ

「今 起きていることに目をつぶるな 今 起きていること 今 行動することは 子どもの未来 日本の未来につながっている」のメッセージ

メインストリームでこんなことやってる
ドキドキした 感動した
どっこい 芝居はまだ生きてるじゃないか

もっともこんなことでドキドキするなんて
テレビの思考統制がどれだけすすんでるかって
ことなのだけど。


鬼姫さま 佐倉惣五郎はもう語らないの?
わたし 語ってしまいますよ わたしの佐倉惣五郎。




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    三回目を観ました。前半は低調で眠りそうでした。後半 紫のひと 速水さんの歌から一気に盛り上がった。歌が流れを変え、芝居の勢いをつくった。観ていて不思議だったのは月川さんの”麗”......途中から麗はいったいなにを考えているのだろうと”麗”の視点で見ていました。

       男装の麗人 麗を演じた月川さんは男性です。

    初回 わたしは月川さんに対して否定的な意見を持っていました。月川さんだけ おなじ時間軸にいなかった、テンションもまったく違っていて それが不遜に見えました。二回、三回と回を重ねるうちに月川さんがその都度 ニュアンスの違う演技をしていることに気づきました。マヤと桜小路くんと麗のからみが三回観て三回変わる......。興味を惹かれました。
   
    漫画が原作であるということにはさまざまな制約があります。読者の登場人物や原作に寄せるイメージを大事にし、なおかつ原作を知らないひとに違和感を感じさせない、芝居として成立させなくてはなりません。脚本家も演出も原作を芝居にするための努力を惜しみませんでした。主演の三人を筆頭に、出演者は原作に忠実でした。月影先生、執事 歌子さん マヤ 亜由美さんは原作の延長線上にいます。

    そのなかで”麗”と”桜小路くん”だけが違う。(桜小路くんも真面目な優等生タイプの原作とは違って、ボケキャラで 客席の笑いをさそっています。)プログラムを買ってみたら 月川さんはあえて原作を読まなかったそうです。   

    この芝居のテーマは”生きること”と”情熱”のようです。月影先生が速水さんに言う台詞「あなたはなにかに情熱を賭けられるということがどんなにしあわせかわからないのよ」にもあらわれていますが、ガラスの仮面は月影先生とマヤ このふたりの”情熱”に周囲がまきこまれてゆく....相当にKYで浮世離れして勝手なヒロインふたりにまわりの人間たちが引き込まれ影響を受けて 愛憎や葛藤が起きてゆくという流れになっています。

    速水の父は 月影千草の”紅天女”がわすれられず、そのために母を失った速水もまた月影千草の弟子マヤに惹かれ 恋するようになってゆく 親子二代がファムファタルに幻惑され運命を狂わせられてゆくというこわーーいお話なのです。

    速水だけではありません。月影千草の執事 源蔵も月影千草の夢、紅天女を見とどけようと決めていますし、姫川亜由美はマヤにであったがために煩悶し運命を狂わせられたといってもいいでしょう。

    原作は別として この芝居においては”麗”だけが醒めた目を持っているように、わたしには見えました。そして麗の過去 麗が月影先生に抱いている思い マヤへの思いを考えずにはいられなくなった.....”麗”が生きていたからです。麗は 月影先生とマヤの対極にいる。 熱に浮かされたひとびとのなかで たったひとり あたたかいけれど 透徹した醒めた目を持っている。そこにあるのは哀しみ...のように思われました。

    この芝居のテーマ ”生きること”がしっかり観客に伝わったかどうかはわかりません。おおがかりな仕掛けにかえって拡散したきらいもあると思います。 そのなかで、わたしは”麗”という存在が果たしたやくわりは大きいと思うのです。愛する 憎む 嫉妬する 戦う そのせめぎあいのなかで生きてゆく登場人物たち......情熱で自らを煽りながら 混沌をいわれない修羅場を、腕を振り上げ遮二無二進んでゆくしかない登場人物は、そのまま わたしたちの現実の姿にかさなります。

    今日は観客全員がスタンディングオーベーション.....客席にもステージにもおだやかなあたたかい光が満ちているようでした。けれども 明日の千秋楽のチケットを買おうというひとはいなかった。芝居ってほんとうにおもしろい。(一昨日の観客はすばらしかった。舞台と客席の呼吸 観客が舞台に息吹を与えるってことも、たしかにある)そして 歌ってほんとうに力がある。もっと がんばってみようと思います。もっとお客さまを楽しませ もっと聴き手のみなさまの心を揺さぶることをしてゆきたいと心の底から思いました。

    ありがとう。楽劇・ガラスの仮面を企画したみなさん スタッフのみなさん キャストのみなさん いい千秋楽と打ち上げをお迎えください。





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    なぜか 気になって一週間前の観劇の帰り チケットを買ってきたのだけれど.....おもしろかった、よかった、同じ芝居とは思えないほど!!

    これだから 芝居はおもしろい。別の芝居を三回観るより 同じ芝居を三回見るほうが見になることがある。角度とか位置とか変えてみると余計おもしろい。今日は左から観た。正面から見るより立体的に見える。

    ステージと客席をあわせた全体が舞台になっている。客席でせりふのやりとり 通路が花道になったりする。それが とてもはっきりわかった。彩の国劇場の大ホールは決して広くはない。だがステージの奥行きはひろい。そこを知り尽くした蜷川さんの構成だった。今日は歌もよかった、思いをつたえたい、そこが歌になっている。

    語っているうちにうねりのように歌になる。月影先生の尾崎一蓮・演劇への想い 速水さんのマヤへの想い、歌子さんのマヤのヘレンに寄せる想い マヤと亜由美さんの演劇という道への想いが切々と伝わってくる.....それぞれの役者 主役も脇もその他大勢にも見せ場が用意されている。蜷川さんの役者への目線はやさしい。前回にくらべて今日の観客は観客そのものが劇に出演、参加しているという状況をたのしんでいた。

    前回とせりふとか微妙に違ってもいた。今日はマヤと亜由美さんの演技の差が見えた。この芝居のメッセージ....演劇とはなにか、なにができるか....昇華作用、カタルシス ひとがひとに手をさしのべることなどもしっかり立ち上がっていた。こうして3週間? ひとつの芝居をつづけられること、練り上げてゆけることがうらやましくもあった。地元の劇団でせいぜい三度、語りにおいたってはたった一度の勝負がほとんどだ。演目によっては、後にも先にも生涯一度で終わってしまうものもある。

    芝居はハーモニーである。その日の観客 その日のコンディション 裏方さんや出演者たちのコンビネーション.....今日はほんとうによかった。客席にさざなみのような笑いが幾度もあがった。.......感じたのはわたしだけではなかった証拠に 前回 ひとりもいなかったチケット売り場に 終演後、残りの上演日のチケットを求めるひとたちが行列していた。.......いい芝居をすればお客はかならずきてくれる。




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   漫画楽劇スペクタル!! とでもいいましょうか。歌あり 踊りあり 劇中劇あり 紅天女の宙乗りどころか、北島マヤと姫川亜由美も宙を舞う サービス満点のお芝居でした。

   夏休みなので楽しませようという心意気は感じましたが、通路を舞台の延長上に使うのはいいけれど使いすぎかな....アカデミー演劇賞授賞式にその日の観客を観客としてとりこむのも 観客が乗っていなかった.....日本人はシャイなんですね。

   月影先生の夏木マリさんはさすが、鍛え上げられた姿態と口跡がうつくしい。なんだか己がボディが恥ずかしくなりました。姫川歌子役の香寿たつきさんも美しかった。総じてルックスは足が長くて顔が小さくて少女漫画の世界....。

   問題は主役ふたりです。.....もともと”役者は仮面をかぶるものではない”から原作にも無理があるのですが、あの大げさな貼り付け演技では観る側の感情移入がしにくい。たのしませようという気持ちはわかるけれど 仮にお客が子どもだとしてもなめてはいないだろうか(マヤ役の大和田さんは一生懸命でした、演出がちと違うのでは....)と思ってしまいました。ガラスの仮面・北島マヤの演技では...大竹しのぶさんが忘れられません。大竹さんはそのままマヤ...今日本の演劇界でいちばん力のある女優さんです。

   オーディションでえらばれたということですが もっと素人で素質のあるひとをえらび 女優に育てていくというのは無理だったのかな.....この演技になれてしまうと藤原タツヤくんみたいにテレビや映画では浮いてしまわないかとつい心配してしまいます。

   劇中劇のヘレンが文字の意味を知る”Water”の場面がよかっただけに 少し余韻がほしかった。カーテンコールを見て月川悠貴さん(劇団月影の麗役)はなにか間違えている と感じたのはわたしだけでしょうか。.....ダメ出しばかりしてしまいましたが 楽しませていただきましたし 参考になることもたくさんありました。月影先生に「演劇は戦いをなくすもの 欲望を浄化し ひとをよみがえらせるもの」というせりふがあって、これは魂鎮め 魂振い そのものだなと思いました。


   お芝居の主役はマヤではなく ズバリ月影先生でした。......帰り ビストロ・やまでコーヒーとサンドウィッチをいただきました。


ガラスの仮面公式ブログは→コチラ   

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    きのう病院もリハーサルもひと段落したので 中学の図書ボランティアでみなさんが話題にしていた「告白」を読んでみました。

    5人の6つのモノローグで成り立つ小説で 読み終えたあと 全体像が見えるようになっています。作者は当初 第一章森口先生の独白だけで終わらせるつもりだったようですが、全体を見ると 若干の無理は否めません。とくに最終章 には違和感がありました。

    けれども いささかの齟齬は日本のミステリでは有りがちなことです。ミステリには緻密な構成が不可欠ですが 日本には情感・雰囲気・勢いで押してしまう量産作家も数多くおります。ですから そこをとやかくとはいわないのですが 読後感は最悪でした。この本で感動する方、なにかを得られる方もおられると思いますので褒めるならいざ知らず 多くを語るつもりはありませんが、文学の意味は単なる時間つぶしでしょうか。

    新作の語りをする前 多くの本を読むことになります。背景を知れば知るほど深くなるからもありますし 読まずにはいられないなにかがあるからです。それが近年はノンフィクションに類する本が多くなりました。今回は戦争と平和がテーマですから ひとの魂のありようが見える事実のものがたりをたくさん読みました。事実のまえに虚構は色あせてしまいます。だからよけいに 告白 に嘘くささを感じたのだと思います。

    語りとは真実を伝えるもの 事実から真実を伝える そして 虚構から真実を伝えるものでもあります。虚構から真実を伝えるには ものごとの奥を見通す力が必要です。自分のなかに軸が必要です。

    告白のなかで唯一心を動かされたのは 下村直樹という少年が必死で家族を感染から守ろうとするところ そして渡辺修哉の執念でした。.....湊かなえさん 力のある作家だと思います。今後の精進を祈っております。

    

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    むさぼるように読んだ。河童・天狗・神隠し。 そして銃後 さらに 木霊・蛇・木の精霊・戦争と木.....

    松谷みよ子さんの仕事。後世に誇りうる仕事である。なにより素晴らしいのは脚色なしで ありのまま 庶民の述懐 つぶやきを たくさんたくさん 文明の洪水が押し流してしまう そのきわに掬い上げてくださったこと。

    あらためて 日本という国 木が泣き 語り 蛇が女人へ想いを遂げんとし 河童がほんとうにいたこの国を想う。精霊たちはいったいどこにいってしまったのだろう。

    そして また そこには きれいごとでないいくさがあった。 ひとというものの弱さ醜さけなげさ、たくましさが小川の底に敷き詰められた小石のように光と影を湛えているのだった。わたしはそのなかをさがし求める。8.11につなぐものがたりのひとつぶ ひとつぶを手にとって吟味し 深く味わう。

    それだけでなくて 「妹たちのかがり火」や「朝鮮人特攻隊」のなかからも選ぶ。......わたしの知らない歴史がある。......本のなかに小泉純一郎の父 鮫島純也の消息を見つけてはっとする。亡霊とであったような......歴史に名を残す....にしても、汚れた名であるならそれは子々孫々にいたる恥である。

 

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.......きのうのバンドネオンの演奏が忘れられなくて....演奏だけでなく 曲そのものになにかがあるような気がして 調べていたら フィギュアスケート2010年世界選手権でラウラ・レピスト選手が踊ったのがピアソラの”アディオス・ノニーノ”(甘い編曲でしたが).....だったんですね。

   明子さんも ユリア・セベスチェン選手も”リベルタンゴ”をつかっています。浅田真央さんが踊ったら どんなだろう....と想像してしまいました。


三浦くんの演奏も魅力的だったけれど、やはりきのうの輝きはピアソラの曲でした。胸が締め付けられるような旋律.....苦痛と赦し 不安、悔恨、憧れ、悲しみ.....ピアソラは天才でした。タンゴを変えた男、ピアソラの死とともにタンゴは止まった...といいます。

(以下の映像はフィギュアスケートではありません)

アディオス ノニーノは→コチラ 

リベルタンゴは→コチラ

そしてもうひとつ忘却(オブリヴィオン)→コチラ

それとも.....Oblivion→コチラ 

ピアソラのアヴェ・マリアは→コチラ 

3年前の三浦一馬君のオブリヴィオンは→コチラ

オブリヴィオン→コチラ

ピアソラ中毒になりそう。。。

おまけ ジェフリー・バトルのアディオス・ノニーノは→コチラ

ピアソラ研究家 斉藤さんのHPは→コチラ

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    14:00から粉川ホールで三浦一馬さんのリサイタルがありました。三浦さんは20歳になったばかりのバンドネオンの奏者....バンドネオンはタンゴの演奏につかわれる楽器です。

     携帯でとりました。粉川ホール 天井 窓はステンドグラス

    粉川ホールは個人のホールです。個人でホールを持てるなんて素敵!! 芸術のパトロンたらんとするのは最高の贅沢ではないでしょうか? まるでその昔の王侯貴族のようですね。 粉川ホールは4間×7間の縦に長いホールで天井がとても高い。音響はよかったです。靴を脱いで入るので、響きが空気伝導だけでなく 足の裏からも伝わってきます。三浦さんは卓越した技術と熱いハートの持ち主でした。しなやかな身のこなしがうつくしい、全身で弾いています。

    アルゼンチン・タンゴをライブで聴いたのははじめてでした。最前列だったのもあるのでしょうか。身体の深奥まで響きに充たされ からだは熱くなる 涙は流れる......指先がかってに踊りだしてしまうのです。音は光そのものなのでしょうね。きのうのヒーリングのあと 首がおかしかったのが 演奏会のあと 治っていました。一曲一曲について 合間にトークでストーリーが語られます。それがとても(語り部として)勉強になりました。

    たとえばリュートの水戸茂雄先生はリサイタルでは 最小必要限度しか語られません。演奏家の仕事は演奏することだとお決めになったように.......それが先生の矜持なのでしょう。それはそれで潔い....でも曲の背景のストーリーを聴くのもよいものです。

    プログラムについて三浦さんは、こういいます。「バンドネオン=タンゴではなく ひとつの楽器として 可能性を追求したいのです。」そのとおり ラプソディインブルーは圧巻でした。バンドネオンひとつでオーケストラのパーツをうたわせる、トランペットの輝き.....才能を感じました。割れんばかりの拍手。現状の打破 可能性の追求、挑戦し続けることは若者の特権です。

    けれども バンドネオンも有名なピアソラも知らなかったわたしが 感動したのはピアソラの三曲のタンゴでした。こんな幸せ あっていいのだろうかと思うほど 至福そのものでした。ありがとうございました。

       本物はもっとすてきです、ステージではとても背が高く見える。


プログラム

①オブリヴィオン
②アディオス・ノニーノ
③グリス・デ・アウセンシア
④さよならのワイン
⑤名もなき英雄
   休憩
⑥ルーマニア民族舞曲
⑦アヴェ・マリア  カッチーニ
⑧タンディ・アンニ・プリーマ
⑨ラプソディ・イン・ブルー
⑩三つのプレリュード

三浦一馬HPは→コチラ

TV 出演予定
トップランナー 放送日 NHK総合/23:30~23:59
心の都へ-スペシャル-美しき古都…千年の旅人 2010.07.11 日本テレビ/16:30~17:25


........夜 帯津病院に向かいました。驚いたことに顔色がピンク色になっていました。
アイスクリーム5さじ食べられたそうです。くつしたをはいていました。神さま ありがとうございます。



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.......ストーリーテリングかおはなし会のグーグルアラート(気になるテーマのニュースや記事が送られてきます)あるいは検索で さすらいのアラスモン...のコンサートがあったことを知りました。語り手さんは旧知の方でしたが、さすらいのアラスモンというタイトルが気になって、アマゾンで手に入れようとしたら.....なんのことはない、昨年読んだ本でした。

   ちくま文庫の”ビクトリア朝妖精物語”というアンソロジーのなかの一篇で、ケルト的な哀愁をおびたものがたりです。 

.......アラスモンは竪琴をつまびき、妻のクライシーは歌をうたって諸国を遍歴しておりました。白と金の衣装に身をつつんだふたりは、若く美しく、見事な楽の手練れでありました。楽の音はひとびとの胸に響きひとびとは喝采し祝儀をはずみ....ふたりは自分たちのなりわいに喜びを持ち、幸福そのものでした.........あるとき、さびれた村に通りかかったふたりは その村に呪いがかけられていることを知ります。使い魔たちの呪歌を聴いたクライシーは寸分たがわずその歌を歌うことで、村にかけられた呪いを解いてしまいました。ところが、怒った使い魔たちに こんどは自分が黄金の竪琴に姿を変えられてしまったのです。

    妻の姿を見失ったアラスモンは枝にかかっている輝くばかりの竪琴をみつけます。クライシーは愛するアラスモンに自分がここにいると叫ぶことも歌うこともできません。「わたしはここよ、ここにいるのよ」クライシーの心の叫びは狂おしい竪琴の響きとなるばかり.....アラスモンは妻とも知らず 見事な音色の竪琴を気に入り肩にしてクライシーを探す旅に出るのでした........

    さすらいの果て、王都にたどりついたアラスモンはその琴の音で王を喜ばせ、居並ぶ楽士たちのだれひとりかなうものはありませんでした。しかし王の寵愛をねたんだ楽士たちが琴を盗む相談をしているのを偶然聞き、王宮を後にするのでした.....アラスモンが星〃の瞬く丘で琴を弾いていると 疲れ果てたようすの赤子を抱いた女が傍らで耳を傾けます。琴の音色に元気を取り戻した女はこう語り始めました。

    「....夫がいくさに行ってもう1年になるの。でも きっと帰ってくる、この丘を越えて帰ってくる だからあのひとが行ってしまったこの場所で待ちつづける.....あなたも元の場所に行ってごらんなさい。奥さまにきっと会えるわ」......アラスモンはクライシーが姿を消した村に向かいます.....あんなにさびれ貧しく暗かった村が 見違えるように緑あふれるゆたかな歓びの村に変っていました。

     村人たちはこの村を救ってくれた夫婦を忘れてはいませんでした。神々のように神々しくわかく美しかったふたり.....けれどアラスモンは髪に霜を置き、老いぼれやせさらばえていました。アラスモンはクライシーを見失った草地で身も世も無く泣き崩れました、すると琴の弦が震え、梢でクロウタドリが歌いはじめました。アラスモンはその旋律に聞き入り、震える指でそのうたを寸分たがわずひきはじめました。その歌こそ使い魔たちの呪歌だったのです。最後の音が空中に消えると同時にアラスモンの身体は崩れ落ち手から竪琴は滑り落ち.....息も絶え絶えのアラスモンの目に 探し求めた愛しいクライシー.....わかく美しく輝かしい昔日のままのクライシーがうつりました。

     「クライシー、クライシー やっと会えたね」それがアラスモンの最後のことばでした。クライシーの心臓も砕け散りました。.......翌朝、村人たちは金のえにしだと紫のヒースの褥で抱きあって死んでいるふたりをみつけました。男は老い 女は青春のさなかにあるように見えましたが、ふたりの顔にはおなじように微笑みが浮かんでおりました。

........かいつまんでおりますので ぜひ実際に手をおとりになってお読みください。ヴィクトリア朝妖精物語は絶版ですが岩波少年少女文庫から出ているようです。この物語はケルトの民話でも昔話でもない モーガン夫人の書いたファンタジーですが ケルト的な雰囲気にいろどられています。ケルトといえば悲劇、これでもかこれでもかと主人公たちを悲しいさだめに突き落とすものがたりばかりです。3年前 クレヴィンの竪琴というものがたりを語りました。英雄コルマックと美姫エイリーの悲劇....歌を三ついれました。

    アラスモンを語った古都さんは、ハープとソプラノ歌手の方とコラボなさったようです。もともと吟遊詩人....は竪琴を弾き 歌をうたい ものがたりを語ったのですが、それを三人でするのもおもしろい試みだなぁと思いました。日本でも そうでした....楽器を奏で 歌い語って遍歴したひとたちがいました。

    楽器を自分の身体の一部になるまで習熟しないと その操作に囚われてしまってものがたりに集中ができません。昔ながらの語り部のように語り、歌い、奏でたいと思ったわたしですが、すでにビウエラをあきらめてしまいました。もっと若かったらあきらめなかったと思います。これからの語り手さんはどうぞチャレンジしてくださいね。ともあれ、アラスモンにひかされてちくま文庫を7冊頼みました。今日あたりから届くことでしょう。......残念なことに語り部となってから昔の読書子としての喜びは薄くなってしまいました....語りたいものがたりを探すのに鵜の目 鷹の目になるからです。 ただものがたりの世界に浸るその喜びのために読みたいものです.........窓の外ではクロウタドリならぬウグイスが澄んだ声で歌っています。



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   きのう 国立劇場に行きました。 34年ぶり通し狂言『金門五山桐』 橋の助 扇雀 をかぶりつきで観ました!! アクロバティックな趣向あり、てづまあり、どんでん返しありでとてもわかりやすく

 中村橋之助が、「家の芸」でもある大盗賊石川五右衛門にふんして「つづら抜け宙乗り」を披露-

「浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種はつきまじ 」
「絶景かな 絶景かな」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2010022002000211.html

   かぶりつきのせいか、舞台の役者にはオーラがあることを実感しました。びんびんくるのは橋の助 扇雀....三役をこなした橋の助さん惜しむらくは口跡....そして他の方よりすこし早口 扇雀さんも三役だが位取りがみごと、奥方の高貴、やさしさが匂うがごとく。 町娘りつのういういしさに目が点、ただし立ち役は...。

   4/1の桜会...さくらえに篠笛奏者の海松ふみゑさんが出演してくだsることになりました。桜にまつわる4曲演奏の予定。打ち合わせするうちにこちらもやる気が出てきました。書き下ろしの”サクラの絵” ものがたりが変わってゆきます。切なくやさしく.....。


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