goo blog サービス終了のお知らせ 
遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   11/3初日の国立劇場、11月歌舞伎を観てまいりました。こちらも芸術祭参加作品です。少し時間に遅れました。案内の方が扉を開けますと、そこは極彩色の世界、みずいろ、金、紅.....富士に松、外郎売りに身をやつした曽我兄弟、仇の工藤、傾城、遊女.....絢爛たる美々しき異世界....なのになつかしく揺さぶられる世界......わたしは思わず ウォー...と叫び声をあげ、なんてウツクシイ..... と呟いたのでした。


   傾城の立ち姿のうつくしさ....宝塚の名男役、轟悠さんが「無理な姿勢ほどうつくしい.....」とおっしゃっていましたが、傾城の後ろを振り返りながら半身を30度もそらせるその姿勢を保つにはどれだけの基礎体力が必要でしょう。方々は10分のあいだ 微動だにしないのです。囃子方の退場場面ですとか随所にいかにうつくしく見せるかの工夫があって、ただただ感心するばかり....でした。

   二幕目の反魂香は近松作(団十郎の又兵衛、藤十郎のおとく)......大津絵....江戸時代のイラストのようなもの.....で細々生計をたてている又兵衛が、弟弟子の修理の介が、師匠の苗字と印可をもらったことを聴きつけ、女房のおとくとお師匠に直訴にやってまいります。又兵衛はひどいどもりで、立て板に水の女房おとくに代わりに思いの丈を言わせるのですが、師匠は首を縦に振りません。画業で手柄を立てよというばかり.....大事な役目も どもりのために修理の介に持っていかれ、見苦しいさまを 師匠にひどく叱られた又兵衛は自害を決意します。

   手が二本、指が十本、ちゃんとあるのに、どうしてどもりに 生まれたのやろ.....この場面....おとくの又兵衛に寄り添うさまに わたしは涙をぽろぽろこぼして泣いてしまいました。

   死ぬまえに 絵を描くようにおとくに言われ、又兵衛は精魂こめて手水鉢に自分の似姿を描きます。もはやこれまで.....となったとき、水杯をと....手水鉢に近寄ったおとくは 夫の描いた似姿が手水鉢の反対側に透っている奇跡を目の当たりにします。師匠も又兵衛の絵の力に驚き喜び、名と印可を与えたうえに、用意してあった見事な装束、刀をふた降り与えるのでした。又兵衛は小躍りして喜び、観ていたわたしたちも ほっとするのです。

   最後の大津絵道成寺は舞踏劇で、このたび文化勲章を受章された山城屋こと坂田藤十郎さんが五役を踊ります。おいくつになられたのか....みずみずしい色香、愛らしさ.....おじいさんが娘をうつくしく演じる.....こういうのは世界的にもあまりないでしょうね。心配なのは弁慶役の中村鶴亀さんがバタリと倒れ、これも演出家と思いきや 黒い幕がするするでてきて 運び去ったことです。なにやら血のあとらしきものもあり、心配です.......しかし主役のひとりを欠きながら舞台はとどこおりなく進んでいくのでした。

   400年の長きにわたって同じ演目を演じ続ける、世界でも例を見ない歌舞伎の様式美、浄瑠璃(語り)と囃子と役者がひとつになってつくる世界......観客と歌舞伎のあいだには暗黙の約束事がありました。見得を切る、拍手喝采 贔屓への掛け声、太鼓の音は雪や討ち入りの効果音でした......江戸時代、ひとびとは金持ちも貧乏人もお芝居が好きだったようです。多くの名優たちが同じ芝居、同じ役を演じることで、役者として負けられない意地もありましょうし、観衆も見る目が肥えてゆき、十八番はますます磨かれていったのです。

   正直 わたしは ことばもろくろくわからないのに こんなに感動するとは思いませんでした。現代劇の比じゃないおもしろさと汲めども尽きせぬヒントの数々が、伝統芸能にはあります。......たとえば歌舞伎では踏む 力をこめて踏むようにドシドシ歩くシーンがあります。舞踏はことばとおり、舞うと踏むで成り立っていますが、これが歌舞伎や能...猿楽....田楽....と芸能の歴史をさかのぼってゆくと踏むことで悪霊を追い出した田楽のルーツ”田遊び”につながるのではないか。

   あるいは 役者さんたちの芸を磨く研鑽の姿勢とその陰の圧倒的身体能力...マイケル・ジャクソンのムーンウォークもできるんじゃないかと思います。役者さんだけでなく、語りも全身で語る、真っ赤な顔で汗を拭きながら語る......全身の芸。日本にはたくさんの役者さんがいます。たいがいはロシアや英国やアメリカの方式で学ぶわけですが、一部を除いては伝統演劇の役者さんにその存在感でかなわないように思います。400年の歴史 日々をその世界で過ごす....という特殊な環境でもあるのでしょうが、そのノウハウを一般にも公開してもらえないかな....と思うしだいです。

   能は芸術だけど歌舞伎は.....という方がいまどきいるかしら。昔、能は武士のもの、歌舞伎は町人のものというたてまえのようなものがあってその名残なのでしょうが、たとえ 土地に伝わる神楽であろうと、口説きであろうと、観るひとの心を打ち 喜ばせ泣かせ ”あしたもがんばって生きてゆく力”になるのなら それは芸術なのだろうと思います。
 

   ........そして、わたしは一年と7ヶ月前 語り手たちの会の理事をひいて、ほんとうによかったと今思っています。やりのこしたこと、語り手が自分を磨いてゆくためのプロセスについて、もっとみなさんと考え あたらしくてふるいものを導入してゆきたい、あるいは地方の会員さんにもっとなにかできるのじゃないかと考えていました。それを放り出したことに一抹の罪悪感のようなものがあったし、わたしの語り....創作やパーソナルストーリーについてみなさんに問いかけたい....という想いもありました。

   けれども、場所というものがあります。わたしのいる場所ではなかったし、努力したところで壁にぶつかり苦しむだけだったでしょう。語りに導いていただいた感謝の気持ちは忘れません。幾ばくかはお返ししたようにも思います。あとはほんものの語り手を育てることでお返ししたいと思います。

これで すっぱり けじめをつけて 自由にやりたいことができそうです。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    膝をいためてしまって 3日家におりました。

11月12日(木)に開くCATARI’CATARI’語り祭り(声で届ける文学の贈りもの)の準備をしました。ポスターをつくったところ、あまりプロっぽくすると......という意見もあってただいま保留しています。けれど カタチは大事だと思うのです。カタチをつくると、それにあわせて中身もついてくるものです。自信が持てるようにあと3回のレッスンたのしみましょう。


    NHKBSで短歌の特集をしていました。聴きながら仕事をしていて、”このナレーションどう思う?” と娘に訊いたら ”情景が目に浮かぶ、このひとはたくさんのことを伝えようとしている とてもうまいと思う”という答がかえってきました。NHKでも大御所のアナウンサーさんのようでした。娘もなかなかいい耳をしていると感心しつつ、わたしは声がすばらしいなぁ、でもこのざらっとひっかかる感じはなんだろうと思っていました。

    じっくり聴いてみると それはアクセントなのでした。クセというか語り口というか.....そして単語を舌にのせている感じがする....このことばがたいせつだな...という単語をころがすように格別の味わいで発音する.....それが技巧に聴こえてしまって 耳にひっかかるのです。


    全国から送られた3000首あまりの短歌から選ばれたのは現役の学生さんが詠んだ ”あれは製糸工場の煙なんです。みんなが上に行く用ではなくて”という歌でした。......上に行く....というのは火葬場の煙ではなくて....ということでしょうか。奥深い歌です。....けれど字でみればわかるけれど、詠んだ歌を聴いてわかるだろうか....と思います。和歌とはもともと詠むものでしたし、音韻を聴き取りたのしむものでもありました。....この歌、詠み方によるでしょうね。最終選考に残った歌も目で見てうつくしい、おもしろいという歌が多く、活字社会なのだなぁと思ったことでした。破調の歌が多かったです。あの俵満智さんが、五七五にこだわった発言をなさったのが印象に残りました。

    東京の ゲリラ豪雨の 雨の夜 黒人青年ルイ と飲む酒

    夕焼けの 銀錆色の ダムに立ち ここが故郷と 呟く上司

    いつの日か 地球最後の 日がきたら 手紙の束燃す 机も燃やす


    そのあと 三輪明宏さんの歌を聴きましたが、代表作という”老女優は去りゆく”....に圧倒されました。テレビなのに臨場感!! この方はなんでしょう....声がすばらしい....オトコ、老婆、小娘、娼婦......なににでもなりきってしまう......歌い手であって役者....歌であって芝居......ヨイトマケの頃から見ていますが、なぜいつも見ているほうが恥ずかしくなってしまうのだろう.....傷口も汚辱も栄光も美もすべてさらけ出してしまうような歌です。なりきって、それだけでなくつくりこむ.....衣装も装置も万全を期す。そして圧倒する。.....ここまでできたらことばもない。

    さるタレントさんに三輪さんがいったという「ブスは化粧しなければ、ただの漬物石よ」ということばを思い出しました。......シャンソン自体が語りですが 語りをされたら.....どんなだろう.....つつじの娘とか葵の上とか......

    どっちかなんだろうな....と思うのです。さらけだす つくりこむ とことん完成させたものをさしだす、あるいは.....ゆらぎやすきまのある....聴き手や観衆とともに完成させるものを差し出す。もちろん 手抜きをする、未完成な状態で差し出すというのではないのです。......あまりできあがったものはそれだけで堪能できる.......わたしは”間”というか隙のあるものが、わりあい好きです。そのなかに入り込んで自分のものがたりが内奥から花のように翳のようにひらいてくる.....そういうものがたりがすきなのです。しかし、三輪さんはすばらしい歌手です。.....カーロ・カルーソーをすこし手直ししようと思いました。








コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




.......友人のご招待でいそいそと国立劇場に行きました。目も綾な舞台でした。ケレン味たっぷり、きわものといってもいいのに、出演者一同の心意気がひとつになって熱気があり、一種 格調さえ感じました。

    目の前で染五郎の空中滑走、くるりくるりの空中回転、人形が動き出し、豹男がひとを襲う、陰陽師にくのいちに明智小五郎、皆既日食に大文字....もうなんというか妖しの極彩色の世界です。設定も江戸時代末期に明智小五郎が出るっていうんだから、ムリはあるのですが、エンタティンメントっておもしろければよいのね、笑って泣いて楽しみました。

    ダレがといえば幸四郎....さすがに衰えが見えないわけじゃないけれど、声のハリがいい。それから中村翫雀、このひとうまいなぁ....上方歌舞伎のねとっとした抑揚、間がいいなぁ....と思いました。染五郎は二役で主役の豹人間と中村翫雀の恋人のみすず役、健闘していました。おもしろくてしょうがないんじゃないかな....座長?として父・幸四郎はじめ出演者に迎えられるカーテンコールのときなど風格がありました。父から子への継承.....それから黒子もカーテンコールに出るところなどちょっと感動しました。観客も若い黒子たちにひときわ高い拍手を送っていました。

    もうずぅーっと ちっさい小屋の現代劇ばかりだったのですが、古典芸能....ただし新作だけど......いいなぁとしみじみ思いました。居心地がいい、身体のリズムと合っているんですね。やみつきになりそう......幕間のお弁当....観劇後の興奮さめやらぬおしゃべりもしあわせ。

    ですが、今日はそれより心に残ったことがふたつあったのです。....それは、わたしを影に日向に援けてくれる友人のふたりが古代の神官にかかわる家系であるらしい.....それを知ったとき、わたしは仰天し....方向が間違ってはいない、これでいいのだ...という安心感を感じたのでした。仕事に戻って 夜 瀬織津姫....忘れられた姫神を語ってみたのも、そのせいでしょうね。


    ほかにもいろいろありまして.....いよいよ いよいよ 本番という感じです。


乱歩歌舞伎は→コチラ 





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




......きのう、友人タエコさんのおうちで開かれたコンサートに行きました。雨もよい、緑の高台のおうち.....タエコさんと真っ黒で大きなシグルスが迎えてくれました。

 シグルスは一見”パスカヴィル家の犬”ですが、とても人間が好きなのです。 
 

   コンサートはもうはじまっていました。余分な力のまったく入っていないやさしさそのものの声、そしてギター、ソファに座って1分もたたないうちに涙が溢れてとまりませんでした。うたっている福井つよきさんの声、そしてギターの音色......が光そのものだったからです。

   すべてがよくなるためのプロセス....大いなるものへいたるプロセス....もういらなくなったもの、あなたのなかにあるもの.....感謝して手放そう....そのままのあなたで.....とつよきさんはうたいます。それから即興のピアノ.....風のそよぎ、森を打つ雨の音、小鳥の声がひとつになります。ピアノのしらべは水のようにせせらぎ、流れ、たゆたい、わたしを抱いて、岸辺につれてゆきます。......BUNさんのカリンバとのセッション、カリンバの曲ライジング......前半わたしは滂沱の涙をとめるすべを知りませんでした。ハンカチもないのに。

   後半は一転していっしょにうたいます。あーーという音から、ありがとうの合唱.......あとで考えましたらこれは倍音のワークショップでもあったような......そしてあなたはすばらしい......かんたん、かんたんという歌。みんなの声がとても心地よかった.....コンサートが終わったらお食事タイム。

   オクラとトマトのおかかサラダ、胡瓜といりこのあっさりサラダ、揚げサバの甘酢〆、かぼちゃとルバーブのサラダ、にんじんととろろ昆布のサラダ、とろろ、しいたけ、お揚げ、にんじんの特製タレでいただくお蕎麦.......
スイーツは梅ゼリー、ケーキ、タエコさんお手製のパンプキンプディング......美味しゅうございました。



   わたしはつよきさんに訊きました。「今のまま、そのままで.....すべてがよくなるためのプロセス........それはうつくしい考えです。でも、わたしはチベットやウィグルのひとたちの苦しみ、隠され知らされない欺瞞を書かないではいられないのです」.....と。するとつよきさんはいいました。「あなたが今、書きたいことを書いてください」......なんだかほっとしました。ですからみなさま、わたしは書ききるまでもうすこし、悲しみや苦しみ、欺瞞、横暴も書いてゆきます。聴いてください。

   もうひとつ尋ねました。「わたしは語り手です。たしかにひとはあかるいたのしい、、元気がでるものがすきなのでしょう、でもわたしはたのしいものがたりだけでなく悲しいものがたりも語る......語りたいから、そして悲しいものがたりで癒されるひともいるからなのですが......それでいいでしょうか?」 するとつよきさんはいいました。「......たくさんのことを乗り越えてきたあなたの声には力がある。つたえるひとはだから試練を多く与えられるのです。その声を信じてください。どんなものがたりでもいいのです.....」

   あぁ、そうだった...とわたしは思い出しました。ものがたりでなくて、ことばでなくて、ひびきを伝える....そうだった。なぜ、わすれてしまうのだろう.....今、語りたいものがたりを語ろう、わたしが充ちてゆくとともにものがたりはかわってゆくだろう、このまま行けばいいのだ........不思議なコンサート、会うべくしてあった方々でした。なにかが帳の向うに透けてみえます。ピアノを聴いているとき見えたのは白くかがやく光....しだいに強くかがやく光でした。そのひとのつかうことばがそのひとの世界となる.....とつよきさんはいいました。




   ひとりひとりがみずからのひかりのあかしびとなのだと思います。そのひかりが煌々とかがやくとき、世界はかわってゆくでしょう。きのう、わたしは信じることができました、ゆくさきの未来に不安もなく、恐れもなく。すべてはよくなるためのプロセス、世界はうつくしい。.....かんたん、かんたん、うまくいく、かならず。


 左がつよきさん、右がBUNさんです。

福井幹さんのHPは→コチラ

BUNさんのHPは→コチラ




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




........先日、”高瀬舟”をさがしていたら、少年少女日本文学全集全24巻のうちの第一巻にありました。

執筆者が森鴎外、島崎藤村、国木田独歩、二葉亭四迷、徳富蘆花.....この全集が発刊されたのは1962年(昭和37年)......昔の子どもはむつかしい本を読んでいたんですね。さて、昔、子どもだったわたしはなぜか、国木田独歩が好きだったのです。中学一年のときの人生の目標は”非凡なる凡人”......その後の紆余曲折はさておき、漱石、芥川、森鴎外、下村湖人.....なみいる文豪、児童文学者をさておいて、なぜ 国木田独歩なのだろう.....と読み返してみたのです。

    すると.....心地いいんですね。文体のリズム、風が吹きわたるような自然描写.....地味な短編ばかりなのですが、登場人物がまっすぐ、自然体でてらいがなくて、実にいい感じ.....12歳のわたしはけっこう見る目があったみたい。読んでいて思い出したのは江戸末期、明治のはじめに日本を訪れた外国人のことばでした。森鴎外や夏目漱石は西洋の洗礼を受けている。ふたりとも留学していたはず......そこには”かれ”と”われ”とのあいだの峻別みたいなものがある。

    国木田独歩にはそれがない。かれはかれ、われはわれなんだけれど、ひとつの輪のなかにいる、そして読んでいるわたしも共感というおおきなふところのなかでかれらとともにいる.....テーマや設定がじゃなくてものがたり世界がとても日本的、ゆるされて在る幸福感を感じるのでした。

    さて、きのうもう一冊 手にした本のなかに”伊勢物語”にまつわる本がありました。業平は恋をしてはならぬ高貴な女人に恋をして、傷心のあまり武蔵の国まできて彷徨いました。みよし野とは...今の入間、川越あたりであったろうといわれています。業平は立派な屋敷に泊めてもらいます。その家には年頃の娘がいました。


みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞ寄ると鳴くなる


    これは娘の母のうたです。このたのむの雁について折口信夫の弟子である西角井正慶氏は「たのむとは秋の収穫......たのむの雁とか成女戒をさずけてくれるひとである」と言っています。すなわち娘の母は娘を女にしてもらう儀式を京からきた貴なるひとに頼んだのです。

    また 昔は高貴な客人に一夜 娘をさしだす習慣もあったようです。え...?何て野蛮なの? 娘がかわいそう....と考えないでくださいね。客というのはまれびと.....神の代役.....神の一夜妻になることでした。そして、日本の性はなんとも自由なおおらかなものであったようです。平安時代の文化は恋愛の文化でありましたし、現代も性の乱れと言われますが先祖がえりに過ぎないのかもしれません。

    さて 朝もあかるくなってきました。強引にまとめましょう、国木田独歩、在原業平、その心は..........縄文回帰。もっと自由におおらかに。もっとも自由恋愛のほうはわたしはもういいです。男の方はひとりいれば充分にすぎます。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




     ひさしぶりにお芝居を観にゆきました。池袋は想い出の多いところです。メトロポリタン口を降りると、いろとりどりの紗が風にのって目のまえを過ぎってゆき、わたしはそっとふれて風に放し、舞い上がって空に溶けてゆくのを見送りました。メトロポリタンホテルでお土産にジュレを買いました。右手には芸術劇場、左手には3日間、LTTAのワークショップで通った勤労者センター......。曲がりくねった道をゆくとスタジオPがありました。

     「死んだ女」.......中央に棺、電信柱、街灯.....死んだ女に所縁のある6人の男たちがつぎつぎにあらわれ、男の人生、女の人生がうかびあがってまいります。意表をつく展開、リズム、色彩、登場人物のステータス(その場面の力関係)がめまぐるしく入れ替わり、徒党を組んだり孤立したり、人間関係もさまざまに変化します。それはまさしく、演劇的空間でした。

      わたしは舞台を見ながらぼんやりと......芝居は台詞でつづられるのにかかわらず、......コミュニケーションが成り立たない、わかちあえない、”個人の孤独”、その孤独が一瞬でもいい、埋められ、充たされる至福を描くものが多い...なぁと思っていました。”動物園物語””耳””かもめ””彼女の場合”......わたしが揺さぶられた芝居はたいてい、そうでした。そして、それはみな小さな場所で観た芝居でした。

      もちろん、それだけではありません、大劇場で目くるめく演劇的な展開に目を奪われ、歌や踊りに身をゆだね、楽しむ芝居もあります。そうなんだけれども、わたしの場合長く残るのは隔絶された個の「人間」の救い、あるいはレクイエムなのでした。事件がおきる、エピソードの積み重ねのなかで隠されていたさまざまなことが明るみに出てゆく。破綻があり、激情があり、あるいは覚醒があり、モノガタリは終わる、そして予兆がある、希望がある、どんな悲劇的な結末であっても。.......
芝居の原点はエネルギーではないでしょうか。そのエネルギーが観るものを揺さぶる......


     ひるがえって語りはどうなのだろう......今年になって語った、”紅梅”、”林檎の木”は元が文学であるからかもしれません。コミュニケーションの不足、行き違い、誤解が生んだものがたりともみえるのです。終盤、”紅梅で”は誤解が溶けカタルシスが生まれます。”林檎の木”では見かけのカタルシスがあるのですが、主人公のアシャーストに真の覚醒が生まれないために、そこからより暗い深淵が現出する.......という入れ子のカタチになっています。

     もっとふるいものがたりはどうだろう.....”空と海と大地の物語”とか”コカのカメ”.....神話と昔話、それはとてもシンプルな構造です。事件が起こる、パノラマのようにものがたりが展開する、勇気によって愛によって、努力によって、助けによって問題は解決する、そしてある種のオチがあり、その後を予感させながら.....大団円。ものがたりはエネルギーそのもの。

     芝居も語りもものがたりです。芝居は登場人物の台詞のやりとり その確執で展開しますが「語り」では大きく二つに分けられます。①全知の「語り手」による「語り」、②「私」が語る一人称の「語り」ですが、たいてい①ですね。地の文が「語り手」の語りで、そのなかに台詞が散りばめられる、芝居の場合、演出者が陰の神なんですね。芝居もモノガタリなのですが役割分担がされている。だから、演出者の意思と個々の役者のコンビネーションそして観客がひとつになったとき、圧倒的な空間が生まれます。けれども 役者のベクトルがあっちこっちだったりすると面白いには違いないが拡散してしまいます。


     きのうのお芝居は個性的な役者さんが揃っていたのですが、その個性が強すぎて消しあっていたようにも見えました。元夫 元恋人 元初恋の男 弟 息子 がいるのですが 夫や息子、エキセントリックな弟のほうが存在感が希薄なのです。駅の売店で毎朝、毎晩死んだ女からスポ日と牛乳を買っていたゆきずりの男が一番リアルでその男の生活まで見えて不思議でした。描かれ方が一番丁寧....作者に愛されていたのかもしれません。

    視覚聴覚を刺激する各種の効果とか饒舌な台詞から産み出される演劇的空間.......それはある種あそびの部分も含めた空間です、わたしはたぶん.....作者であり演出家である阿藤さんのいいたいことのひとつは元夫の台詞

「......きのうより、今日より、あしたがよくなっていくと思えた頃はよかったなぁ........もしかすると人類は今まで経験していない、暗い悲しい恐ろしい時代を今 迎えるのかもしれない......」

に要約されていたのではなかったかと思うのです。最後のシーンで死んだ女が火葬された灰のなかから咲いた丈高い一本のひまわりの花が”予兆”を感じさせてくれます。

     わたしはJRに揺られ芝居の余韻にひたりながら語りはひとりのしごとだけれど、よりシンプルにストレートに、ひとの孤独と再生、古代のエネルギー、地球の今と未来を語ってゆけるかも知れない.....と考えるともなく考えていました。つらつら書くうちにまとまりがなくなってしまいましたが、最後にひとつ感じたのは静寂でした。間とはべつに台詞のなかに静寂が必要だ....と感じたのでした。




      


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




.......会社にも行かないで娘たちと買い物に行きました。そのあと車を走らせてひとのいない公園に....櫻木立のしたはクローバーが絨毯のよう......シートをひろげて、チョコレートアイスバーをたのしんで、おもむろに届いた二冊の本をひらきます。

忘れられた日本人
「美しい日本語」

   今日は”忘れられた日本人”について書いてみます。著者の宮本常一さんは昭和14年来、日本をくまなく歩き、各地の民間伝承を記録された方です。わたしが宮本さんを知ったのは、友人にさそわれ ひとり芝居「土佐源氏」を観にいったときでした。土佐源氏は宮本さんが土佐の山中、檮原村の橋の下のむしろ小屋に棲む乞食から聞き書きしたはなしです。

   宮本さんはできるかぎり話し手のことばに忠実に記録されたということですが、この名もない盲目の乞食の語り口がすばらしい。おそらく文盲であった...のではと思いますが、生き生きと情景が目に浮かぶのです。そのままひとりの自由奔放に生きた男のライフストーリーになっています。

......どんな女でも、やさしくすればみんなゆるすもんぞな。とうとう目がつぶれるまで、女をかもうた。.......わしはなにひとつろくなことはしなかった。男ちう男はわしを信用してなかったがのう。どういうもんか女だけはわしのいいなりになった。........銭ものうもうけるはしから女にやってしもうた。別にためる気もなかったで.....それで一番しまいまで残ったのが婆さんひとりじゃ。.....女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってやりなされ.....どの女もやさしいええ女じゃった。


   土佐源氏は出色ですが、その他のエピソードにも、日本のうしなわれた原風景がきざまれています。田植えは女のするものだった...お祭で.....苦しい作業というよりみんな楽しみにしていたのだそうです。田植えをしながら女たちは誰からともなく”語る”のです。ひとびとは山や川、井戸、狸や亀やミミズ、自然と呼吸をあわせて暮らしていました。そして田植えのときだけでなく、暮らしのなかにそのまま語りが、音頭が、くどきがありました。

「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるいことをしておらねば、みんな助けてくれるもんじゃ。日ぐれにひとりで山道をもどってくると、たいてい山の神さまが守って、ついてきてくれるもんじゃ。ホイッホイッというような声を立ててな」

   これは宮本常一さんの祖父が幼い孫に語ったことばでした。たくさんの昔話をのこし、孫にかたりかけ、民謡をうたうことをたのしみに、死ぬるまではたらいてぽっくりと去っていったお祖父さん.....孫に語りつづけたそのことが、宮本さんのしごと、そして著作につながったように思われてなりません。


   若いころは外に目が向かいます。七色の童話集 ラング....やギリシャ神話、世界文学全集に夢をかきたてられ物語の世界を知り、そのままヘッセやシュトルム、トルストイ、スタンダールを濫読しました。日本文学を知ったのはそのあとで、柳田国男もずいぶん昔に読んだのですが、とんと忘れていました。民俗学などというものは紙魚のついたしょんぼりした古書のように思っていました。

   今になって、つくづく日本の文化の土壌の奥深さにおどろくばかりです。なぜもっとはやく気がつかなかったのだろう。フィールドワークをするにも、わたしの足はもう萎えてしまいました。けれども、まだ時間はある、古きものに目をとおし、できるかぎり歩いて、わたしがまだ知らないこの国が内包している豊かな秘密を、源泉を知りたいと思います。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    ピアノはお好きでしょうか? もしよかったら ふたつの幻想即興曲をお聴きください。

Yundi Li

Valentina Igoshina
同じ楽譜で弾いても、表情はまったく違いますね。どんな感想を持たれましたか?

いつもなら、これいいなぁ....心に響くなぁ....でおしまいにんしてしまうかもしれません。演奏は優劣ではなくひとりひとりの好みの問題ですけれど、今日は休日ですからもうすこし深く味わってみてはいかがでしょう。

どこに心を惹かれたのか....
曲の構築力はどうだったか.....
タッチは....
メリハリは....
音色は....
叙情性は....

光のようでしたか? それとも水のようでしたか?


つづきとお約束したこわい物語は今夜.....



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   新聞を読まない暮らしはどんな味気ないものだろうと思いましたが、物足りない気がしたのは一日だけで、あとはさっぱりしたものでした。テレビもNHKのほかは見ないようにしていましたが、ゆうべフジテレビで松本清張「駅路」を...ひさしぶりに食い入るように見てしまいました。いいドラマでした。

   まず、原作...松本清張原作の映画やドラマはなぜ役者さんが生き生きといい演技をするのでしょう。点と線、古くは鬼畜や張り込み(わたしは加藤剛 八千草薫主演1970版が忘れがたいです。)砂の器(これも加藤剛)など名作ですね。ドラマの骨格が明確で時代や社会と登場人物のかかわりが密接であり、主人公の目的がリアルであるので役に没入しやすいのかもしれません。

   なぜか脚本もいいんですね。原作から触発されるものが多いのでしょう。今回は向田邦子さんでしたが、端役にいたるまでくっきり台詞が造形されていました。役者さんたちが原作と脚本と演出に応えアンサンブルがみごとでした。女優陣では、失踪した夫の妍高い妻を演じた十朱幸代さん、ひさびさに拝見しましたが目線のうごき、取り繕っていたのが豹変するシーン、さすが大女優の貫禄でした。ヒロインの従姉を演じた木村多江さん、取調べ室で犯行を告白するシーン、横顔のみの相手のいない独白が凄絶でした。ヒロインの深津絵里さんをうつくしいと思ったのははじめてです。どこかなまなましい女優さんだと感じていたのですが、目千両ですね。なにも動作をしないときに光る不思議な役者さんです。


   刑事呼野を演じた役所広司さんはもちろん素晴らしかったのですが、終盤すこし溢れ過ぎたな...と思いました。定年後失踪する銀行員、小塚を演じた石坂浩二さん、ほとんど後姿だけなんですが、よかった。最後の佐藤春夫の詩 ”よきひとよ” の朗読は深かったです。姫さまのおかげで脚光を浴びたのに姫君浅丘ルリ子さんを棄てて、若い妻と人生の日常の幸福をとった...という、これは勝手な思い込みかもしれませんが、どこかで許しがたく思っていました。それが、役に重なる.....けれど、そうした我執を底によどませながら、自分の人生の夢をどうしてもかなえたいという主人公の情念、秋の終わりの空のように寒々と透いた情念をフィルムに焼付け、見る者の心にも焼き付けるのはなかなかできるものではありません。そのほか脇役ひとりひとりに実在感がありました。演出は北の国から...の杉本成道さんでした。


    原作、脚本、役者、演出  そして、最後に時代なんですね。昭和に今焦点があたっておりますが、あのなつかしい昭和....薄暗くすすけた、けれど耀きと希望が残っていたあの時代、....ユニクロはあったのだろうか 100均はあったのだろうか....アナログの仕舞いのまだモノに手触りがあった、一枚のセーター、一本の鉛筆にも固有のたったひとつのイキサツ(ストーリー)があった、もう帰らない昭和が、ドラマの背景にあるのでした。今はモノにストーリーがない、あったにしてもストーリー性が薄い時代なのかもしれません。


   わたしは語り手ですから、なんでも語りとむすびつけて考える習い性です。語りにはドラマと、ドラマでないものがあります。わたしはドラマを語ることが好きなのですが、その場合主人公の目的と目的をさえぎる障害をどう乗り越えてゆくかがテーマになります。たとえば、「駅路」では主人公の刑事・呼野の目的は失踪した男、小塚の探索です。小塚の生き方その謎が呼野を駆り立て、障害をひとつひとつクリヤ-してゆくことでその男小塚が胸の底深く長年抱いていた人生の目的が見えてくる.....これが圧巻です。彼は定年後ゴーギャンのように家庭をすて社会をすて自分の人生のためだけに生きたいと望みました.....刑事には娘がいます。その娘は妻子ある男を愛しその男が亡くなったことで苦しんでいました。その娘と小塚の相手である深津絵里が重なります。こうして呼野の探索は人生の探索になってゆきます。


   語りがテレビドラマや演劇と異なるのは、脚色、ナレーション、役者、演出、効果、音楽を基本的にすべてひとりでこなすのだということです。(ひょっとして宣伝や集客も)そこが語りの醍醐味ですが、そのために多くの登場人物の目的と障害が重奏してからみあうような展開まで語るのは不可能...せいぜい3名くらいでしょうか...になります。

    障害が社会的背景と結びついているとある意味かたりやすくなる....でもそれだけじゃつまらない、主人公が最終的にはうちなる障害を超えてゆく.....”自分の人生と和解してゆくこと”がわたしの語りの最近のテーマです。死と生そして愛、それが聴き手のみなさんの人生、わたし自身の人生とかさなったならそんな幸福なことはありません.....。


   あれほど練習をしなかったのが、このごろ語らないではいられなくなりました。野原で語る、部屋で語る....草原で突然主人公の隠された気持ちに気づいてぎょっとしたりします。主人公が生きて歩き出すのです。語るたびに光と陰影がはっきりしてゆきます。


......
   さて、リセットのためのおおそうじをまたもしていて、本棚の上に埃まみれの折口信夫著「死者の書」をみつけました。欲望にさからえない弱いわたしは、そうじをさておいて今読み終えたのですが、本を読んでひさびさに慄きました。語ることばが見つかりません。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   代々木の青年座に行きました。”運転免許わたしの場合”の主役を友人のjunさんが演じていたからです。100人くらいの劇場でしたが満席でした。そして締まった、いい舞台でした。

   演劇的な実験がたくさん織り込まれていました。役者は5名、少女とベック叔父さん役のふたりをのぞいた3人はコロスとして複数の役を演じます。少女の母そして叔母、レストランの客、13歳の女学生etc,あるいは、祖父、少年、レストランのボーイ、学生...幕間はなく時代と場面はめまぐるしく前後し、五脚の椅子、二台のテーブルが車の居間、台所、学校、宿舎、レストラン、バス、ホテル、地下室などのさまざまな舞台設定となります。(これからお芝居をご覧になる方はこの先を読まないでくださいね)過去・現在めまぐるしく移り変わるシーンがコラージュのようにひとつのものがたりを浮かび上がらせてゆくのです。

   junさんは13歳から40くらいまで、そしてものがたりの進行役も兼ねていました。junさんにはふわふわしてそれでいて鋭く繊細なイメージがあったのですが、すこしふっくらして地面にしっかり足がついていました。舞台がはじまって、進行役から顔を俯いたとたんに17歳の少女になったのは驚きました。笑いもあり歌ありダンスあり息をつかせぬ2時間でした。ひとことで語るのはむつかしいです。....チラシなどによれば、男女の性差...がテーマのようでした。

   けれども、わたしは性差による誤解であるとか、”林檎の木”のように階級的な障害とか”蜘蛛女のキス”のように同性であるとか、あるいは年齢差、国籍とか、極端にいえばそこに性が介在するかいないかでさえ二の次であるように思うのです。障害が問題なのではなく、自分から他者へ梯子をかけよう、橋をかけようとして、その梯子がはずれてしまった、それがなんであれ、胸をうつのはその闇雲な想い、愛というのでしょうか、熱望というのでしょうか、渇望といいましょうか。自分のなかの欠けたものを埋めようとする、その必死の試みこそが胸を打つような気がします。

   やさしいベック叔父さんは、戦争帰還兵でした。どうやら深い精神的傷を負っていた...彼は姪というあたらしい生命の誕生に希望を持ち、戦争によって受けた傷が幼い姪によって癒されてゆくのを感じ、もっと癒されたいと願いました...それは見方を換えればおぞましい児童虐待ともとれるのです。叔父さんが教えてくれたのは自動車の運転だけではなかった。けれども少女は本能的に叔父を救おうとするかのように見えます。叔父の禁酒と引き換えにある取引を持ちかけます。そのとき少女は母のように聖女のように見えます。。(わたしにとってはここがハイライトです...なぜ少女はそれをしたのか)少女は周到に一線を画し身を守りながら、週に一度、叔父とドライブをつづけます。やがて少女は18歳になり家を出て大学の寮に入ります。それは少女にとって、清算すること、あたらしい旅だちも意味していました。しかしベック叔父さんが望んだのは全く別のことでした。わたしは終盤、ベック叔父さんの絶望に泣きました。そして最後にいままでのこと、叔父さんの死をも受け入れて再生するおとなになった少女を見て泣きました。

   junさんと別れてからカフェに入り、ボーッとしていたので電車を間違えました。わたしはなぜもっと心を揺さぶられないのだろうと考えていました。演出について設定について違和感がすこしあった....わたしは父のことを思い出していたのです。父は決してつよいひとではありませんでした。わたしはものごころついたころから父をかばい、たとえ母に理があり父に非があったにしても味方となって、母がしないこまごましたことを父にしてあげようとしていました。父の靴を磨くことは喜びだったし役所に行く父にハンケチも用意しました。わたしは父を深く愛していました。.....変わったのは12.3の頃...父を客観的に批判的に見るようになりました、愛していながら父の愛の暑苦しさ、陋習がいやだった。父を熱愛していた妹はもっと極端でした。やはり12.3の頃、父の触れたものに触れるのさえ嫌がるようになりました。わたしが、なにかといえば相談にのってくれた若い叔父を拒絶したのは15の時だったと思います。それは少女からなにかに向かう通過儀礼のようなものだったのでしょう。これから起きることを予期しているのかもしれない。だから身にまとわりつくようなものを好まない、潔癖であり残酷です。

   ふつうにいけば、女は幼女→少女という花のような存在→不可思議な曖昧な中間地点→女→母→おばさん→おばあさんになります...変態を繰り返し殻を脱ぎ捨てるように。わたしもいずれおばあさんになります。けれどもその疲れた骨のすみっこに少女を残しておきたいと願うのです。それは今流行りのガーリィなというようなつくられたものではありません。男が少年性を保つのよりそれはずっと困難な希少のことのように思われます。変わることで女は力をつけ世間と渡り合っていけるようになるのですから。

   ....ゴールズワージーの林檎の木のミーガンの台詞は難しい....少女になるのはむつかしい.....でも希望をいうなら、junさんのなかのあふれるばかりの少女が見たかった。素晴らしい演技だった。けれど首をかしげるとかみつめるとかじゃなくて、あなたの深奥に残っている少女をもっと見たい、存在を感じたい ともに生きたい。そのとき わたしはきっと慟哭することでしょう。


.....別れ際junさんは「なにもかもむだじゃないことがわかったの」...と言いました。ほんとうにそうだと思います。三人の子の母となってあなたはいい役者になった!!これからだね、junさん。わたしうれしかったよ。この芝居を観られて今のあなたを見られてほんとうによかった。

   橋をかけること、梯子をかけること....個から個へ....個から時代へ...ひとびとへ。わたしもまたやりたいことがたくさんあります。実は今日歯医者さんにも行きました。グレーのシルクのチュニックを買いました。自分の未来に橋をかけること、子どもたちの梯子 夫の橋 さまざまさまざま考えました。


   最後にこちらも少女の透明さを持ち続ける浅田真央さん、きのう書いた軸について、写真をごらんください。浅田真央さんの身体の軸がまっすぐなこと、股関節を意のままにできることが理解できますね。今年はもっと進化しています。



右の二枚が浅田真央さんです。左はキムヨナさんです。



こちらも右が真央さんです。

    語り手にとって、身体をゆるませることと同時にグランディングならびに身体の軸を意識することはたいせつですが、単に姿勢のうつくしさだけの問題ではないように感じています。それはおそらく受信する身体になる、それと同時に不要なものをシャットアウトすることができる身体になるということなのです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    壌さんの「50代からのシェークスピア」のワークショップの発表会を観に行った。小雨と時折吹くつよい風から華奢なピンクの折り畳み傘で、身を護るようにして、青いガラスの草月ホールについた。15分前というのにほぼ満席の盛況で、第一期生の仲間たちが同窓会のように集まっていた。

    私たちの演目は「真夏の夜の夢」だったが、今日は「じゃじゃ馬ならし」壌さんの深々と心地よい響きの挨拶(この声を聴くとつくづくプロはすごいなぁ)と思う。ご存知のようにじゃじゃ馬ならしはカタリーナという乱暴なじゃじゃ馬娘とその妹しとやかで美しいビアンカの姉妹の結婚にまつわる喜劇である。

    坪内逍遥訳を元にしているので、台詞は高い格を持つがすこし難解で、最初、台詞が単語ごとに切れてしまったり、口跡がはっきりしないこともあってスジと人間関係を追うことでいっぱいだった。聴き手にストレスを与えないことはとても大切なことなのだと観客の立場から思った。そのうち安心して聴いていられる台詞がみえてきた。語頭をはっきり大きく、役者さんの体内リズムに乗っているもの、そして適切な間である。衣裳は明治を模しているのか和装でまことに目に楽しくうつくしかった。

    途中からカタリーナのことを考えていた。わたしがカタリーナを演じるとしたらどうするだろう...なぜカタリーナは男のなりをしてこれほど粗暴なことばや態度をとるのか、妹への敵愾心はどこからくるのか、怒りはどこからくるのか......カタリーナ自身知ってか知らずか別として、それには理由があるに違いない。もしかしたら、父親が嫡子としての男子を望んでいたことを漏れ聞いたとか...それで父親の希望に添わせようと子ども時分からつとめているうちにいつからか性格になってしまった....女である自分を受け入れられない....あるいはうつくしい妹と比較されるのであえて独自性を出して目をひこうとした....さみしいカタリーナ....

    休憩のあと、ガラリと芝居が変わった。わたしたちのときのように幕間に壌さんの"鶴の一声"があったのかもしれない。わたしが二階席に移動し、舞台が見渡せるようになったことも関係しているかもしれない。台詞が朗々と響き...時折プロンプの声も聴こえたがそれはご愛嬌で.....なにより役者さんたちが生き生きと愉しそうで、芝居にリズムが生まれ客席と呼応しはじめ、客席から笑い声が起きるようになった....終幕のすっかり回心..したカタリーナの台詞が秀逸で心に切々と響いた。あるやさしさ...寛容さ...お互いのいのちを受け止め祝福する...あたたかい感情がステージにも客席にも一瞬馥郁と満ちたような気がする。

    このたび発表会の報せをくださったのはカタリーナを演じたMさんだった。ホールの雑踏でわたしたちは抱き合った。MさんはわたしのHPの読者で、その記事から壌さんのワークショップに参加なさったのである。不器用なほどの体当たり演技だった。そのストイックな熱情が芝居の勢いをひっぱっていた、そして最後の台詞が実によかった。全体として、登場人物は切り取られたように原色に近かった。陰影がもうすこしあってもと思わないでもない。カタリーナの夫の攻略でない愛、その愛からにじみ出る信頼が中盤ほんのすこしあればと思う。

    けれども、だれか画家が言っていたように美醜ではなく(うまい下手ではなく)生きているか死んでいるか、そこが勝負どころである。この芝居は生きていたし観るものをしあわせにした。わたしは自分に足りないものを察知した。登場人物の数もあろうが壌さんが四大悲劇を選ばないで喜劇をいつも選ぶのがわかったような気がした。壌さんは雑踏のなかに超然とたってそこだけ空気感が違っていた。わたしは深々と頭を下げ、挨拶をかわし、ひとつ願いごとをした。

    そのまま帰るのが勿体無くてル・コントでひとりコーヒーを飲む。五年つづけている仲間が数人残っていて、さすがに彼女たちの台詞はキレがよかったが、なにより目が顔がしあわせでならない...というふうに耀いていたのをもう一度味わいたかった。家に帰ると、やはりHPで出あったJさんから手紙が届いていた。3/25から青年座で主役を務めるという。子育てという豊かな時間を過ごしたJさんの芝居はどう変わっただろう、これからTELをかける、そして観にゆく。

    ひとはつながってつながって、手渡しては受けとり、そしてまた手渡してゆくのだ....どうかときにわたしに便りをください。そしてもしなにかに逡巡している方がいたらつながること、一歩を踏み出すことを怖れないでください。そこから扉がひらく、回帰と新生の旅がはじまる....。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 お城といえばダンルース城 タイトルとは関係ありませんが、一度行きたいお城です。



    娘が取り寄せた三冊の本はみなおもしろそうでした。仕事から帰って包みをみつけたわたしは”ずっとお城に住んでいる”を手にとってストーブの前に座り込み読みはじめ、ものがたりにひきこまれ夕食後読み終えました。

    これから読む方のたのしみのためにものがたりは申しませんが、それからずっと感じていることを書いてみます。ものがたりと直接は関係ありません。

    ひとは行動の97%を無意識によって支配されている....という本を読みました。深層意識(無意識)とはなにか 潜在意識とはなにか....

.....ユングは人間の意識を氷山に例え説明しました。

.....普段、私たちが意識している顕在意識は、氷山にたとえれば、海の上に顔を出している部分にしかすぎない。そして海中に沈んでいる部分、つまり意識の大部分が無意識によって構成されている。さらに、この無意識の部分は、生まれてから現在に至るまでの個人的な経験から構成された個人的無意識と、そのさらに奥深くに広がる集合無意識とから構成されている。......

集合無意識とは、個人の経験の領域を超えた人類に共通の無意識領域のことを言います。この集合的無意識が語りにとても深く結びついている...さらにと私はおもっていますが、それはさておいて....

個人的な潜在意識とは、生まれてから、見たり、聞いたり、触ったり、嗅いだり、味わったりした五官の情報と、思ったり、考えたり、話したり、読んだり、書いたりした経験やそれらに付随して発生した喜び、怒り、哀しみ、愛や恐怖等の感情をも含めた全ての記憶を感覚的印象情報として・・無形の波動として蓄えている広大なイメージの貯蔵庫....なのです。


   潜在意識とはイメージのあつまり理路整然としていないカオス....幼児からの小暗い豊穣の記憶の森のようなもの....かもしれません。(ここで語り手であるあなたは気がつかれたことでしょう。個人的な無意識というものも深く語りとかかわっています。あなたは自分の無意識界から”なにか”をひきずりだして語りの核にしていませんか。)都市に住み、PCを操るわたしたちがそのような目に見えないものに支配されているのは不思議ですね。....無意識界でひとは肉体的にも心理的にも自分自身を傷つけないように護っています。ひとは本質的に”変わりたくないもの”ではないかとわたしは感じることがあります。

   だから、潜在意識は豊穣ですが、自分を閉じ込める塔でもあります。ラプンツェルの塔は案外そんなものかもしれません。自分をひらいてゆく、塔を出てゆくためには大きなエナジーが必要です。それは王子さまからの愛であったり、夢やあこがれや、誰かのための愛ではないでしょうか。

   破綻や失敗・肉体の痛み・苦しみ・悲しみから護るために、やめよう、このままなにもせずにいようと塔は囁きつつげます。その呪縛をやぶるのが自分に言い聞かせることばであったり、イメージトレーニングであったりするのではないか....アスリートやスーパーモデルなどのイメージトレーニングはそういう意味があるのかもしれません。自分の限界を超えてゆくには潜在意識を手懐けることが必要ということなのでしょう。

   けれどもいわゆる成功への鍵としてとはべつに潜在意識の呪縛を超える力は働くのではないか。たとえばチェ・ゲバラやマリーテレサや...近くはパレスチナの子どもを守るPLOのひとびと、そして大勢の母たち、父たち...自分の人生を全うする想いと他者を活かし他者をたのしませ、他者をすこしでも闇から遠ざけようとする想いが重なっているひとたちに自分を超える力がはたらくのではないか....とわたしは思うのです。

   わたしたち....わたしと子どもたちはどうやらお城のなかにすんでいます。けれども語りのため、中学や小学校の子どもたちのため、そして会社の社員さんたちのためなら軟弱なこの心と身体は、塔から出てゆくことができるのでしょう。.....語りとは語り手の無意識界から生まれ、聴き手の個人的な無意識の領域と集合的無意識界に”響かせる”ものです。しだいに語り手自身を鍛えてくれるのかもしれません。



.....わたしたち幸福よね....

ずっとお城で暮らしてる



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   草月ホールに行きました。満喜子先生、ダミアン原田神父、片岡通人さんのライブ・ワークショップ"声・魂の蘇生"があったのです。銀座線青山1丁目で降りて地上に出るとなつかしいお堀端の風景....草月ホールで真夏の夜の夢を上演したのはいつだったでしょう....月日の経つのは早いものです。

   ひとは年をとっても進化できるようです。.....わたしもまだまだイケルかも。すべりこみどころか開場時間前についたので最前列中央に座りました。ヴォア・セレスト13名のうたではじまりました。響きわたるうつくしい声、ふりそそぐ高周波。ダミアン神父のティンシャとソロのうた....ティンシャの響きとうたごえの倍音がからまり共鳴しあい、どこから聴こえてくるのか...それはうつくしかった。

   OBB Overtone Breath Band のダンスと歌....身体の動きと声がひとつになったとき、声は本来の力を取り戻します。聴くひとのからだやこころと共鳴する響き、あふれる喜び、生命のきらめきがダイレクトに伝わってきます。声はこんなに力に充ちてうつくしい。青森の旅でごいっしょした方々が7名ステージにいらっしゃって懐かしかった。Oさんをはじめ数名がセンターでソロで歌い踊りました。その方だけの声とダンスは命の炎そのものに見えました。うたっている方々より踊りうたう方々のほうがすきとおってみえました。

   しかし今日のもっとも大きな発見はコト・モノコードでした。コト・モノコードは日本の琴をヒントにヨーロッパでつくられた弦楽器で最初は音楽療法につかわれたのだそうです。吃音の改善そして死にゆくひとの耳元で奏でる看取りの音楽ともなるそうです。(聴覚は息をひきとったあとも機能しています)コト・モノコードの響きのあと亡くなる方の顔に歓喜の表情が浮かぶとか...。

   上部の17弦とはべつに胴の下部に31弦のブルドン?があって、これがうなり..を発するのです。わたしは鳥肌がたちました。わるい意味ではありません。CAVのサワリ....フィルターをかけたところでもそうなのですが、ざらざらっとした音に意識がひっぱられトランス状態に近くなる...これはイタコのつかう梓弓にも通じる音なのだと思います。アルペッジオがもういちど聴きたい...です。シターの光きらめく音とは別の次元にさそわれる音でした。コト・モノコードは本邦初演だそうですが今後もダミアン神父から目がはなせなくなりそうです。ティンシャの遣い方を目の前で見せていただいたのも収穫でした。

   場内では幾人かの友人とあうことができました。あたらしい語り手の誕生もまじかでしょう。ロビーではケーキとともに酵素玄米のおむすびの販売もありました。ためしに買っていただいてみましたが我が家の酵素玄米のほうがずっと美味しいと感じました。おなじお釜、おなじ炊き方のはずですがしだいに炊くひとのなにか家庭のなにかがくわわってゆくのでしょう。このごろ人生がおもしろくてなりません。....いつ死んでもいい、三人分くらい生きたし...なんて思っていたのが夢のよう....世界は謎で充ちている、そしてその謎を解く鍵をあけるのは自分の好奇心とチャレンジなんですから、もっともっと冒険しましょう。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   昨夜 満喜子先生と片岡先生、奈良裕之さん、Overtone Breath Bandの”共鳴する身体”Resonance....に行きました。二部はワークショップでした。仕事に追われて、内幸町ホールに着いた時には舞台は青く染まり原初のうねりを思わせるようなウタと踊りが繰り広げられていました。奈良さんの音楽は倍音の渦で...わたしはその響きで向こう側に連れていかれそうでした。なかでも鈴....スレイベルのような巫女の持つ魂振りの鈴のような....あの音に身体が共鳴して身体と魂のすきまを響きが満たし わたしは振動する身体を抑えたものか解き放っていいものか一瞬迷いました。

   二部はワークショップでした。片岡通人さんは東京シティバレー団を経て創作舞踊に入った方です。意識を肩からゆびさきに向かってすこしずつ充たしてゆく...すると意識するだけで身体が反応しました。ひとはもともと身体と魂と感覚と一体のものだった....精妙な器だったのです。....そして宇宙でたったひとつの楽器でもある....150名の声の倍音はとよもす波となりました。

   そして、わたしはあっという間に境界を越えていました。変性意識といいます。非日常意識、ユング心理学の集合無意識の領域、いわゆる神懸り状態です。声は150名の倍音のはるか高みに飛翔してわたしはウタっていました。聞いたことのないうつくしい歌でした。どこから出ているのかわからない声でした。川瀬先生の個人レッスンで川瀬先生から求められていたものがその時わかった。宇宙につながること....わたしはクリスタルの結晶.天と地を讃える楽器でした。

   わたしはもしかしたらそうではないか...と感じていたもの......太古のシャーマンの末裔のひとりであることをあらためて自覚しました。今 読んでいらっしゃる方縁につながる方のなかにもそのような方がいらっしゃるかもしれませんね。....いつのまにか消え去ってしまったひとびとがいます。天と地のあいだで調和して平和に生きていたひとびとは、いつのまにか滅びてしまったように見えます。けれどもそのひとびとの血はわたしたちのなかに流れている....わたしが呼び覚まされたように、わたしはひとびとのなかに眠っているたいせつなものを呼び覚ましたい....ウタとカタリで...夕べ、扉が開きはじめました。その向こうにあるのはスピリチュアルであって”知”です。


オリオン星雲





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




.......宗佑は自殺しました。美知留の心まで自分のものにできないことを知ったからです。宗佑には幼い頃、母親から捨てられ親類中をたらいまわしにされた過去がありました。彼は美知留とあたたかい家庭をつくることを夢みていましたが、それがかなわないこと、生きていれば執拗に美知留を苦しめてしまうことから、美知留を自由にしてあげるという遺書を残してゆきます。実はその自殺も美知留を縛ろうとする行為....の一面があるのですが....。罪悪感から美知留は姿を消します。

   瑠可は日本選手権で優勝します。性同一性障害について記者に質問されますが、瑠可は自分がモトクロスに挑むのは性差を超え、男と対等に臨めるスポーツであるからだ.....と堂々と答えます。しかしカミングアウトはしませんでした。シェアハウスでともに暮らしていたエリーとオグリンが結婚し去ってゆきます。タケルは瑠可に美知留をさがしに行こうと誘います。

   ふたりは美知留が身を隠しているかも知れない銚子の海岸で夜を明かします。そしてタケルは瑠可に姉とのトラウマによって女性に恐怖を抱いていることを告白するのです。美知留は宗佑の子どもを宿していました。その子とともに生きてゆこうとする美知留にタケルと琉可はシェアハウスで子どもと4人いっしょに暮らそう と呼びかけるのでした。

   
   このドラマで作者は何がいいたかったのでしょう。トラウマの再生産....親から受けたネグレクトが宗佑のDVの原因でした。美知留の母の奔放さ、自分が母親の荷物に過ぎない...という心の傷は美知留の自信のなさ優柔不断さにつながっています。それが美知留を不幸にしているように見えます。タケルも姉から受けたトラウマから女性と性的な関係に入ることができません。こうしてみると瑠可の性同一性障害だけが天からの傷痕なんですね。瑠可は家族から愛されていました。そしてその瑠可の美知留への一途な変わらぬ想いが原動力になって物語を支え、登場人物を変えてゆくようにわたしには思われました。

   美知留の母である千夏や宗佑のありようをとおして性に依存する愛は否定的に描かれています。けれども宗佑の暴行から生まれた子どもを中心に瑠可と美知留とタケルのあたらしい生活ははじまってゆくのです。そしてその生活によってトラウマが癒されていく、負の連鎖が消えてゆくことを暗示してドラマは終わります。家族のありようとしてセックスレス、また血のつながりだけでなく、他人同士が寄り添うスタイルの可能性が語られていました。トラウマと向き合って生きてゆくために乗り越えてゆくために他のひとのあたたかい手と本人の気づきが必要だということが語られていました。

   脚本についてオープニングや伏線の張り方はよかった、マグカップが絆の象徴として使われていたのが印象的でした。ですが最終回は無駄な展開が気になりました。脚本の偶然はすべて必然であるのだから、やたら見る人をひっぱるようなたとえば交通事故とか...は要らないなと思います。もともとは悲劇として終わるタイプのものがたりと思うのですが、希望を残した終わりになった、その分インパクトが失われたのは否めません。途中でもどかしさがあったのですが、なにかノバラの香りのような魅力がありました。

   わかい出演者たちは役になりきっていました。もうひとつ望むなら表情ばかりに頼らないで...それも眉間を寄せる、視線を宙に遊ばせるというワンパターン、簡単だけど、メリハリがつかないですね。かなしみや絶望もさまざまです。裏切られた苦痛と衝撃、自分の心が通じないもどかしさ、ひとの安否の心配....それぞれ表情は違うはずです。もっとからだで表現してほしい....表のセリフに頼りすぎ、その裏の心の動きがどう声に出る、体に出る....。ですが、このドラマはかなり面白かったです。
   

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »