遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



 

着物リメイクにはまり ついには  ヤフオク 参戦してしまいました。

着物リメイクは  素材の着物 が 命 です。どれもが 世界で たったひとつ。

選択はセンス と 値段。

着物リメイクの作家さんの多くは 安く 着物を仕入れ 加工して  お金を稼ぐのですから高く購入したのでは ワリがあいません。

〜リメイクしたら  どれだけ   客にアッピールする 服が つくれるか  客の支持が得られるのか   に勝負がかかるのですが   多くの作家さんは  目線が  客ではなく  自分。自分がつくりたいものをつくる感じ。それを つきつめていけば  そしてセンスと技術を磨けば  客も売り上げも増えると思うのですが  いい作家さんは 数えるほどしかいない。

なかには 安物買いの着物で しみがあるのに  目立たない脇の下とかに 隠したり  片袖だけ  はぎ合わせが多かったり  仔細に見ると結構 辻褄あわせ  サギッシュな やり方をしている方もいる....

顧客と相談しながら   良心的であると同時に   卓越したデザインセンスを持っている方もおられるのですが  素人の片手間で   という方も多いです。

それで  というのでもないのですが  自分が気に入った着物で  つくっていただけたらとヤフオクに参戦してみたのです。

三日間 やってみて

初日   三戦全敗

二日目    五戦三勝   なるも 自動入札   自動延長で  15分も入札時間が長引き  熱くなって  予算の二倍落札になった。それから  混乱の巷で   買うつもりのない紬  落札してしまった。ただ 黒の絽   萩模様の うつくしい着物が落とせた。

三日目    戦法を変えた、ほんとうに欲しいものに絞り込み   高額になったものは捨て 落札時間間際の  入札にした。四戦三勝   葉っぱの着物   葉っぱと木の実の帯  そしてブルーの付け下げ  落札。

 

わたしのポイント

ほんとうに必要なもの どうしても手に入れたいものに厳選してウオッチリストにいれる。

自動延長があるか出品者を確認。

お金を出せる上限を決める。

自動入札はしない。

時間切れ 間際に  入札する。自動延長がある場合は  期限切れ五分以内に入札があると自動延長されるので  それより前に入札する。延長された場合  ガンガン入れる。そして 1,2分前に 上限金額をぶち込む。〜途中  上限を超えたら  あっさり 手をひく。

つまり   オークションとは  好きなものを手に入れたいという情熱と相手の心理を読む冷徹な戦略のあいだにある。 やっぱり  狩に 似ている。

モノ   を   イノチに差し替えている シュミレーションゲームの一種。



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岩絵の具をつくる職人さんの工房が  とうとう ひとつになったそうである。原料の石を砕き 水をいれなんどもなんども セラミックの壺の縁を叩く。その響きが遠くから水琴窟の音色のように聴こえる。なんどもなんども あかずに叩く。石の粒子が水にとけて水を流すと 底に岩絵の具が溜まる。たとえば緑青という翠の石から濃淡16色の翠の絵の具が生まれる。

日本の漆器はジャパンと呼ばれる。99%が中国産の漆だが  頑なに  質の良い日本産にこだわる職人さんがいる。なんどもなんども木漆を練る。木漆は次第に水分を失い ねっとりと色が濃くなってゆく。最初に黒漆 それから 丹   硫化水銀? 日本の赤。室町時代の漆器があった  ところどころ  赤が薄くなって地色の黒と赤のなんともいえない  風雅な色合いになっていた。

美しくなければ 意味がないでしょう?  美しいお椀で日に三度 味噌汁をいただく   それが 日本人のしあわせでしょう。職人さんがいいました。そうだなぁ   プラスティックカップで即席味噌汁では文化もなにもないなぁ。

伝統の食文化もあやしくなってきています。日本食といえば  しょうゆ  醤油の醸造につかう樽をつくるところが2020年に幕を閉じる。四国の醸造所ヤマロクさんが なんとか樽作りの技術を残そうと立ち上がった。噂を聴いて酒蔵や味噌づくりのひとたちも集った。大きな樽をつくるには  箍にする長い竹がいる。その竹がなかった。すると近所のおじいさんが おまえのじいちゃんがいつか子孫が必要なときがくるだろうと 俺の山に植えていったからつかっていいよ  といってくれた。竹の箍はステンレスより強い。150年保つという。すごいじいちゃんです。100年先を200年先を見据えている。

食文化も芸術も総合芸術なわけです。日本画で文化勲章もらったって  絵の具がなければ書けない。樽がなければ美味しい醤油はできない。日のあたるところ あたらないところ  隈なく  見てあげなくては。

国威発揚ってなんだ?  金メダルとるひとは偉いか?えらいよ  たしかに。でもね記録は塗り替えられるもの。新記録で1億円とか金メダルで何百万とか   それより営々と日本の伝統工芸や伝統文化を繋いできたひとたち  何とかしてあげてほしい。

一度 断ち切られた文化を元に戻すことはまずむづかしい。

うつくしい日本文化をささえてきたのは機械にたよらず手間のかかる手仕事をとおして 美   旨さ  に捧げてきた職人さんたちだと思う。



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演技  競技に選手のすべてが出る  と書いたけれど   競技のあと の佇まいにもそれは出る。小平選手のガッツポーズはとても自然だった。韓国選手をねぎらうようすに  男前だなと思った。

 そして カーリング 本橋麻里主将  手ずから立ち上げたチームの控えに回ることを決めたのは中部電力チームとの日本代表争いのときだったという。技量で落ちるというのではない。チームが力を発揮するために  控えに回った方が良いという冷静な判断だったという。そこにどれだけの重い決断があったか  察するしかないが。

大会中はストーンの癖を知り  メンバーに向いたストーンを投げてもらうため 夜中まで黙々とストーンを投げ続けたという。

ありえないことに韓国は大会中にストーン調整をするという暴挙に出て 対応しきれないチームが多かったという。日本チーム躍進の立役者は陰で支え続けた麻里さんだと思う。

優勝が決まって だれか チームメートのひとりが本橋さんを中央に引っ張り出さないかと期待したのだが それはなかった。残念だった。

あと 町田樹氏の フィギュアスケート解説デビューが面白かった。羽生選手の金メダルを 組織力の勝利です。 と看破したのはまさにそのとおりで小気味よかった。また 各選手への愛情あふれるコメントも  よかったし 歯にキヌ着せず 大会運営の問題点まで踏み込めたのもよかった。日本スケート連盟の多過ぎる問題点までは無理と思いますが。

力を尽くし切った選手に  敬意を表します。金も銀も銅もないよ。自分を超えられるかどうかだけ!

歩夢さん  あれは  ホワイト選手に勝利してました。ななさん  キム ボルム選手にお尻を掴まれながらよく  耐えました。

 

真央さんの姿は平昌にはなかった。まだ 終わっていないんじゃないかとふと思った。



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今から 数十年前 わたしは小学生だった。そのころもいじめはあった。いじめは戦争同様 人類と切っても切れないものだと思う。戦争自体 大規模ないじめといっていいかもしれない。なぜ子どもが 子どもをいじめるのか? そこには異質なものを排除したいという本能的なものがあるのではないだろうか。異質....とはたとえば 夢見がちな子ども おとなしい子 反対に強い子ども 価値観のちがう子ども.....子どもは異質なものをかぎつける そして そこに 親の価値観も加味される。子どもは呼吸するように親や先生の考えを吸収するものだから 親が勉強ができることを価値としたり 生活のクラスを価値としたりするなら 学習困難な子どもや 生活困窮家庭の子どもは それだけで差別の対象になる。

東京のベッドタウンの県庁所在地 各学年4クラス規模の小学校 的井博美という男子がいた。とうじ 男子にヒロミという女性のような名前をつけることはめずらしかった。和夫 進 明 雄一 の時代である。そのうえ 天然の茶髪だった。いつも開襟の白いシャツを着ていた。めっぽう気が強かった。なぜ的井くんが男子のいじめの対象になったのかよくわからない。異質 だったのだろう。的井くんはクラス中の男子を相手に戦っていた。教室で黒板拭きで顔中たたかれ 顔中真っ白になりながら また 校庭でとっくみあって袋叩きになって 擦り傷と砂混じりになって それでも果敢に戦い続けていた。学校を休むこともなかった。

藤平栄という女子がいた。母子家庭で母一人子ひとり 母は廃品回収業をして女ながらリヤカーをひき 額に汗して娘を育てていた。クラスの男子はウジヒラと呼び 女子もなにとなし 藤平さんを避けていた。的井くんがいじめられているとき わたしは両手を握りしめ やめてよ卑怯だよ ということばが胸のなかをかけまわっているのに どうしても声が出せなかった。藤平さんとは わけへだてなくつきあった。だが 日直の時 男子が朝つぎつぎと私の席にきて おまえが男子の下駄箱のそうじをしてくれといったとき うなづいたのだった。単純なはなし 頼まれたのがうれしかった。だが 次第に気分がわるくなった。藤平さんは 口もきかず さっさと女子の下駄箱をそうじして帰ってしまい わたしは謝ろうと 藤平さんの家のトタン塀のまわりをぐるぐるまわったけれど ひとの気配もなく しょんぼり帰った。

わたしはあのとき いじめの傍観者だった。そして加担者であった。このふたつのことは痛烈な思い出である。自分がいっときクラスの有力な男子3人に目をつけられいじめられたときよりも痛烈な思い出である。今でも わたしは 的井くん 藤平さんの顔をまざまざと思い出す。

今日 わたしは 小学校最後のお話会で 透という子どもの話をした。ともだちをかばった 正義の味方になったために 自分がいじめを受けるようになって 自殺した子どもの話だった。自分の体験も話した。みんなだったら どうする? 黙って見ている? 陰でこっそり助ける? いっしょになっていじめる? それとも? と問いかけた。

いじめられることは 恥ずかしいことではない 自分の価値が下がることではない。いじめられるほうが悪いなんていうことはない。 いじめるひとのほうが どこか心がさみしいのだ。

これから 中学にいって 高校にいって 社会に出たとき 自分がいじめの対象にならないとは限らない。もしいじめられたら おとうさんおかあさんに相談すること 先生に相談すること。どうしてもだめだと思ったら めちゃくちゃにされる前に 逃げるのもひとつの方法だ。学校を換える。会社を換える。死ぬよりはずっといい。

いじめるひとはすぐ忘れる。いじめられたひとは 十年も二十年も三十年も覚えている。似た状況になたっとき おとなになっても パニック障害を起こすほどに。アクティングアウトを起こすほどに。

からだを傷つけるのだけがいじめではない。ことばで ラインで ネットでいじめる。 いじめられるひとは心が血を流している。いじめは魂の殺人である。

 

 



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 絵に書いたような 金銀フィニッシュ。

だが   心は晴れず。

克己心とヒロイズムは違う

ドラマを演じるのと  ドラマを生きるのとは違う。

ネーサン チェンのフリーは美しかった。

ハビエルもよかった。

羽生選手は技術は高いが  ノイズを感じる。その揺らぎのような  不安定さに ファンは魅力を感じるのだろうと思う。強い自己愛があって  強い共感性があるので  その磁場にファンが惹きこまれる  これがわたしの感想。一体化するとしあわせなんですね。それもいいことです。わたしはそのノイズにふれると 見ると 染まるようで気持ちがよくない。

つい フィギュアの放送を 見てしまったが  むかしのように   見ることで清められることはなく  もやもやしたものが残った。リプニツカヤも引退という。まっすぐな子だった。氷上で赤いコートが目にしみた。報道されていることで正しいのは わたしの名前だけ    と言ったそうだ。

よほど 強い軸を持っていないと  フィギュア界でまっすぐ生きてゆくのはたいへんだ。権力とおかねの世界。みどりさんが  テレビに呼ばれないわけは?   渡部絵美さんは政治家となにかあったといってましたね。真央ちゃんが選んだ道は正しい。権力でなくお金でなく フィギュアを愛して ひろめること。

そして   なんですね   オカマが悪いとはいいませんが   男子はオカマの世界です。リッポンが泣く  女性の所作ですね。それもいいでしょう。物語性はありました。

宇野くん   おかまにならないでね。

たしかに  マッチのいうように    団体戦 出ない方が  有利な感はありました。



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おいでくださったみなさま ありがとうございます。

1000の昼 1000の夜  から 遠い森 遠い声 まで よく たずねてきてくださいました。

記事にして20000 以上は ありましょう。 3.11のころは 1日 10ぐらい書いておりましたから。

おつきあいくださって ほんとうに ありがとうございます。

 

櫻井先生が ルカさん HP お書きなさい と 命令のようにおっしゃって はじめたのでした。

最初は ホームページ ビルダーでした。

HP そして ブログを書くことは わたしにとって おおいなる 支えでございました。

夫の病 こどものこと 仕事について考えをめぐらす 夜  カタリカタリに腐心した日々 ....

組織や人間関係に 翻弄され 慟哭した 日。騙され 真実をさぐるべく奔走した 日。

3.11のときの恐怖 日本という国が 巨大な龍が侵食され苦しみ悶えるすがたを目の当りにしながら ほぞを噛む日々 闇の系譜に暗澹とする夜々 

あぁ ほんとうに ブログの向こうにいる あなたにむかって 書き連ねることで わたしは希望を見出し 生きるちからを奮い起こしてこられたのです。

 

どんな苦境にあっても 悲しみの底にあっても あたりをみまわし 知恵をしぼり 行動を起こし まっすぐ まっすぐ 進むなら かならず 道はひらける。 それを確信した5444日でした。 ほんとうに ありがとうございました。そして これからもよろしく おねがいします。

 

 



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戦争と平和 19回の公演 が 終わって 親子おはなし会がおわって ギリチョコ 本命チョコ 

買い求めて 二時間ちょっとのカフェ暮らしでものがたりは 生まれてた。 カーターヘイズの紅いバラ

ひさびさの愛のものがたり。

 

もうなにかもいい....櫻井先生とのこと ちなみさんとのこと 師と弟子の関係は ときに親子関係より

熱く重い。それが ほどけ ながれ ただ 会うことに意味があったと 覚ったとき なにもかも 無

にちかくなった。色も熱も重さもうしなって 淡いグレーに透きとおっていった。

わたしはこれから どこに向かうのだろう。

 

この想いを 受け止めてくれる胸がなくても 語る唇がなくても もういい。わたしは 此処に いる。

ゆだねて ゆられて 此処にいる。

 

やっと 愛の成就が 語れる。 悲劇ではなく 明日に向かうものがたりが 語れる。

ながい ながい 夜の終わりは 夜明けでもなかった。 夜と昼はふたつでひとつ はじめからそこに

あった。

 



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きのう 午前10時少し前  快晴  自動車走行中  助手席で   前方中空   銀色の光るもの  飛行機!と思った瞬間  消えていました。気のせい?  すると 運転者が 今 光るものが見えたよね。 いったい なんでしょうね?

アメリカで UFOみたいな  超飛行物体を開発 という ネタを以前 読みましたが ソレ?

わたしは少なくとも過去三回 UFOと呼ばれるモノを目撃しました。一度は 数年前夕方 6時頃 埼玉の空  ジグザク走行 していました。見つけたのは 連れ合いです。ふたりでしばらくボーッとみていました。あと二回 長野でみました。一度は夕方 ベランダからひとりで。もう一度は真昼間  車で長野市に向かう途中  ガラスでできているみたいな光る物体が中空に浮かんでいる。かなり大きかった。三人で見ました。シュッと右斜めに消えた。長野で見た二回は 3・11の年と翌年です。

アレはいったいなんだろう。UFOは 3・11のとき フクシマ原発の上空を飛び回ったとか。松代のパワースポットにもよく飛来と聞きましたが  アメリカの新型爆撃機がそんなところにくるはずないしね。

 



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きったねぇ やりかたです。 八角は八百長力士だけあって やることがセコイね。

それだけ 権力にしがみつきたいのか まぁ メディアぐるみで 相撲の闇 を守ろうっていうんでしょうね。

メディアは 一見 貴乃花の味方する振りして 求心力低下を印象付ける 高等テクニックをつかうようになった たいしたもんだ。

http://www.mag2.com/p/money/372658?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000204_sun&utm_campaign=mag_9999_0204

以下 抜粋

なぜ 貴乃花票が たった 二票だったか!?

理事選報道に感じる違和感

今回の理事選の報道を見ていて奇異に感じることは、理事選の投票方法が事前に報道されていたものと異なっていた可能性が高いことがほとんど報道されていないことである

一門と無所属の親方を合わせて基礎票が11票しかない貴乃花一門が阿武松親方を理事候補として立てることを決めたなかで、貴乃花親方が「1票でいい」という覚悟を持って理事選に打って出たのは、少なからず他の一門の「隠れ貴乃花支持者」からの支持が得られる可能性があると踏んでいたからのはずである。

貴乃花親方がそう考えるに至った前提条件は、理事選が「無記名投票」で行われることだったはずだ。

「無記名投票」というのは、予め候補者の名前が印刷されている投票用紙に〇を付けていく投票方法である。この投票方法の長所は、誰がどの候補者に投票したのかを特定し難く、投票者の自由な意思が反映されやすいことである。

日本相撲協会の理事選でも2010年からこの「無記名投票」方法がとられて来ており、今回の理事選でも同様の方式で行われると思われていた。少なくとも、メディアに連日登場していた相撲界の専門家達もそうした前提でコメントを出していた。

しかし、今回の理事選は「記名投票」で行われたようである。

貴乃花親方「大相撲は誰のものか?」

貴乃花親方は理事選に立候補を表明した2月1日のブログで、立候補の理由として次のことを述べている。

相撲協会の現状を見てみると、社会的な責任を果たすよりも協会内の事情や理屈が優先され、公益性から逸脱しているのではないかという大きな疑念を抱いております。大相撲は誰のものか? その公益性の意味を我々は考え直し、正す時期に来ているのではないかと思います。

出典:貴乃花親方からのメッセージ – 貴乃花部屋 TAKANOHANA BEYA(2018年2月1日配信)

今回の理事選が突然「無記名投票」から「記名投票」に変更されたことはもとより、投票方法の変更がどのようなプロセスを経て組織決定されたのかも一切明らかにされていないという現実は、貴乃花親方の「撲協会の現状を見てみると、社会的な責任を果たすよりも協会内の事情や理屈が優先され、公益性から逸脱している」という指摘を正当化するものである。

貴乃花親方が惨敗したのは、貴乃花親方の支持が広がらなかったからではなく、日本相撲協会が協会内の事情や理屈によってそれを阻まれたからということになる。

今後の焦点は、日本相撲協会の「協会内の事情や理屈が優先され」た結果選ばれた理事候補を評議員会がすんなりと認めるかとなる。

1月4日の貴乃花親方の降格を決めた評議員会後の記者会見で、池坊委員長は2月の理事候補選挙で貴乃花親方が当選した場合の対応として「評議員会は、理事会とは別個に相撲協会の管理運営などに対して正しく行われるようにする機関。その時、評議員みんなが知恵を出し合いながら進めていきたい」と発言している。

今回の理事選では、部屋での過去の暴行事件を相撲協会に報告しなかった春日野親方や、不祥事が相次ぎその管理能力に疑問が付けられている八角親方などが理事候補に選ばれた。こうした候補者が相撲協会の理事として相応しいのかについて「評議員みんなが知恵を出す」ような運営をするのか、それとも貴乃花親方でないという理由で何の議論もなく候補者を理事として認めるのかは注目されるところ。

また、「理事会とは別個に相撲協会の管理運営などに対して正しく行われるようにする機関」である評議員会が、理事候補選の投票方法が「無記名投票」から「記名投票」に変更になった理由その決定プロセス、さらには、理事選で落選した候補が降格になるという物言えぬ雰囲気を作り出す相撲協会の慣行などについてどのような見解を出すのかも注目されるところ。

以上

さぁ さぁ さぁ さぁ  池坊さま 評議員さまたち どうなさいますか!?

相撲を潰すも 生かすもみなさましだいです。

 



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数年 のど自慢を聴いているが   鐘  が変である。

うまいなぁ   いいなぁ   という歌に鐘がならず   ちょっとイマイチという歌に鐘がなることが ある時期から 多くなった。首をかしげる判定が増えた。

その理由として考えられるのは

1   ドラマティックに盛り上げるため  職業  家族  によって  手心を加える。

2    瞬時に判定を下さなくてはならないので  リハーサルのできで あらかじめ 判定を決めておく。

3    NHKで   判定している ひとの耳が おかしい。

4    家族とわたしの耳がおかしい。

 

おそらく 2  の理由が 80%   それに  1   が加味されてのことだろう。

ひとはさまざま  本番につよい  ……… これがホンモノと思うが    タイプと本番に弱いタイプがいる。

この差が   聴いている側の違和感 の原因ではないか?

ホンモノが駆逐される   という 世のならいの一端ではあろうが  視聴者としてはつまらない。参加者には不公平。ー



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 なるほどでございます。ぐるみでございます。貴乃花親方に与したのはたったひとりでございますか?  もはや 相撲界は真っ暗闇のまっくろくろすけばかり.....どうやらNHK

さま 横審さま 池坊保子さま  みんなぐるみー

八角の締め付け 厳しかったんでしょうね。

 



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今日  理事選    正念場   相撲界は変われるか!?

貴乃花一門は ふたり を 立候補させる。

貴乃花は 自らの一票だけで 理事選に臨む、隠れ貴乃花派は  どれだけいるだろう?

角界を あるべき姿に戻そうとする 志ある 親方は どれだけ いるだろう?

 

ここにきて 白鵬  の 肘のサポーター への疑問  なにやら とても 固いそうである。

エルボーとカチアゲを封じられた 白鵬は  なすすべなく 敗れ続ける。部屋の関係者がエルボーカチアゲがなければ 勝率 六割と言ったとか。大横綱が聞いてあきれる。横審は なぜ いままで  放置していたのか?

それこそが最大の不祥事だ。

池坊氏は 貴乃花親方の礼節を 問うが   池坊専永氏との離婚原因は 夫君の目の前で娘の家庭教師との不倫が 発覚したためという。白鵬の不倫といい  礼節に不倫は含まれないのかな.   似た者同士である。

 



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ケルトの伝説   絶世の美女  ディアドラと英雄ノイシュのものがたりを語って歌ってもう十年以上経ちました。そのあと  竪琴も こちらも美女と英雄の運命の悲恋 … を  語りうたいました。語りも 歌も  オリジナルです。

マキリップの 冬の薔薇を読んで  タムリンの伝説を知り ひさしぶりに 語り部の血が騒ぎました。運命に翻弄されるのではなく自ら運命を切り開く王女のものがたりです。ものがたりは 生まれるだろうか 歌は降ってくるだろうか  果たして?

中世 では和洋を問わず  弦楽器  琵琶  竪琴を手に 歌い 語るのです。それでわたしも一年発起し ビウエラを習ったのですが  あえなく挫折。数十万かけたビウエラは埃をかぶり 怖くてケースも開けられません。水戸先生 ご無沙汰しておりますが お健やかにお過ごしでしょうか?  先生から戴いたことば 天は自ら 助くるものを助く。は忘れることがありません。

そう いえば  今 一番語りたい和ものは 弐の姫ものがたり  この姫も  究極の選択を自ら選びとります。   昔は  芦刈   たまゆら  染殿の妃 など運命に流されてゆく哀しい愛のものがたりを  好んで語っておりましたが.  わたしも 風雪に耐え !   随分と変わってきたのでしょうね。心も 残念ながら姿も。 ひとを育て終え  肩のチカラも抜けました。さぁ これからだ!

まずは 衣装が さきに生まれそうです。古代紫の 薔薇の 絞り。

 



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雪で車が立ち往生しているんです。lucaさんは?

えっ 明日ではなかったの?

今日ですよ 今日!!

スケジュール表の記入違い きのうは 雪かきで疲れ果て メールチェックもしていなかった。

現場へかけつけたのは 9:40 全員集合が9:50    本番  10:40

当然 リハーサルはできない。稽古1回だけで本番。19日の感想と うちあわせをかんがみ 今日 手直しするはずだった脚本もそのまま。

だが 心は静かだった。このひとたちならできる。

ミーティング 体慣らし 場当たり すぐ 本番。

トーク そして第一話 本がすき 第一話が流れをつくる ... 風船爆弾 トーク 学童疎開 お弁当

瞬く間に時間がたってゆく   そしてトマト 戦争孤児 山田清一郎さんのものがたり

ちかくですすり泣きが聞こえる  ふと見ると みなさんの視線が痛いように向かってくる。

上気した顔 泣きはらした目 .....

神戸大空襲で両親を亡くした山田さんは神戸の焼け跡をさまよった。食べ物は拾うか盗むか物乞いするしかなかった。横浜銀行の焼け残った金庫室のなかで4人の孤児たちは肩を寄せ合って暮らした。トシちゃんとアキラが死んだ。 無賃乗車で東京に出て 上野駅地下道で ほかの戦争孤児たちと暮らした。世間のおとなたちは浮浪児と呼んで忌み嫌い 石を投げたり 棒で追い払ったり 水をかけたりした。山田さんは 警察の浮浪児狩でつかまり その後長野大本営あとにつくられた施設 敬愛学園に送られた。 村のひとたちは野良犬がきた 浮浪児がきた バイキンのかたまりがきた と自分の子どもたちと学ばせることを嫌い 一年三ヶ月のあいだ村の学校に行けなかった。やっと行けるようになった日 教室はなく 三年も四年も学校に行けなかった子どもたちの初登校の日 それを喜んで迎える教師はひとりもいなかった。山田さんはそのことを忘れないという。施設を出たあと 鉄工所や酒屋で住み込みで働きながら 27歳のとき中学校の教師になった。

なぜ 山田さんは 中学校の先生になるために努力したのだと思いますか?

山田さんや他の戦争孤児のみなさんは からだが小さい方が多いのですが どうしてだと思いますか?

山田さんや 他のおはなしを聞いた孤児だったみなさんは 人間が信じられかった とおっしゃいますが なぜだと思いますか?

極限状態で人間の本性はあらわになる。食べ物がない  いつ襲われるか  いつ死ぬかわからない   そのような極限にあっても 他者のためにわが身を投げ出したひとはいる。自分より他のひとたちのことを考え 行動したひとはたくさんいる。わたしは 戦争と平和を語るにあたって  最初 そのような心のあらわれるようなものがたりを献身を好んで語った。お弁当や波多先生や焼き場の少年などを 本から選んで語った。

けれども  直接  戦時を体験した方々から  胸を胸を絞るような 目の背けたくなるものがたりを聴き書きするようになって  切ない 痛い   苦しみにみちたものがたりも語るようになった。重いばかりでなく  そのなかに  苦しみから昇華した 透き通ったなにかを加えるようにしたけれど。

体験者の内側には  72年 経ってなお消えざる  恨み悲しみが あって わたしはその前で黙しこうべを垂れるしかなかった。 

戦争という究極の極限は  わが身可愛さ  ひいては他者を顧みない冷酷  を生む。 浮浪児への差別 学童疎開でのいじめ 軍隊における私的制裁 リンチ いじめ……満州で  いい人から死んでいったと話すひとがいた。平時では親切でやさしいひとが  豹変する。そこには 国家に刷り込まれた価値観もあっただろう。しかし  国がという言い訳は  良心に照らして あるいは神の前で   赦されるだろうか。まして こどもに向けてのいじめは あってはならない。

戦争の残酷さは  身体が損なわれる いのちを失う  家を失うことのみではない。ひとがひとを踏みしだき  さげすみ 奪うことにもある。それは魂の殺人である。ひとがひとでなくなるのだ。かろうじて  生き延びたひとも  魂の傷を抱えて 長い年月を生きてゆくのだ。

山田さんも岩井さんも生還した。家族に恵まれ  職業を持ち  人生の成功者にもなった。だが 裏切られ 足蹴にされ 辱められた  心の傷は癒えなかった。虐める側は忘れても虐められた側は忘れない。何十年も傷ついた心をだいて 癒しながら歩いてゆく。戦争によるいじめ  だけではない。学校で職場で いじめは存在し続ける。平成国際大学の関先生から わたしたちの活動について  戦争と平和のみならず  いじめについて言及され コミュニケーションを考える足がかりとなる活動であると  深い手紙をいただき わたしは漸く気がついたのだった。

身の回り   家族    メンバー  近隣に   いじめの被害者がいることに。メンバーにいたってはカミングアウトしたひとだけで4人。語ることで癒されてきていた……  あぁ  そうだったのか   このひとたち  わたしの愛するひとたちは   光にあつまるように   語ることに 引き寄せられてきたのだ。それだけでもよかったのだ  みなが癒され  自信を持って歩き出されるなら  それだけで  カタリカタリの意味はあった。

あとはまるもうけだ。 次代に種子を蒔いてゆくことさえも。でも 待って! 戦争とは究極のいじめでもある。 国が 国民を死地に追いやる 否応無く 糧食も弾薬も 医薬品もなく  酷寒の大地へ  密林へ  現地のひとたちを調達し  私財を奪う 命も奪う。強いものが弱いものを蹴散らし  陵辱し  奪い尽す。他者のいのち 他者の尊厳 を土くれのようにあつかう。 国家を形成するのは 個だ。 とすれば 個の闇も語らねばならない。戦争というものが  自分の外側にあるのではないということ  他人事ではないのだということ  知らぬ存ぜぬではないということ  まして 見過ごすことは罪を生むということ。

こうして  戦争から いじめへとものがたりは展開した。終わって 家について  二時間 呆然と 時は過ぎていった。ひとりの語り部として 今日の役目を果たすことができた。聴いてくださるみなさんの魂の扉を叩くこと  それができたとき  わたしは無になる。安寧がひたひたとおとずれ  わたしを包む  束の間の安らぎ  休息。

 



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朝のおはなし会   今日のわたしは気追いたっていた。前の日  語るとき  内へ内へ向かっていて 外へ 聴き手へ向かっていないように感じて  バランスを修正しようと それで  ……

森へ向かう 茂作と箕吉の後ろ姿を視る   子どもたちの目を見る   渡し舟が視える   子どもたちのまっすぐな目を見る    そのうち 集中が途切れて  ラストシーン  お雪の声は風の叫びのように細くならず  その姿は 煌めく霧とは ならず……  ただ箕吉が呆然と座り込んでいるばかり……

これは 過程の問題なのか…… 幾度か試みれば 内へ外へというバランスは ほどよくなるのだろうか  だが 本番で実験はできない  そして本番でなければ 聴き手はいない  25日の公演の前に わたしは立ち竦んだ。

ふと 思った。自分のうちと深く深くつながるということは  聴き手のうちがわと 深く深くつながることにならないだろうか?  「あなたが ひとの共通のベースに向かって語りかけているのがよくわかった」…… これは  yuzuriさんの白いスペースで 聴き手の大学生から 受け取ったことばである。

このところの公演では おとなであったり 子どもであったり  必ず 聴き手のどなたかが号泣する。そのことをわたしは終演後にメンバーから聞く。語っているときは  たとえば一面の 瓦礫  炸裂する焼夷弾  透きとおった波  絶え間無く空から降る雪 しか見えないからだ。  正直 わたしは 聴き手を見ていない。だから目線があうという次元ではなく  魂に触れた ということ?

それは もしや  聴き手の根底 共通の土台  のどこかに 触れたということではないか   自分のベースの深いところから 語る。それが深ければ深いほど 聴き手の深いところを穿つということではないか。では どうやって より深く 自分の内側へ降りてゆく?   どこで 聴き手の魂とコンタクトする?

 わたしが     ではない。わたしは 橋渡し 仲介者 。わたしがなにかに 触れるのだ。  ひとならぬなにかに。 自分の奥底の。ひとの世の底知れぬ深い闇をくぐり    ヒ のみなもとに。

自分の源  水元   に深く深くコンタクトすることで   聴き手のみなもとへコンタクトする   そのために  わたしのできることはなにか?

 



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