知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

芸能人による首長への出馬

2006-12-24 09:10:00 | Weblog
東国原氏が宮崎県知事に出馬を表明した。
芸能人がその知名度によって当選しやすいのは事実である。
だから、国会議員にはたくさんの芸能人出身者が存在する。
しかし、組織のトップとして人心を掌握して、行政を全うすることは容易でない。
攻める立場だけの議員とは、様相が異なる。守る・防衛すると言う要素が加わるからである。
守る・防衛するためには、議会との共存と職員を味方に付ける必要がある。
地方の議会には、土建業界をはじめとする地元既存産業の代表者が多く存在する。そことどうやっていくかである。
また、地方へ行くほど、県庁職員のエリート意識は強いのである。そういったエリート意識の強い中へ、何かとゴシップが多く、揶揄され、批判されるようなことのある人間が、強力な人脈やブレーンを持たぬまま入っていってもうまく機能しないだろう。
20年以上も国政に君臨した青島幸男氏が、都庁内では、「何もやらない人」をはっきり否定的な評価を受けていたのである。(幸い、東京都は、人材が豊富であったので大勢には無影響だった…と思う)
逆に石原慎太郎氏(芸能人とはいえないが…)は、一橋大学関係者を中心とした人脈・ブレーンがものを言っているようにも思える。
職員が言うことを聞かないからと言って、恐怖政治を敷けば失敗するだろうし、議会との強調を欠けても失敗するだろう。
芸能人が忘れてならないのは、首長になったときから住民が厳しい目で自分を見ていると言うことである。限られた資源の配分を行っているのであるから、当然に、住民全てが満足するわけがない。間違っても住民が自分のやることを好意的に見てくれていると勘違いしてはいけない。宮崎県は、交付税への依存が低くない。交付税交付金の低下によって行える事業は限定されていくことだろう。自分の理想など貫徹できない。
どれだけ中央から利益を誘導してくるか、それを県民は期待していると思う。(ただし、それに応えていては、行財政改革が進まないので、そのへんのバランス感覚は必要だろう。)
守る・防衛すると言う要素を果たすためには、宮崎県の場合、芸能人には無理な気がする。

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