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わたらせ渓谷の旅 足尾銅山観光

2017年05月06日 | 旅行記

足尾銅山の発見は1550年(天文19年)と伝えられている。
江戸時代には、幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始され、最盛期には年間1,200トンもの銅を産出していた。
しかし、江戸末期には廃山同然の状態になり、明治になると民間に払い下げられた。
これを買収したのが古河市兵衛という人物である。
枯渇したと思われていた足尾銅山だったが、幸運にも新たな大鉱脈が次々と発見され、20世紀初頭には日本最大の大銅山に成長した。
鉱山業は土木、機械、電気の総合技術が必要な産業で、日本の近代化の出発点になった産業である。
足尾銅山で巨万の富を得た古河市兵衛も経営の多角化を進め、古河財閥を作り上げていった。
旧古河財閥系企業には、古河電工、富士電機、富士通、横浜ゴムなどがある。
足尾銅山は1973年(昭和48年)2月28日をもって採鉱を停止し、銅山発見以来360余年の歴史を閉じた。
閉山後も輸入鉱石による製錬事業は続けられたが、それも1989年(平成元年)に停止した。
浄水場など今でも運営されている施設もあるが、ほとんどの施設は廃墟と化している。

足尾銅山には本山坑、小滝坑、通洞坑の3つの坑口があった。
本山坑から小滝坑はほぼ一直線に繋がっており、この太い坑道に横から接続する形で通洞坑が作られた。
以後、通洞坑周辺に主要な施設が建設されていった。
わたらせ渓谷線の通洞駅周辺が足尾の中心街である。

足尾銅山観光は1980年に観光坑道として開設された。
「かつて日本一の鉱都と呼ばれた銅山の坑内をトロッコ電車に乗って観光できます」、そんな説明があった。
嘘ではないが、正確でもない。
足尾銅山観光1
トロッコ電車は実際に使われていたものではなく、観光用に用意されたものである。
それに乗って、通洞坑から地下に入るのだが、走る距離はわずかだ。
足尾銅山観光2
トロッコ電車を降りると、そこからは歩きになる。
坑道は700mの直線で、地下水が染み出してひんやりとしている。
江戸時代、明治・大正時代、昭和時代の発掘作業の様子が人形で再現されている。
足尾銅山観光3
坑道の先は資料室になっている。
足尾銅山の歴史を綴った映画、使われていた道具や設備、採掘された鉱石、精錬所の模型などが展示されている。
公害や環境破壊に関する展示は一切なかった。
足尾銅山観光4
パンフレットには、周辺の観光地が2箇所紹介されている。
銀山平公園の温泉施設「かじか荘」と砂防ダムのある「銅親水公園」である。
銀山平公園に行く途中に小滝坑跡があり、銅親水公園に行く途中に本山抗跡がある。
3箇所の坑口跡を回ると、銅山の大きさを実感できるかもしれない。

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