読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた 第71巻 1970年代後期14

2008-11-01 22:14:17 | 読んだ
1.宿無し/世良公則とツイスト 1978年4月

世良公則、ツイストは好きだった。
どちらかといえばサザンオールスターズの曲よりツイストのほうが性に合っていた。

そしてその中でもこの「宿無し」は<大のお気に入り>という曲である。

何がいいのか、ということを考えると難しいのだが・・・

サザンの曲の歌詞のほうが私の心情的にあっているし想像が可能な世界である。
しかし、ツイストのほうの歌詞は全然私の世界とは違う、ということが魅かれるものなのかもしれない。

この曲に出てくる女の子
『乾いた唇に流行の口紅を塗る』
『新しい恋をひろう』
『あいつの好みにあわせて髪の毛の色をかえる』
こんな女の子を間近で見たことがない。というか多分そういう女の子には近づかないと思う。

世良公則(ツイスト)の歌には私にとって異次元・別世界のようなカンジである。
ところがサウンド的にはハードでありながら素直なのでそのアンバイが心地よいのではないかと思うのである。

対してサザンオールスターズは、歌詞的には親近感があるのだがサウンド的に会わないんだと思う。


2.ストップモーション/尾崎亜美 1978年2月

つまり、どちらかといえば都会的なサウンドというのは苦手なんだと思う。
「洗練」とか「ポップな」とかは、なんというか恥ずかしいのである。

このストップモーション或いは尾崎亜美のサウンドはそれなりにいいと思うのである。しかし夢中になって聞くようなことはない。

それはもしかしたら「7」のせいなのかもしれない。
7というのは、コードで例えばAmではなくAm7というようなもの。
このストップモーションでは、マイナーのコードにはすべて7がついている。
このようになセブンスコードといわれるものを使用すると、乾いたカンジになる。
(と私には聞こえる)
そしてそれがどうも洗練とか都会的というふうになるみたいである。

と、長々しくのべてきたが、つまりこのストップモーション或いは尾崎亜美の曲は「いいなあ」と瞬間的に感じるが続けようとはあまり思わないのである。

都会的というのは粘着性がないというか長続きしないというか、私にとってはそんなものなのかもしれない。


3.闘牛士/Char 1978年3月

Charというのはスゴイ奴なんだということはなんとなく知っていた。
そのスゴイ奴が満を持してレコードを出した。

というのが当時の情報であった。
で「気絶するほど悩ましい」でいかにもそれらしい曲であった。

ところが私は「エーッ?!」というカンジであったのだ。
なんだか「アイドル路線」らしいのである。
作詞が阿久悠というのがどうもいやらしい感じでもあった。

阿久悠の詞が悪いというのではなく、そうではなくてもっともっと新しく、何かを壊すというようなカンジにはならなかったのか、と思ったのである。

ベテラン投手と野村捕手による計算され尽くした配球で勝負する形より、投げてみなければどこに行くのかわからないがものすごいストレートを投げる、そんなことをしてほしかったのである。

ところでCharのスゴイところって、どうも専門的すぎてよくわからないのである。
『ロック界に衝撃を与えた』というのはどういうところなのだろうか?
いわゆる『玄人筋には認められていた』ということと同じなんだろうと思うのであるが・・・


4.吸殻の風景/さだまさし 1977年7月

この曲が収められているアルバム「風見鶏」は私が唯一もっているさだまさしのレコードである。

「意欲的」というアルバム。つまりそれまでの叙情的な(タモリ的に言えば『暗い』)ものから脱皮をはかったものだから買ったと思うのである。
そして「風見鶏」はお気に入りのアルバムである。

それは「脱皮」できていると思ったからである。
特にこの「吸殻の風景」はリズム感があってロック調でもあってなかなかいいのではないかと思ったのである。

ところが世間はあまり認めなかったのではないだろうか。
つまり「意欲的」であることはまあヨシとはするが、やっぱり<さだまさし風>というのは別にあるのではないかと・・・

というわけで、この「吸殻の風景」は好きな曲である。


5.舞姫/吉田拓郎 1978年6月

この歌を聴いたとき、今何故この歌なんだろうか、と思った。
何かの主題歌なのかとも思った。

拓郎から感じ取っていた「時代への叫び」というか「反逆性」というのがなかった、というのがその根本なんだと思う。

いまこのようなノスタルジックな詩と曲でかれは社会に何を訴えようとしているのだろうか。
ということを考えていたのである。

拓郎の歌から何かを感じ取ろうとしていたのである。

で、イロイロ考えてみたのであるが「拓郎はうたいたい歌をうたっているんだ」と結論づけたのである。

そしてこの歌以降はそう考えることにしたのである。

「うたいたいから歌う」
というのがメッセージなのではないか。
それは私の考え方にも大きな影響を与えたのである。


6.ホームにて/中島みゆき 1977年9月

中島みゆきの歌は、心に響くときと、まったく聞きたくないときがある。

「やめて」というときがあるというのが特徴である。(勿論わたし的にである)
そして無性に聞きたくなるときもある。

この「ホームにて」は初めて聞いた。
「わかれうた」のカップリング曲だという。


「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする