読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

三国志 第2巻 宮城谷昌光 文春文庫

2015-02-17 21:53:49 | 読んだ
第2巻である。

まだ時代は、後漢の第10代質帝の時代で、摂政は梁太后である。梁太后の兄は梁冀(りょうき)である。

梁太后は「夙夜勤労」つまり早朝から夜まで働き、王朝の維持に努めている。
しかも人事に公平であり良臣を用いた。
兄の梁冀はとんでもない奴だが、彼の思うとおりにはさせない実力があった。

その梁冀は質帝に「跋扈将軍」と呼ばれて、質帝を暗殺してしまう。

で、次の皇帝は「桓帝」であるが、幼少のため引き続き梁太后が摂政した。
たとえ、梁太后が優秀であっても、この体制は不安定であり、正常ではない。

後漢は、幼い皇帝と摂政の太后ということが多く長い。
このことが、太后の近親者いわゆる「外戚」と朝廷内(家庭)を取り仕切る「宦官」が力をつけてくる。

その太后と外戚と宦官が、真に国を思い優秀な者だったら、この王朝は長続きしただろう。
と著者は言っていると思う。
そしてこのような組織の弱点は初代の光武帝にある、と断言する。

この、宮城谷三国志の第1巻と第2巻は、何故漢が滅びたのか、を検証しているようだ。

三国志の大きな魅力は、登場する人物たちの、いわゆる今風にいうと「キャラがたっている」ことである。
しかし、三国志の時代がなぜ起きたのか?を検証しているときに登場する人物たちも大いに特徴的である。

例えば、梁冀は古来大悪党であるとされていたが、彼がそれなりにやれたのはまあそれなりの人だったのではないだろうか、なんてことも考えさせられる。結局、彼は桓帝と宦官に殺されるのだが、その最後、妻の孫妻と服毒自殺をするところなどは、ちょっと印象が違う。

つまり、このころまでは、悪党であってもいわゆる「仁義」があったのではないか。

そしてその後「桓帝」の親政になったらいよいよ漢王朝はおかしくなってきてしまった。
それは仁義がなくなったからではないだろうか。

人がおのれの欲望をかなえるためにだけ、そして人物評価を好悪だけで行うことになってしまって、仁義なき戦い、つまりいよいよ三国志の時代に入ってくる。

映画「仁義なき戦い」では、山村組の組長がシャキッとしなかったから無駄な戦いが起きた、と、最後に広能が言っていたが、後漢も同じで、皇帝がしっかりとしなかった、あるいはしっかりとさせる組織でなかったことが滅びる要因ではなかったか。

第2巻の最後のほうで、いよいよ「董卓」が登場し、くんずほぐれつ、の戦いが始まろうとしている。


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