毎年恒例になっている、雛まつり用の雛かざりをおこなった。
初めて飾ったのが、長女の生まれた翌年であるから、昭和60年(1985年)である。
したがって、今年飾ると、30回目である。
飾り続けて30年、しかし、長女も次女もまだ嫁いでいない。
どういうことか?
ということは、あえて問わない。まあそういう状況なのだから仕方ないんだろう、と思う。
今から30年前に作られた雛人形だと思う。
実は、最初の頃は、雛人形ってほぼ同じ顔なんだろうと思っていた。
しかし、近年いろいろな雛人形を観る機会があった。
つまり、この頃は雛人形を公開するところが多くなって、割と容易にみることができるので、機会に恵まれるとみている。
で、気が付いたのであるが、全部顔が違うのである。
まあ「やっぱり」というべきなのであろうが、こんなにも違うのか、という思いもある。
時代時代によって顔が違う。
同じメーカーで同じ時期に造られたものでも違う。
そして、我が家のお雛様は、割と淡麗美形である。
と、身びいきながら思っている。
だからどうした?
という声が聞こえる。
そう、だからどうだってこともないのだが、そう思った、ということなのである。
この雛人形は3月3日まで飾ることになる。
嫁に行くかどうかは別として、娘たちの幸福を祈っている、つもりで、飾り毎日見ていようと思う。
追伸
今、宮城谷昌光の「三国志」第3巻、酒見賢一「泣き虫弱虫諸葛孔明」第3部、塩見七海「ローマ亡き後の地中海世界」第1巻、そして増田寛也編著「地方消滅」を、その時の気分で読んでいる。我ながらムチャクチャだと思う。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
初めて飾ったのが、長女の生まれた翌年であるから、昭和60年(1985年)である。
したがって、今年飾ると、30回目である。
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どういうことか?
ということは、あえて問わない。まあそういう状況なのだから仕方ないんだろう、と思う。
今から30年前に作られた雛人形だと思う。
実は、最初の頃は、雛人形ってほぼ同じ顔なんだろうと思っていた。
しかし、近年いろいろな雛人形を観る機会があった。
つまり、この頃は雛人形を公開するところが多くなって、割と容易にみることができるので、機会に恵まれるとみている。
で、気が付いたのであるが、全部顔が違うのである。
まあ「やっぱり」というべきなのであろうが、こんなにも違うのか、という思いもある。
時代時代によって顔が違う。
同じメーカーで同じ時期に造られたものでも違う。
そして、我が家のお雛様は、割と淡麗美形である。
と、身びいきながら思っている。
だからどうした?
という声が聞こえる。
そう、だからどうだってこともないのだが、そう思った、ということなのである。
この雛人形は3月3日まで飾ることになる。
嫁に行くかどうかは別として、娘たちの幸福を祈っている、つもりで、飾り毎日見ていようと思う。
追伸
今、宮城谷昌光の「三国志」第3巻、酒見賢一「泣き虫弱虫諸葛孔明」第3部、塩見七海「ローマ亡き後の地中海世界」第1巻、そして増田寛也編著「地方消滅」を、その時の気分で読んでいる。我ながらムチャクチャだと思う。
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