私が週刊朝日を定期的に購読するようになったのが、平成7年末か8年初めであった。
それから、約15年経った。
近頃は、週刊朝日もなんだかなあ、という気分があった。
読み始めたころはなんというか「格調」みたいなものがあった。
多分、それが週刊朝日の読者の定着になり、読者層の拡大を妨げる要因だったのではないかと思っている。
その最大の特徴である「格調」が失われつつある、と感じていたのである。
それでもまだ読み続けていたのは、これまでからの惰性と、連載されている角田光代の小説「坂の途中の家」の結末まで読みたいのと、内館牧子さんの連載エッセイに「胸がすく」からである。
さて、この週刊朝日が久々にやってくれた。
それが大阪市長の橋下徹に関する連載を「過激」に始めたことである。
その第1回を読んだ感想は「ふーん」というものであった。
まあ、始まったばかりで『まだまだ』の内容だったし・・・
そもそも著者の佐野眞一氏が書いてきた「評伝」はこういう出だしだったし・・・
だからあまり気にも留めていなかったのであるが、橋下氏からの苦情がでて『そういうものなの?』と思っていたら、あれよあれよという間に騒ぎは大きくなり、ついには朝日が謝罪という結果になり、さらには今週号で詳細な見解と謝罪が掲載された。
で、感想だが「なんだかなあ」である。
こういうことになることはわかっていたのではないのか。
つまり、あの連載は橋下氏への宣戦布告、全面戦争だったのではないのか。
そういう覚悟で始めたのではないのか。
それが、まあ極くあっさり「敗北宣言」である。
「なんだかなあ」というのは15年間読み続けてきた読者として「情けない」ということである。
今週号の見解と謝罪も「中途半端」である。
どうせなら、
「不本意であった、ゆえに廃刊する。」
くらいやって欲しかった。
ということで、角田光代の連載が終了したら定期購読をやめようと思っている。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
それから、約15年経った。
近頃は、週刊朝日もなんだかなあ、という気分があった。
読み始めたころはなんというか「格調」みたいなものがあった。
多分、それが週刊朝日の読者の定着になり、読者層の拡大を妨げる要因だったのではないかと思っている。
その最大の特徴である「格調」が失われつつある、と感じていたのである。
それでもまだ読み続けていたのは、これまでからの惰性と、連載されている角田光代の小説「坂の途中の家」の結末まで読みたいのと、内館牧子さんの連載エッセイに「胸がすく」からである。
さて、この週刊朝日が久々にやってくれた。
それが大阪市長の橋下徹に関する連載を「過激」に始めたことである。
その第1回を読んだ感想は「ふーん」というものであった。
まあ、始まったばかりで『まだまだ』の内容だったし・・・
そもそも著者の佐野眞一氏が書いてきた「評伝」はこういう出だしだったし・・・
だからあまり気にも留めていなかったのであるが、橋下氏からの苦情がでて『そういうものなの?』と思っていたら、あれよあれよという間に騒ぎは大きくなり、ついには朝日が謝罪という結果になり、さらには今週号で詳細な見解と謝罪が掲載された。
で、感想だが「なんだかなあ」である。
こういうことになることはわかっていたのではないのか。
つまり、あの連載は橋下氏への宣戦布告、全面戦争だったのではないのか。
そういう覚悟で始めたのではないのか。
それが、まあ極くあっさり「敗北宣言」である。
「なんだかなあ」というのは15年間読み続けてきた読者として「情けない」ということである。
今週号の見解と謝罪も「中途半端」である。
どうせなら、
「不本意であった、ゆえに廃刊する。」
くらいやって欲しかった。
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