読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

抱卵の子 新・御宿かわせみ  平岩弓枝 オール読物10・11月号

2009-10-23 23:19:56 | 読んだ
オール読物10月号には前編、11月号には後編が掲載された。

「かわせみ」の娘・千春が、大雨の日に水に足をとられて転んだところを、房州・袖ヶ浦から来た立花長太郎という若者に助けられた。

長太郎は、安政の地震以降行方の知れない父母を探しに東京にやってきた。
彼は地震の後、乳母とともに袖ヶ浦に逃げていたのであるが、2通の便りをよこしたきり両親は音信普通になり、乳母の弟が訪ねてみたものの、生家の薬種問屋・中里屋はなくなっていた。
そしてまた成人した長太郎が訪ねてきたのであるが、行方が知れない。

というときに千春が助けられたのである。
長太郎は「かわせみ」に滞在し両親の行方を捜すことにした。
勿論、かわせみに縁ができたからには、かわせみ人脈の長助親分も探索に一役買うこととなった。

そして、その中里屋の跡地にある倉庫と事務所の主人で貿易商の阮朝封という清国人が殺される。
更に、千春が誘拐される。

というところで、前編が終了。

後編は「謎解き」である。
謎解きなのであるが、イマイチよくわからないのである。
よくわからないのではあるが事件は解決する。

立花長太郎は、確かに「母」と思える人に会ったのであるが、その人から『時鳥(ほととぎす)は他の鳥の巣に卵を生み、他の鳥は我が子ではないのに卵を温めかえし、更にえさを与え育てる』という話を聞き、自分は乳母に育てられたのであるから乳母こそ真の母である、自分は時鳥ではない、として袖ヶ浦に帰ることを決意する。
つまり「抱卵の子」なのである。

そして、その「母」と思える人物の正体は?
というのが概ねの筋である。

最後に『るい』が大川を眺めながら思うことがすばらしい。

「人間に与えられた最高の幸せは、どんな悲しみや苦しみも、その人が勇気をふるい起こし、努力を重ねれば、いつか忘れる日が来るということではないか。そうではないと、人はとても生きては行けない。
 それでも多くの人は忘れようにも忘れられない心の痛みをひっそりと抱えていて、時にはそれが生きる支えになったりもする。」


今の日本人は一つの不幸を大事にしすぎ、忘れないように努め、一生被害者として生きていこうとしているように思える。
忘れることは悪いことではなく、許すことも悪いことではないように思える。

「再びこのような事件が起きないように・・・」
というコトバの持つ意味はよくわかるが、しかし、とも思うのである。

これからの社会はどうなっていくのだろうか?
という漠然とした不安は、今の日本人の心のあり方が揺れ動いているからなのではないか、なんて「るい」さんと共に思ったのであった。

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