1.中央フリーウェイ ハイ・ファイ・セット 1977年
赤い鳥が解散して「ハイ・ファイ・セット」と「紙ふうせん」に分かれた時、どちらかといえば「紙ふうせん」を応援したものでした。ハイ・ファイ・セットはユーミン(荒井由美=松任谷由美)の力を借りて「なんだかなあ」と思ったものでした。それが、いつの頃からかハイ・ファイ・セットのファンになり仙台のコンサートの常連となったのですから不思議です。
ハイ・ファイ・セットがユーミンの作品を歌うと上品感が高まり、オリジナルよりずっといいなあ、と思うのです。
中央フリーウェイ、卒業写真、冷たい雨、海を見ていた午後etc
事件があってもう復活することはないけれど、それでもまたあのコーラスを聴いてみたいと思うのです。
今、山本潤子さんはフォークソングをよくうたっていますが、ポップな曲もまた歌って欲しいと思います。
2.木綿のハンカチーフ 太田裕美 1975年
太田裕美はNHKの「ステージ101」に出てきたときから注目株であった。
「雨だれ」でデビューをしたもののその後あまりぱっとしないので心配していたらこの「木綿のハンカチーフ」が売れて、ああ良かったなあ、と思ったものでした。舌足らずのような歌いかた、大丈夫かなあ、と思ってしまうのですが、案外しっかりしているのが魅力です。
木綿のハンカチーフは、あの当時、ちょっと時代遅れではないかなあ、とおもうようなテーマだったのです。都会へ行った男の子を地方に残った女の子が慕い続ける、なんていないよなあ、なんて。
それと、こんなに慕われたら、迎えに来るか帰ってくるよなあ、と慕われたことのない私はこの歌の男の子に対して怒ってしまったのでした。
3.わかれうた 中島みゆき 1977年
中島みゆきの歌では最も好きな曲である。
振られることばっかりだった私にとって、ほんとに身につまされるようでした。
今でもこの唄を歌うとちょっとつまったりします。
♪ 恋の終わりは いつもいつも
立ち去るものだけが 美しい
残されて 戸惑う者たちは
追いかけて焦がれて 泣き狂う♪
という部分は「ほんとになあ」と心から同感し、いつか「立ち去る者」になりたいと願ったものでした。(遂になれなかったけれど)
4.「いちご白書」をもう一度 バンバン 1975年
「いちご白書」という映画を観たことがなかった。そして今でも観たことがない。それなのに、この歌のおかげでなんだか見たような気分でいる。
荒井由美の作詞作曲であるが、もう「バンバン」のものである。
高校卒業の年の曲であり、高校卒業と同時に「今までのようなわけには行かない」となんとなく感じていたのが、この歌で、その思いをさらに増幅させたような気がする。
この歌は、歌っていて気持ちがよくなる。なんだか無理やりに音程が上がっていくというか力ずくでそれでいて優しく音階を上げていくカンジが好きだ。
5.青春時代 森田公一とトップギャラン 1976年
森田公一は歌謡曲の作曲家で好きな作家であった。それが何をどうしたのか、こんな歌を作り自分で歌いヒットさせたのである。
この歌は丁度青春の真っ只中にいた私にとってはなんだか「恥ずかしい」うたであった。
♪ 青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 道にまよっているばかり ♪
なんて、わかったようなことを今言われても、なんだか犯人を教えられてから読む推理小説のようなカンジで、実は当時腹を立てていて、あまり好んではいなかったのだ。しかし、いまや「あとからほのぼの思うもの」の年代になると、なんだか大きな声で歌いたくなるのであった。
森田公一とトップギャランでは「下宿屋」のほうが好きである。あまりというかぜんぜん知られていないけれど・・・
6.襟裳岬 よしだたくろう 1974年
この歌で森進一がレコード大賞をとり、舞台に吉田拓郎と作詩の岡本おさみが上がってきて握手かなんかしたのを見たとき、泉谷しげるふうに「どうだこのやろー!」という気持になった、と同時に、「いいのか?」という思いもあった。
テレビをはじめ既存のメディアに対して突っ張っていたのではないか、俺たちも拓郎のあとに続いて、だらけきった年寄りくさいこんな世の中を新しいやり方で変えるんだ、と思っていた。心の底から思っていた。
そんなとき、拓郎は拓郎の歌でその年のレコード大賞をとった。
それで、舞台にも現れずテレビに己をさらけ出すこともないものだと思っていた。だから「マスコミに身を売ったか?」というのがあって、ちょっと複雑な気持ちであった。
♪ 襟裳の春は 何もない春です ♪
という部分、つまり「何もない」というのがけしからん、というのが当時あったが、どう思ったって勝手でしょ、「詩」というのはそういうものではないか、どうして皆が同じことを思い感じなくてはならないのか、そっちのほうこそ「ヘン」だと思っていた。
私としては「歌謡曲」で
♪ 角砂糖 ひとつだったね ♪
とか
「わずらわしさ」「いじける」なんてコトバが新鮮で、そっちのほうこそ「いいのか」つまり皆にわかってもらえれるのだろうか、と心配をしたものだった。
森進一の「襟裳岬」はそれなりにいいのだが、拓郎の「襟裳岬」はごくあっさりとしていて、いいなあ、としみじみ思うのであった。
赤い鳥が解散して「ハイ・ファイ・セット」と「紙ふうせん」に分かれた時、どちらかといえば「紙ふうせん」を応援したものでした。ハイ・ファイ・セットはユーミン(荒井由美=松任谷由美)の力を借りて「なんだかなあ」と思ったものでした。それが、いつの頃からかハイ・ファイ・セットのファンになり仙台のコンサートの常連となったのですから不思議です。
ハイ・ファイ・セットがユーミンの作品を歌うと上品感が高まり、オリジナルよりずっといいなあ、と思うのです。
中央フリーウェイ、卒業写真、冷たい雨、海を見ていた午後etc
事件があってもう復活することはないけれど、それでもまたあのコーラスを聴いてみたいと思うのです。
今、山本潤子さんはフォークソングをよくうたっていますが、ポップな曲もまた歌って欲しいと思います。
2.木綿のハンカチーフ 太田裕美 1975年
太田裕美はNHKの「ステージ101」に出てきたときから注目株であった。
「雨だれ」でデビューをしたもののその後あまりぱっとしないので心配していたらこの「木綿のハンカチーフ」が売れて、ああ良かったなあ、と思ったものでした。舌足らずのような歌いかた、大丈夫かなあ、と思ってしまうのですが、案外しっかりしているのが魅力です。
木綿のハンカチーフは、あの当時、ちょっと時代遅れではないかなあ、とおもうようなテーマだったのです。都会へ行った男の子を地方に残った女の子が慕い続ける、なんていないよなあ、なんて。
それと、こんなに慕われたら、迎えに来るか帰ってくるよなあ、と慕われたことのない私はこの歌の男の子に対して怒ってしまったのでした。
3.わかれうた 中島みゆき 1977年
中島みゆきの歌では最も好きな曲である。
振られることばっかりだった私にとって、ほんとに身につまされるようでした。
今でもこの唄を歌うとちょっとつまったりします。
♪ 恋の終わりは いつもいつも
立ち去るものだけが 美しい
残されて 戸惑う者たちは
追いかけて焦がれて 泣き狂う♪
という部分は「ほんとになあ」と心から同感し、いつか「立ち去る者」になりたいと願ったものでした。(遂になれなかったけれど)
4.「いちご白書」をもう一度 バンバン 1975年
「いちご白書」という映画を観たことがなかった。そして今でも観たことがない。それなのに、この歌のおかげでなんだか見たような気分でいる。
荒井由美の作詞作曲であるが、もう「バンバン」のものである。
高校卒業の年の曲であり、高校卒業と同時に「今までのようなわけには行かない」となんとなく感じていたのが、この歌で、その思いをさらに増幅させたような気がする。
この歌は、歌っていて気持ちがよくなる。なんだか無理やりに音程が上がっていくというか力ずくでそれでいて優しく音階を上げていくカンジが好きだ。
5.青春時代 森田公一とトップギャラン 1976年
森田公一は歌謡曲の作曲家で好きな作家であった。それが何をどうしたのか、こんな歌を作り自分で歌いヒットさせたのである。
この歌は丁度青春の真っ只中にいた私にとってはなんだか「恥ずかしい」うたであった。
♪ 青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 道にまよっているばかり ♪
なんて、わかったようなことを今言われても、なんだか犯人を教えられてから読む推理小説のようなカンジで、実は当時腹を立てていて、あまり好んではいなかったのだ。しかし、いまや「あとからほのぼの思うもの」の年代になると、なんだか大きな声で歌いたくなるのであった。
森田公一とトップギャランでは「下宿屋」のほうが好きである。あまりというかぜんぜん知られていないけれど・・・
6.襟裳岬 よしだたくろう 1974年
この歌で森進一がレコード大賞をとり、舞台に吉田拓郎と作詩の岡本おさみが上がってきて握手かなんかしたのを見たとき、泉谷しげるふうに「どうだこのやろー!」という気持になった、と同時に、「いいのか?」という思いもあった。
テレビをはじめ既存のメディアに対して突っ張っていたのではないか、俺たちも拓郎のあとに続いて、だらけきった年寄りくさいこんな世の中を新しいやり方で変えるんだ、と思っていた。心の底から思っていた。
そんなとき、拓郎は拓郎の歌でその年のレコード大賞をとった。
それで、舞台にも現れずテレビに己をさらけ出すこともないものだと思っていた。だから「マスコミに身を売ったか?」というのがあって、ちょっと複雑な気持ちであった。
♪ 襟裳の春は 何もない春です ♪
という部分、つまり「何もない」というのがけしからん、というのが当時あったが、どう思ったって勝手でしょ、「詩」というのはそういうものではないか、どうして皆が同じことを思い感じなくてはならないのか、そっちのほうこそ「ヘン」だと思っていた。
私としては「歌謡曲」で
♪ 角砂糖 ひとつだったね ♪
とか
「わずらわしさ」「いじける」なんてコトバが新鮮で、そっちのほうこそ「いいのか」つまり皆にわかってもらえれるのだろうか、と心配をしたものだった。
森進一の「襟裳岬」はそれなりにいいのだが、拓郎の「襟裳岬」はごくあっさりとしていて、いいなあ、としみじみ思うのであった。