私の住んでいるところはいわゆる「無風区」なので、実感として選挙の熱気が伝わってこないのだが、世間は賑やかである。
今回の選挙の面白さは、本来「保守」である自民党が「改革」を叫び攻め、「革新」である野党が守りにまわっているように見えることである。
そしてもうひとつは、自民党の言っていることが正しいかどうかを別にして、選挙の戦略が素晴らしいことである。
わかりやすく、納得性がある。
自民党以外は「あれもこれも」と言い立てて結局「焦点」がぼけてしまっている。
あるいは、ゼンゼン方向違いのことを言っているように見える。
次には、どの党も「費用」の話はするが「収入」の話はしない。だからどの党の話を聴いても「ばら色」なのだが、それを実現するための財源があきらかでないから、よく言えば「夢」悪く言えば「ホラ」に聞こえる。
それよりも「郵政改革をしなければ始まらない」はわかりやすい。
加えて、マスコミがおかしい。
まあおかしいといっても、今に始まったことではないのだが。
煽るだけあおっているだけで「日本をどうしよう」なんて思っていない。
新聞は、一面と社説で反対のことを述べていたりするわけで、つまりどっちに転んでもいいように「アリバイ」を作っているようだ。
テレビは「サイテイ」である。彼らの頭の中には「視聴率」しかないのではないか。もし本当に「日本をどうするか」ということを考えているのなら、一日CMをやめて番組を作るべきである。
選挙をバラエティ風に伝えておいて、あるいはバカバカしいバラエティを流して、突然「どうなる日本の将来!」というのは「なんだかなあ」というカンジである。
そしてもうひとつ、自民と公明は過半数を制してこれまで政府を構成してきているということは、国民の審判の結果だったはず。
それを批判することが「有識者」という勘違いはやめて欲しい。
つまり自民党は「是は是、非は非」という戦略では受け入れられないので、これまでのマスコミや有識者のように「ひとつのこと」だけで行くことにしたのではないか。
これまでと形が変わった、入れ替わった、ということが、今度の選挙の面白さ、だと思うのだが・・・
選挙が面白い、というのは、私自身も「日本はどうすべきか」ということを考えていない証拠だ。語るに落ちたかナ。
今回の選挙の面白さは、本来「保守」である自民党が「改革」を叫び攻め、「革新」である野党が守りにまわっているように見えることである。
そしてもうひとつは、自民党の言っていることが正しいかどうかを別にして、選挙の戦略が素晴らしいことである。
わかりやすく、納得性がある。
自民党以外は「あれもこれも」と言い立てて結局「焦点」がぼけてしまっている。
あるいは、ゼンゼン方向違いのことを言っているように見える。
次には、どの党も「費用」の話はするが「収入」の話はしない。だからどの党の話を聴いても「ばら色」なのだが、それを実現するための財源があきらかでないから、よく言えば「夢」悪く言えば「ホラ」に聞こえる。
それよりも「郵政改革をしなければ始まらない」はわかりやすい。
加えて、マスコミがおかしい。
まあおかしいといっても、今に始まったことではないのだが。
煽るだけあおっているだけで「日本をどうしよう」なんて思っていない。
新聞は、一面と社説で反対のことを述べていたりするわけで、つまりどっちに転んでもいいように「アリバイ」を作っているようだ。
テレビは「サイテイ」である。彼らの頭の中には「視聴率」しかないのではないか。もし本当に「日本をどうするか」ということを考えているのなら、一日CMをやめて番組を作るべきである。
選挙をバラエティ風に伝えておいて、あるいはバカバカしいバラエティを流して、突然「どうなる日本の将来!」というのは「なんだかなあ」というカンジである。
そしてもうひとつ、自民と公明は過半数を制してこれまで政府を構成してきているということは、国民の審判の結果だったはず。
それを批判することが「有識者」という勘違いはやめて欲しい。
つまり自民党は「是は是、非は非」という戦略では受け入れられないので、これまでのマスコミや有識者のように「ひとつのこと」だけで行くことにしたのではないか。
これまでと形が変わった、入れ替わった、ということが、今度の選挙の面白さ、だと思うのだが・・・
選挙が面白い、というのは、私自身も「日本はどうすべきか」ということを考えていない証拠だ。語るに落ちたかナ。