尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『誘拐』、麻薬カルテルとの凄絶な闘いーガルシア=マルケスを読む③

2024年06月26日 21時46分41秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケスを読むシリーズ。次は『誘拐』(旦敬介訳、角川春樹事務所、1997)という本で、四半世紀以上枕元に置かれていた。下の画像をよく見ると、帯が破れているのがわかるはず。これは小説ではなくノンフィクションである。ガルシア=マルケスはもともとジャーナリスト出身で、ノンフィクションもかなり書いている。岩波新書の『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』(1986)やちくま文庫に収録された『幸福な無名時代』(1991、邦訳1995)などは割合よく知られている。『誘拐』(後に『誘拐の知らせ』としてちくま文庫に収録=在庫品切れ)は1996年に出されたもので、当時コロンビア国内に吹き荒れた麻薬組織による連続誘拐事件の裏表を詳細に描き尽くした本である。

 この本は非常に迫力のある本だったが、時代的に「賞味期限切れ」みたいなところはある。小説は滅びないが、時事的な題材だとテーマが古びることがある。映画監督ミゲル・リッティンの軍政下チリ潜入を描く『戒厳令下チリ潜入記』は、軍政がとうの昔に崩壊した今では読む人は少ないだろう。90年代にはコロンビアの麻薬組織によるテロは国際的にも知られた大問題だったが、現在では麻薬組織や左翼ゲリラのテロが横行した時代は一応過去のものとなった。コロンビアには今も危険イメージが付きまとうが、経済面やサッカーでも復調してきた。だから『誘拐』も過去のものと言えるのだが、もしかしたら今後意味が出て来るかも知れない。それは多くの事件の首謀者パブロ・エスコバルがNetflixでドラマ化されたからである。
(パブロ・エスコバル)
 1990年11月7日、マルーハ・パチョンと義妹のベアトリス・ビヤミサルが乗った車が自宅近くで襲撃され、運転手は殺害され二人の女性はそのまま誘拐されてしまった。このマルーハは後に解放されることが冒頭に明かされている。マルーハと夫のアルベルト・ビヤミサルがガルシア=マルケスに自分たちの体験を本にして欲しいと情報を提供したのである。当初はこの夫妻を主に取り上げる予定だったが、実は同時期に複数の誘拐が発生していて、それらは複雑に絡み合っていたことが判明していった。そのため他の関係者にも取材し、事件の全体像を再構成することが迫られた。コロンビア政界に激震を与えた大事件だったのである。

 マルーハは映画会社の重役だったが、夫のアルベルト・ビヤミサルが大物国会議員という重要人物だった。他の誘拐被害者も大物の家族が多い。しかも、彼女たちが連れて行かれた部屋にはマリーナという老女もいた。誘拐されたままもう殺害されたと思われていた人だった。彼女は政界上層部につながる人ではなく、「生かしておく価値が少ない」と判断されていたのである。マルーハ、ベアトリス、マリーナ三女性の共同生活の苦難は心が痛む。他の被害者の実情も細かく出ているが、ここでは触れないことにする。なんで誘拐されたのかというと、政府との交渉を有利に進めるためである。

 80年代の世界ではコカインが大流行し、その密輸ルートにはコロンビアの大都市メデジンを本拠とする「メデジン・カルテル」が関わっていた。その組織を一代にして築き上げたのがパブロ・エスコバルという人物で、世界有数の富豪と言われた。しかし、コロンビア警察に追われるだけではなく、一番心配なのが「アメリカへの身柄引き渡し」だった。アメリカは麻薬犯罪に厳しく超重罪を言い渡されると生きて帰れない。一方、もう一つの大組織「カリ・カルテル」とも揉めていて、引き渡されないと決まれば「政府に投降して良い」と思っていた。「優遇された刑務所生活」=「コロンビア政府の金で身の安全を図る」ためである。

 政府が強硬方針をとって警察が突入すれば、組織は容赦なく人質を殺害する。それははっきりしていて、家族はまず大統領に強硬策を取らないように要請した。交渉で解決するのは政府の方針でもあり、アメリカに引き渡すのは国威にも関わるのでやりたくない。そこで自ら投降して罪を認めれば引き渡さない、そうじゃなければ引き渡すというのが政府の方針なのだが、それをエスコバルはなかなか信じ切れない。いや、エスコバルは身を隠していて、「引き渡し予定者グループ」という別組織の名前で事件に関する発表がなされた。実際にはエスコバルが首謀者であることは判っているけど、本人とは接触できない。様々なルートを通して交渉を進めるが、もう解決した外国の事件をここで詳しく書くこともないだろう。
(セサル・アウグスト・ガビリア大統領)
 関係者の画像を探したが、当時の大統領ガビリアパブロ・エスコバルしか見つからなかった。被害者マルーハ・パチョンや夫のアルベルト・ビヤミサルの画像は日本語では出て来なかった。まだネット以前の時代である。多分コロンビアの情報をスペイン語で探せば見つかるとは思うが、そこまでは出来ない。この本を読んで思ったことは、これはまさに「コロンビア政治の問題」だということだ。コロンビアではそれ以前に最高裁が襲撃されたり、大統領候補者が暗殺されたり、(大統領候補が搭乗予定だった)飛行機が爆弾で墜落したり…と驚くべきテロが続発していた。そこで政界の裏事情が細かく説明する必要がある。

 この本を読んで思いだしたのが、村上春樹アンダーグラウンド』だ。1995年に起きた地下鉄サリン事件の被害者を取材して、1997年に出版された。つまり、世界的に重要な作家がほぼ同時代に国家的大事件の被害者をテーマにした本を書いていたのである。しかし、『アンダーグラウンド』は被害者の声を聞くことに徹している。その後逆にオウム真理教の信者、元信者を取材して『約束された場所で―underground 2』(1998)も出した。しかし、捜査側や政府上層部を取材した本は書かれなかった。ある意味、それは当然のことだろうが、コロンビアの誘拐事件ではその部分が欠かせないのである。この両書を細かく比較検討する作業は重要だと思うが、自分には手が余る。その後のエスコバルは自分で検索してみて欲しい。

 なお、最後に「ガルシア=マルケス」の呼称について後書きに書かれていた。マルーハ・パチョンとアルベルト・ビヤミサルが夫婦であるとは、つまりスペイン語圏では「夫婦別姓」である。その場合、子どもは父親の姓を名乗ることが多いが、父母の姓を重ねて複姓にする場合もある。つまり「ガブリエル」の父が「ガルシア」、母が「マルケス」である。ガブリエル・ガルシアでも良いわけだが、ガルシアは割合ありふれた姓なので作家として「ガルシア=マルケス」を選んだらしい。(ペルーの作家、バルガス=リョサも同様だという。)これを繰り返すと姓はどんどん長くなるが、基本的に次の世代は父の姓のみになる。ガルシア=マルケスの子はロドリゴ・ガルシアになるわけだ。(『彼女をみればわかること』『アルバート氏の人生』などの映画監督。)
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