尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「奇跡の教室」-素晴らしい授業映画

2016年08月18日 23時17分03秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランス、パリ郊外。人種も宗教も様々な生徒を抱えた高校の「落ちこぼれ」クラス。そこで一人の中年女性教師が、クラスの生徒に「歴史コンクール」への出場を提案する。ナチスのホロコーストを調べて発表するというのである。そんなことが可能なのか。渋々参加した生徒たちだったのだが…。実話をもとにして、実に見事に「歴史の継承」を描いた映画が公開されている。「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」はぜひ多くの人に見て欲しい映画になっている。歴史教師必見。

 これは実話だということだが、フランスにはそんなコンクールがあるのか。61年以来行われているという。(フランスというか、ブリュッセルに行っているから、今はEUの事業かもしれない。)高校はクレテイユ(パリの南東)というところにあるレオン・ブルム高校。(レオン・ブルムは戦前の人民戦線時代の首相。)数年前に公開された「パリ20区、僕たちのクラス」と学校の様子が似ている。アラブ系、アフリカ系の生徒も多く、家庭的な問題を抱えている生徒も多い。生徒は授業に打ち込むどころではない。宗教をめぐる問題も多く、「ライシテ」(政教分離)が徹底されている。ムスリムの女生徒のスカーフをが禁止されるだけでなく、キリスト教のシンボル(十字架のネックレス等)もダメである。

 そんな彼らを担当するのは、アンヌ・ゲゲン先生。実際のモデルはアングレスという教師で、今も同校で教えているという。演じているのはマリアンヌ・アスカリッド(1954~)という女優で、「マルセイユの恋」でセザール賞主演女優賞を取っているというが見てない。実に自然な感じで演じていて、まるでドキュメントみたいである。映画に出てくる学校や授業は、どうも違和感を感じることが多いのだが、この映画は実に見事に教室を再現している。授業どころではない、生徒どうしの文化も多様でいがみ合う集団の中で、どう授業をしていくか。高校だから生徒の方が体が大きいわけだが、そんな場合でも何故か授業がうまく行っている女性の先生がいるものである。ゲゲン先生は、僕が何人も見てきたそういう教師に似ている。何が違うのか、教師だけでなく得るものが多いから、自分で見てほしい。

 生徒の様々な個性がよく描き分けられている。それも道理で、実際にこの授業に参加していたアハマッド・ドゥラメ(1993~)という生徒が脚本に参加している。授業を機に、自分の可能性を信じて映画のオーディションに参加するようになった。郊外の若者に関するシリアスな映画を作りたいと思って、自分で書いたシナリオを監督に送ったりしていた。そして、この映画の監督、マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール という女性監督から反応があった。シナリオの発想のもとは実話だと知った監督は、一緒にシナリオを書き直していったのである。

 コンクールに向けた授業が始まると、だんだん生徒の様子も変わってくる。そして、実際にアウシュヴィッツを体験して生き残ったレオン・ズィゲル(1927~2015)という人を呼んで話を聞く。ズィゲルは亡くなる直前だったが、映画に本人が出て実体験を語っている。つまり、聞いている生徒は映画内の役柄なんだけど、その場面は若者に向け体験者が語っているドキュメンタリーとも言えるのである。話を聞いて涙を流す生徒の姿は、実際の感動を表している。ここから生徒は明らかに変わる。険しかった顔つきが、柔らかくなる。知らないどうしでやっていたものが、仲間どうしの共同体になる。

 まさに「アクティブ・ラーニングって何だ?」「これだ!」という映画である。昨今は、「平和」「反戦」も学校で言えない時代になりつつあると言われる。そんな中、フランスでは国家が主導して「考える授業」を支援して、戦争体験を継承しようとしている。この映画こそ、文科省が多くの教師や高校生に見せるべき映画だ。「文部科学省選定」になってるから、多くの高校の行事(映画教室等)でやることに何の問題もないだろう。ぜひ企画してはどうか。実に感動的な映画だった。

 調べていて、ペタン元帥(ドイツに敗北した後に、親独のヴィシー政権を率いた)が描かれたポスターを見つけた生徒がいる。下の方に「労働・家族・祖国」と書いてあった。それを知って、生徒の中で気づくものがいた。「自由・平等・友愛」じゃないんだねと。ここは実に象徴的なところだと思う。家族とか国とかを強調する人は怪しいのである。

 話は別だが、最初の方でゲゲン先生は母が亡くなって休暇を取る。代わりの先生が来るがうまく行かないというシーンがある。戻ってきてクラスが荒れたことを知った先生が歴史コンクール参加を思いつくきっかけとなる。だけど、忌引き程度で代替の教員が来るのかと思ったら、パンフを読んだら一カ月学校を休んだと書いてある。実父母の忌引きは当然一週間だと思ったら、なんと一カ月もあったのだ。

 なお、フランスにはこんなにアラブ人や黒人がいるのかと思う人もいるだろう。「移民」が多いのかと。もちろん最近になってフランスに来る人もいるだろうが、映画に出てきたのはフランスの中学を出て高校へ入った生徒たちである。荒れてはいてもフランス語はちゃんと通じる。かつてフランスが支配した旧植民地出身者は、独立時に国籍選択の自由が与えられた。アフリカ西部には今もフランス語が公用語の国がかなりあるし、アルジェリアやチュニジアからもフランスにたくさん来ていた。またフランスで生まれれば、生地主義だから当然国籍はフランスとなる。日本は戦後になって、旧植民地の朝鮮、台湾出身者の日本国籍を自動的に全員奪ってしまった。かつて旧日本軍の軍人、軍属だった人の恩給も、外国籍だと支給しなという冷酷ぶりである。そういう日本の方が国際的には珍しいのであって、実際に世界中を支配した英仏では人種、宗教が多様になるのは自然だろう。
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