尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

再審事件と「死刑冤罪」という本

2016年08月04日 23時00分33秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 参院選と都知事選と続いて、選挙や政治の問題を書くことが多かった。教育問題がたまっているので、いずれまとめて。内閣改造やスタートした小池都政に関しても書きたいことはあるけど、今は止めておく。毎月の訃報特集は7月は重要な訃報が多く、もう少ししてから。映画は公開時期の問題があるので、折に触れて書いてるけど、本の話がたまっていく。今日は最近読んだ里見繁「死刑冤罪」という本の話。せっかくだから同時に最近の再審問題の状況を書いておきたい。

 まず、再審事件では8月10日に「東住吉事件」の再審無罪判決が出る。このブログでは、大阪地裁で再審開始決定が出た時に、記事を書いた。東京ではあまり知られてない事件で、再審開始後も支援集会などはなかった。僕も再審決定確定、再審開始時点では書かなかった。当日のニュースでも、リオ五輪に紛れて小さな記事になってしまう可能性がある。「放火殺人事件で無罪判決」などと報じるかもしれない。他に犯人がいるのではなく、そもそも放火ではないのである。

 無期懲役事件で収監中に再審開始になって釈放されたのは、この東住吉事件の他に、足利事件東電社員殺害事件がある。(足利事件は開始決定を待たずに釈放された。)仮釈放後に再審が開かれ無罪となったのは、戦前に起きた吉田巌窟王事件加藤老事件、戦後の事件では梅田事件布川事件。無期懲役確定者の再審無罪は、これしかない。いったん再審開始決定が出た日産サニー事件は上級審で取り消された。無罪を主張しながら有罪が確定してしまい、再審請求を繰り返し、ようやく無罪を勝ち取る。死刑や無期事件では特に重大である。

 無期事件はやがて仮釈放される可能性はあるが、仮釈放されても一生選挙権もない。再審で無罪となって、初めて公民権も回復される。日本の裁判史の中でも10件も起こっていない出来事がもうすぐ起こるわけである。どうして捜査の過程で、あるいは裁判の過程で、ただされなかったのか。冤罪事件が大きく報道されても、いつも一過性の報道で終わってしまう。今回もそうだろうけど、国民の側で「制度改正」を考えていかないといけない。

 事件の中身を書いてると終わらないので、次に松橋事件。7月1日に熊本地裁が再審開始を決定した。そもそも名前も知らなかったし、読み方も「まつばせ」である。熊本県松橋町(現・宇城市)で1985年に起きた殺人事件で、51歳の被告が懲役13年の判決を受けた。もう刑期はとっくに終わっていて、請求人は82歳になっている。2012年に再審請求して、「自白」では焼却したはずの「凶器に巻き付けたぼろ布」を検察側が隠し持っていたことが明らかになった。このように「検察側は自白が違うことを知っていた」のである。それにもかかわらず、検察側は高裁に即時抗告して争う姿勢を変えていない。とんでもないことだ。高齢の元被告を考えると、一刻も早い無罪判決が望まれる。

 また2002年に愛知県豊川市で起こった「豊川事件」(豊川幼児殺人事件)で、現在収監中の被告により再審が請求された。2016年7月12日付。この事件も「自白」のみに頼った事件で、2006年の一審判決は無罪だった。当時は大きく報道され、「自白」のいい加減さが強調されていた。ところが、2007年に名古屋高裁で、懲役17年の逆転有罪判決が出て、2008年に最高裁で確定した。この年を見れば判るように、一審で無罪になるほどの事件が、上級審であっという間に逆転してしまった。上級審の審理が十分でないのは、明らかだろう。ほとんど報道されていないが、こういう事件があるのだ。

 さて、現状の紹介だけで長くなってしまった。里見繁「死刑冤罪」(インパクト出版会、2015)は、1980年代に相次いだ死刑再審事件を振り返ったルポである。80年代には大きく報道され、支援運動も盛り上がった(支援運動がほとんどなかった事件もあるけど)4つの事件も、今では若い人には知らない人が多い。里見氏はテレビの報道記者として取材し、今は関西大学教授とある。学生が知らないのも当然で、今は全然報じられない。だから、当時の記録をあたり、当事者や関係者を訪ねて書いたのがこの本である。

 死刑冤罪事件として、無罪を勝ち取ったのは、免田事件(熊本県)、財田川事件(香川県)、松山事件(宮城県)、島田事件(静岡県)の四つである。免田事件の免田栄さん、島田事件の赤堀政夫さんには会いに行っている。財田川事件の谷口繁義さん、松山事件の斉藤幸夫さんはすでに亡くなっている。これも事件概要を説明していると、いくら書いても終わらないので省略。ここで判るのは、「捜査側は証拠をねつ造する」ということである。恐ろしいことだけど、そういうことが証拠で証明された事件がいくつもある。証拠を偽造して、誰かを死刑判決に追い込んだら、それは「殺人(未遂)」だし、少なくとも「特別公務員暴行陵虐」だろう。でも処分された捜査関係者はいない。

 裁判で無罪になっても、地域では完全には受け入れられないという事が多い。「それは証拠がなかっただけ」で「灰色無罪」だと思われる。マスコミが、アリバイがあったり、証拠が作られたものだと報じても、ちゃんと読む人は少ない。そういう事件ばかりではないだろうが、免田さんはそう語っている。もう20年近く前、記録映画「免田栄 獄中の生」の上映会をやったことがあり、そのあと免田さんとは飲んだ思い出がある。明るく元気よく講演し、その後は一緒に飲んだわけだが、そういう苦しみの奥底までは感じ取れなかった。免田さんは、無罪判決後も、国連人権委に出かけたり、年金を求める運動を行い(特別法ができた)、実に立派な方で敬服している。多くの人に読んでほしい。

 そして、さらに再審決定が出た後、検察側が抵抗している袴田事件、そして死刑執行されてしまった飯塚事件について書かれている。両事件に関係するのは、そして無期懲役だった足利事件も含めて、「DNA型鑑定」という難問である。DNAという遺伝子情報だから、ピンポイントで犯人かどうかわかると普通思いやすい。そうではないことが、この本でよく判る。「指紋」は個人で異なる。DNAももちろん個人ごとに違うけど、各個人のゲノム情報を完全に解読する(そのこと自体はできるけれど)ことは効率上できない。だから、DNAの型を判定するということになる。それでは「その人だけの情報」とは言えない。足利事件では「1000人に一人」とされた。今では当時の鑑定はまったくいい加減なものだったことが判っている。だけど、それは別にしても「1000人に一人」では人口何十万かの足利市近隣地域では該当者が何十人もいることになる。証拠力が弱い。というか、科学鑑定はもともと「犯人ではない」証明はできるけど、犯人だという証明はできない

 そして、飯塚事件。冤罪を主張しながら、死刑が確定し、再審の準備をしている間に、死刑執行されてしまった事件である。死刑執行は2008年の話で、執行を命じた法務大臣は森英介。21世紀の日本に起こったとは信じられないが。その事件がどういう事件かは、この本に詳しく書かれている。必読。こういう「権力犯罪」が起こっているにもかかわらず、「国家が大切」とかいう人がいるのは何故だ。無罪を訴えている死刑囚が何人もいる。言い逃れに決まってるなどと決めつけず、ちゃんと自分で調べていけば、「国家」とは何なのかと気づくだろう。
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