尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ありがとう、世界はあなたを忘れない-追悼・ネルソン・マンデラ

2013年12月07日 00時32分02秒 | 追悼
 ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領が死去した。95歳。もう二度と元気な姿を見ることはないだろうと世界のだれもが覚悟はしていただろう。僕も7月20日に「ネルソン・マンデラと奥西勝」を書いている。そこでも書いたけど、マンデラが獄中で迎えた70歳の誕生日、つまり1988年に東京(渋谷の山手教会)で開かれたマンデラ釈放要求集会に参加している。そこで買ったTシャツの写真。
 
 ネルソン・マンデラの生涯を細かく語ることはしない。それはいろいろなサイト、あるいは新聞で見られるだろう。ネルソン・マンデラは現代に生きる人のなかで、もっとも尊敬すべき人物だった。現代の奇跡とでも言うべき人物だった。僕は80年代から社会科の教員をしてきた。「南アフリカのアパルトヘイト」という問題は、社会科の各分野で大きく取り上げられていた。僕も授業で取り上げ、何冊もの本を読んだ。南アフリカの白人政府は核兵器まで秘密に作っていたのである。この問題が、「20世紀の間に」「平和的に」解決するという「楽観的な希望」を僕は持ったことがなかった。

 ところが、もちろん流血の事態はいろいろあったけれど、基本的には「人種の和解」という方向で平和的なプロセスでアパルトヘイトは「解決」されていった。貧富の差は激しく、暴力犯罪は絶えず、与党となったアフリカ民族会議(ANC)は腐敗したと言われる。だけど、全人種参加の選挙で大統領と国会議員を選ぶという民主主義は定着している。白人を追い出し、経済が破たんし、黒人政権は「部族」ごとに争い内戦状態となり…というようなプロセスは踏まなかった。

 社会を分断してしまうリーダーもいる。厳しいことをあえて突きつけ、「どちらに付くか」と問い詰める人々である。世界中でそういう人が多くなっている。通信機器、ネットやケータイの発達で、直接会わずに機会の中だけで「対話」したつもりの人々も多くなっている。しかし、「すでに激しく分断された社会」でリーダーになったマンデラは、自ら反対派と対話し、自分の見方にしていくというタイプのリーダーだった。彼を監視するはずの看守の中に、マンデラの友が生まれていく。「高潔なリーダシップ」の持ち主だった。そういうマンデラを白人政府は「テロリスト」と呼んだ。「テロリスト」という言葉は、アパルトヘイトを行ってきた側にこそふさわしい。人をテロリストと非難する人は、自分の方が「国家テロ」を行っていることが多いという証明である。どこの国とは書かないが、世界的な法則である。

 アパルトヘイト体制が崩壊し、マンデラが大統領に当選したあとで、「真実和解委員会」が設けられた。過去のプロセスを追求しつつ、人々の間に和解をめざしていくという試みが行われた。これは広くラテンアメリカやアフリカの国々に広がっていった。「真実を追及する」「しかし、許す」というこの試みは、むしろ「真実を追求するということが、許しをもたらす」と言うべきだろう。このプロセスが南アフリカで出来たのは、マンデラがいたからである。「27年間も獄中に囚われた」マンデラが、率先して「許す」と言ったのである。

 マンデラという偉大な個性が、真に全世界の人々の心のよりどころとなったのは、この「真実和解委員会」というものがあるからだ。これは世界中の多くの国でテロや内戦で苦しむ民衆、あるいは虐待やいじめで苦しむ子供たちに「生きる力」を与えるものだったと思う。どんなに苦しい中でも、光が差す日は来るのだし、「許せないことで苦しむ」という段階も乗り越える道があるのだと示したのである。だから、世界中で人権を求めて闘う多くの人々の心から、マンデラの名が消えることはないだろう
 
 ありがとう、ネルソン・マンデラ。
 世界はあなたを忘れない。
 僕はあなたを忘れない


(付記)
1.「インビクタス」と「マンデラの名もなき看守」の映画2本立てをどこかでやって欲しい。あるいは、日本中のTOHOシネマズやワーナーマイカルで緊急上映して欲しい。特別料金で。テレビでもやって欲しい。親子でDVDで「インビクタス」(クリント・イーストウッド監督)を見て欲しい。
2.南アフリカ大使館のサイトで見た限り、追悼記帳は駐日南アフリカ共和国大使館で年12月9、10の午前10時から正午までと、14時から16時。お別れの会は、国連大学(東京都渋谷区神宮前5-53-70)のウ・タント・ホール(U-Thant Hall)にて、12月11日(水)12時30分から14時まで。大使館は東京都千代田区麹町1-4 半蔵門ファーストビル4階
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素晴らしきクーデルカ展

2013年12月03日 23時23分17秒 | アート
 チェコ出身の写真家ジョセフ・クーデルカ(1938~)の全貌を見渡すジョセフ・クーデルカ展国立近代美術館で開催中。1月13日まで。今日見たんだけど、とても素晴らしいので紹介。この人は1968年にソ連が「プラハの春」をつぶしたチェコスロヴァキア侵攻事件の写真を撮った人である。東欧諸国の「ジプシー」を撮りに行っていて、侵攻前日に帰国していた。その写真は侵攻一年目の1969年に外国に持ち出され、大変大きな反響を呼んだ。その写真は2011年に東京都写真美術館で公開され、「クーデルカ展とセヴァンの地球のなおし方」の記事で紹介した。今回はその時の写真もあるが、その前、その後の写真が大部分を占める。報道写真家ではない、クーデルカの本当の偉大な業績が初めてまとまって公開された。
 
 全部で、7つのパートに分かれているが、圧倒的なのは「ジプシーズ」と「カオス」。最初と最後である。初期作品もあり、学生時代に中古カメラで撮った時から、彼は「作家」だったことが判る。実験的作品も撮りながら、彼は主に二つの領域で自分の写真を確立していった。一つは「劇場」写真で、演劇舞台のエッセンスを伝える写真群。60年代プラハで演じられたシェークスピア、チェーホフなどの舞台と俳優を永遠に伝えている。もう一つが「ジプシーズ」で、チェコスロヴァキア各地やルーマニアなどの「ジプシー」の人々を訪ね歩き、その生活のひだ、喜びと哀愁のドラマを写真に遺した。トニー・ガトリフやエミール・クストリッツァの映画で見た、東欧の「ジプシー」の生活とエネルギーを感じることができる。質量ともに圧倒的で、ドラマチックな写真の数々二はすっかり魅了された。(なお、原題は英語で「 Gypsies」。)

 そこで「侵攻」が入り、クーデルカは1070年に出国したまま帰らなかった。ヨーロッパ各国を渡り歩き、イギリスが長かったが、その後フランスにわたりフランス国籍を取得した。その間の各国で撮った写真が「エグザイルズ」としてまとまっている。うっかりするとここを見逃すが、会場に置いてあったカタログを見ていたら、こんな写真があったかなと思い、再び見直した。「ジプシーズ」に圧倒され、また最後の「カオス」が素晴らしいので、うっかり簡単に通り過ぎてしまうが、この「エグザイルズ」は一編一編が素晴らしい短編小説を書き始められるような写真である。見てると、スペインやイタリアやアイルランドで、どのような自然の中で人々の生活が営まれているか…。一つ一つの写真が深い。

 最後に「カオス」であるが、英仏海峡地帯を撮るときにパノラマカメラを使ったのをきっかけに、ヨーロッパの山奥都市の廃墟、イスラエル、レバノンなどの風景写真をパノラマで撮っていく。これは黙示録的な世界で、非常にダイナミックな写真である。「文明論的」と解説にあるが、文明論というか、昔流行った「終末論」的というか、人間以前または人間以後の世界というべき壮大な写真もある。しかし、イスラエルやレバノンでは再び戦車のある風景もパノラマで撮っている。このように実に様々な写真を撮ってきたけれど、いずれも見る者に鮮烈なイメージを喚起する写真。なお、同年生まれの日本の写真家、森山大道の「にっぽん劇場」を2階で展示している。もちろん常設展示も同時に見られるので、近代日本の名作を時間があるなら見ることができる。12月7日(土)には、飯沢耕太郎(写真批評)氏の「ジョセフ・クーデルカの写真世界」という講演も予定。時間:14:00-15:30(予約不要)。本人にも会った時のエピソードがあるという。
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「ルポ虐待」-これが日本だ、私の国だ

2013年12月03日 00時25分09秒 | 社会(世の中の出来事)
 あなたはもう「ルポ虐待」という本を読んだだろうか?
 そのように言いたくなる本は一年に何冊もない。今年は「永山則夫-封印された鑑定記録」とこの本である。杉山春ルポ虐待」(ちくま新書、840円)。まず何はともあれ、この本を手に取って欲しい。読むのはつらいけど、少しずつでも読んで欲しい。必ず深く感じるものがあるから。多くの教育、福祉、行政、医療などの関係者も必読。
 
 永山事件は半世紀以上も前の極貧と家庭内暴力によるネグレクトの極致と言える出来事だった。一方、2010年に大阪で起きた幼児2児置き去り事件は、直接的な物質的貧困ではなくても「居場所がない」「自尊感情がない」中で育てられた女性が、どのように生きて行かざるを得ないかを示している。この本は母親を中心に、親や地域を丹念に目配りし、事件の深層を克明に描き出した本である。この本を読みながら、僕は「五つの赤い風船」の「遠い世界に」の歌詞を思い出した。「雲に隠れた 小さな星は これが日本だ 私の国だ…」。これは3番だが、2番の歌詞には「僕らの住んでる この町にも 明るい太陽 顔を見せても 心の中は いつも悲しい 力を合わせて 生きることさえ 今ではみんな忘れてしまった」。しかし、2番はその後に「だけど僕たち若者がいる」で終わる。そう歌えたのは40年前の話だろう。

 ある女性とその家族について、読み進むうちに僕たちはかなり詳しく知っていくことになる。しかし、それは最後の最後に幼児死亡に至る「虐待事件」になるからである。結末はすでに知っている。だから読み進むのは、相当に苦しい読書体験である。この事件については、時間が経ち、僕も詳しいことは忘れていることが多い。しかし、あらゆるネグレクト事件の中でも、到底信じられないような、簡単に言えば「ありえない」ケースである。こんなことが現代の日本で起こりうるとは。是枝裕和監督の「だれも知らない」という映画があったけれど、あれは母親が寄り付かなくなって子供たちだけで生きていく物語だった。この大阪のケースは3歳と1歳だから、自分たちで食料を探しに行くことはできない。

 しかし、母親がいくらとんでもなくても、母親にもその親がいるはずだし、子どもは母だけでは生まれないわけだから、父の方の家族もいるはずだ。そういう親族の保護を受けられなくても、虐待を防ぐ行政の仕組みはある。児童相談所や警察は何も知らないのか。児童手当や生活保護もあるではないか。山の一軒家じゃないんだから、誰か隣人は気付かないのか。父方の事情は本で読んでもらうとして、行政の事情について。実は通報はあった。しかし、同じ人物と思われる匿名の電話が何回かあっただけだった。担当者が駆け付けたけれど、オートロックで中に入れなかった。その部屋と思われるベルを押しても反応がない。時間を変えて何回か行っても同じだった。では誰が住んでいるかと調べてみても、住民票は移されてなかった。匿名電話の主に名前を聞いても、一度も答えていない。従って、本当にそこに子供が住んでいて、本当に鳴き声が聞こえるかどうか、確信を持って緊急事態と判断できる根拠が確かに乏しかったのである。後からいくらでも批判できるけれど、様々なケースが殺到する中で、自分ならもっと早く発見できたとは僕は言えない。(このオートロックというのは、本当に困ったもんである。不登校生徒を訪問しても全然通じない。しかし、ストーカー事件というのもあるから、役立つ場合も多いわけだ。)

 自尊感情をうまく持てずに育ち、人とつながりを作るのが苦手なタイプ。僕もそういう生徒は何人も見てきた。関係がうまく回りそうになってくると、「自分から不幸になりたがる人」に変ってしまう。「うまく行く自分」を信じられないから、自分から関係を壊してしまい、「もういいです」と引きこもる。この事件の母親もそのような傾向が強いと思う。「うまく周りの人に頼る」という基本的生活スキルがない。全部自分で被ってしまうが、そういう自分を見たくない。見たくないものは見ないことにする。子どもが泣き、子どもが水を出しっぱなしにする。では出かけるときに、カギを掛けただけではなく、声が漏れないようにガムテープを張りめぐらしてしてしまうのである。そして風俗嬢となり、ホストに入れあげ、ホスト代が50万たまり催促されると、「ストーカーに追われてる」とブログに書き込む。SNS上では、子どもを隠し、いろいろな恋人のことだけを書く。仕事で撮った写真をネットに載せ、そこには「幸せそうな自分」がいる。この時代の写真は今でもネット上で容易に探せるけど、何というか事件を知っていてみる今となっては、表現に困ってしまうとしか言えない。 

 僕がこの本で一番考えさせられたことは、この女性の父親が相当に有名な高校教師だったことである。ラグビーで何回も全国大会に出場した有名な監督だという。僕はラグビーを知らないから、もちろんこの人は知らない。ある公害で有名な都市にある、最底辺とされる「教育困難校」。ここに赴任した青年体育教師は、熱心な指導でラグビー部を県大会優勝に導き、全国大会に連れて行く。毎年のように全国に行く常連校に育てたのである。その指導は生徒に絶対服従と大量の練習量を求めるものだった、しかし、その熱血指導は底辺校に誇りを取り戻させていく。その熱血教師は、ラグビーでついて行く男子生徒だけではなく、女子の憧れも集めたことだろう。その「女子マネ」の一人、家庭に事情があるらしい生徒が、後に事件女性の母親となるのである。歳が違おうと、「教師と生徒」だろうと、うまく行くカップルはいっぱいあるだろう。でも、この二人はどうなんだろうか。熱血顧問は、女子マネにとって毎日会える存在だった。しかし、結婚、育児の段階になっても、夫は土日もなく部活に出かける「私生活のない夫」だったわけである。しかも「二人で愛を育む」という関係ではない。一方的な「指導ー被指導」の関係が家庭でも貫徹される。子どもは3人も生まれるが、「浮気」「離婚」となり、その後「再婚」「継子イジメ」と続き、結局父は再離婚、一人で3人の子育てを続けるということになる。中学時代から「非行」に走るのもやむを得ないような環境ではないか。

 この「死んだ魚のような目」をした少女が大きくなったが、社会性は全くない。体を提供すれば、一時のお金と保護を得られることを体験で知るだけである。キャバクラ時代に、大学生と知り合い、よくあるように早く子供が欲しいと思いすぐに妊娠。いつも嘘をつくと言われていた少女時代。これを「解離」ととらえ、法的責任を認められないと弁護側は主張したが、裁判では「未必の故意」による殺意が認定され、この種の事件では異例なほどの「懲役30年」という判決が下された。控訴審、上告審を経て、2013年3月25日付の最高裁決定で刑は確定した。その判決の理由は明らかに間違っている部分があるとこの本を読むと思うけれど、僕は「同情に値する生い立ちはあるけど、はっきり言えば閉経まで外に出すな」という意味合いの判決だと感じた。その是非は僕には判断できない。
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スウェーデン映画「パルメ」

2013年12月01日 00時45分28秒 |  〃  (新作外国映画)
 スウェーデン映画祭が渋谷ユーロスペースで始まり、記録映画「パルメ」を見てきた。非常に興味深い映画で、是非どこかで小規模でいいから一般公開を期待したい。もう一回上映があるが、12月5日(木)の夜9時からという、なかなか行きにくい時間帯に予定されている。

 もっとも「パルメ」と聞いて特に印象を呼び起こされない人は、どんな映画か関心を持ちようもないと思うので、簡単に紹介しておく次第。オロフ・パルメ(1927~1986)は、1986年に暗殺されたスウェーデンの首相である。社会民主党政権を率いて、1969年~1976年、1982年~1986年に首相を務めた。ベトナム戦争におけるアメリカの「北爆」を激しく非難、アメリカ大使の召還に発展したり、ソ連のチェコ事件、南アフリカのアパルトヘイトなどを批判した。第三世界寄りのリベラルな外交、人権外交はスウェーデンに名声をもたらし、非常に有名だった。(もっともスウェーデンは有力な武器輸出国であり続けたけど。)
(パルメ首相)
 だから、1986年の暗殺には非常に驚いた。夫人と映画を見に行って、映画館を出た時に狙撃されたのである。日本では北欧の高福祉社会に憧れが強かったので、このようなテロ事件が起きたことにビックリしたものである。アンワル・サダトやインディラ・ガンディーの暗殺が、国内の宗教的対立の激しさから、まあ「背景事情は理解可能」であると思ったのに対し、スウェーデンの事件は全く予想外だったのである。それはスウェーデンでも事情は似ていたようで、その頃のスウェーデン国民は自分たちの社会が世界で一番いいと思っていたのに、そのイノセントな時代が終わってしまったと思われた事件だったという。

 この映画は初めて家族(妻や子ども)にインタビューし、同時代の様々なニュース映像も使い、パルメという「スウェーデンのケネディ」が政界を駆け上がっていく様子を描いて行く。元々はもっと長いテレビ版で、スウェーデンで140万人が見たという。その後、103分の劇場公開版が作られ、それもヒットされたという。現代史の解説的な所もあるが、スウェーデンの中でもパルメ時代を知らない世代が増えてきたためもあるらしい。同じような意味で、日本でも若い人に是非見て欲しい気がした。

 ただし、この映画を見て僕はやはりパルメには功罪あるように思った。外交だけ見ていると、非常に筋が通っているように思うけれど、内政分野では必ずしも理想通りではなかった。「原子力の平和利用」に賛成で原発を作ったことも、いかにも「社会主義」風だと思う。「科学的」なものへの期待と信頼がベースにある。秘密や諜報機関を知られずに作っていたようだし。結局、スウェーデン社会の中にあった高福祉社会と裏腹の重税感が国民を分裂させてしまった。社会民主党政権が永遠に続くように皆思っていたのに、1976年には政権を失う結果を招いてしまう。映画にも出てくるが、当時イングマル・ベルイマンが脱税を理由に逮捕されたり、アストリッド・リンドグレーンが所得税と社会保険負担で、税率が100%を超えてしまったと政権を批判した。そういうニュースは日本でも大きく報道されたと記憶する。高福祉は高負担で、経済成長にマイナスというイメージはスウェーデン発で世界に広められ、レーガンやサッチャーの時代が来るのを用意してしまった。

 日本では現在、消費税の税率アップが予定され、特定秘密保護法案が審議され、ヘイトスピーチが問題化している。そのような現代日本から見ると、この映画は実に刺激的である。スウェーデンは高負担の元祖だし、パルメには語られない部分もあったらしい。だけど、政治の目的は、若いときにみたアメリカで、貧困と差別の恐ろしさを学んだことにあり、人権無視への怒りはホンモノだったのである。パルメの母親は第一次世界大戦を逃れてスウェーデンに来たラトビア人だったという。だから移民受け入れは、譲れない政策だったのだと思う。最近は世界でヒットした「ミレニアム」シリーズやヘニング・マンケルのミステリーで読むスウェーデン社会が、暗黒の部分を背負っている、けっして理想的ではない社会に描かれている。そういう現代スウェーデンの分水嶺であるパルメ暗殺事件は今もなお衝撃的である。
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