尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

林家つる子「子別れ」新ヴァージョンに感動ー上野鈴本演芸場7月上席夜の部

2024年07月05日 23時11分49秒 | 落語(講談・浪曲)
 上野の鈴本演芸場三遊亭わん丈(昼)、林家つる子(夜)がトリを取っている。二人ともこの前真打披露興行をやったばかりの最新の真打。真打に昇進しないとトリ(主任興行)は出来ない。それにしても記憶にないほど早い主任である。そこで夜の部の林家つる子を聴いてきた。いや、1月に初めて聴いて以来、早くも4度目だ。もはや「追っかけ」に近いかも。

 寄席の記事を書くときは、大体出て来た順番に書くようにしてきた。「色物」を含めて、トリに向かって盛り上がって行くのが寄席だからだ。しかし、今回は(時間の問題もあるけれど)、最初にトリの林家つる子を書きたい。今までの落語の中で、ともすれば軽視されてきた女性の視点を取り入れた「改作」をたくさん演じてきた。昇進披露で僕が聴いた「芝浜」も女性改作ヴァージョンだった。今日やったのは、ネタ下ろしの新改作「子別れ」新ヴァージョンである。

 「子別れ」は大工の熊五郎が妻子を追い出し身請けした遊女と一緒になるが、結局すぐに別れてしまう。そして3年、別れた子どもと再会し、子どもがあれこれ復縁に心を尽くす。その子どもの様子と父親の言動が面白く、最後にはホロリとさせる名作である。しかし、一端追い出された妻の心は余り描かれない。そこを中心にした逆ヴァージョンを作って、それは昨日演じたという。

 今日やったのは、さらにもう一つのヴァージョン。この噺にはもう一人女性が登場する。つまり「後妻」になった「遊女」である。ネットであらすじを検索すると、以下のように描かれている。お島が肝心の吉原の遊女である。

 「うるさいのがいなくなり、これ幸いにとお島を引っ張り込むが、「やはり野に置け蓮華草」で、朝寝が大好きで、昼間から大酒を飲んでばかりで家事などは一切できない女だった。熊五郎 「おい、起きろよ」 お島 「まだ眠いよ、もう少し寝かせておいておくれよ」 熊五郎 「冗談じゃねえや、おらあ、仕事に行くんだ、早くしなきゃ間に合わねえや」 お島 「仕事に行きたきゃ、早くお出でな」 熊五郎 「飯を食わずに行けねえじゃねえか。起きて、飯を炊いてくれよ」 お島 「いやだよ、おまんまなんぞ炊くのは。そんなもん炊くくらいならこんなとこへ来やしないやね。橋場の善さんのとこへ行っちまわあね」、毎日がこんな調子で、熊五郎が追い出そうと思い始めた頃、女の方から「はい、さよなら」と出て行ってしまった。」

 せっかく惚れた男が身請けしてくれたのに、結局大工の妻にはなりきれない「悪妻」の典型として描かれる。この「お島」はどんな人生を送ってきた女性だったのか。「吉原」を今の時点で、それも女性の立場で描くときに、どうすれば良いのか。この難問にチャレンジしたのが林家つる子の「改作子別れ」である。そして落涙必至の感動作が誕生した。

 生まれた時から品川の遊郭に捨てられ、特別な世界で育ってきた。炊事も裁縫も教えられて来なかった。お互い承知で結ばれたはずが、現実にはどうしてもうまく行かない。熊五郎は長屋のおかみは皆親切だから教えて貰えという。しかし、実は長屋連中は皆お島を遊女あがりと蔑視し、何も出来ないとそしり、子どもたちにも近づかないように言っていた。そんな子どもたちがある日訪ねてきて、「花魁(おいらん)ごっこ」をしたいから花魁道中の歩き方を教えてくれと言う。あの家には近づくなと言っただろと後で子どもたちは母親に叱られた。こうして、お島は自分は遊郭の中でしか生きていけないんだと追い詰められていく。 

 このように、差別と格差の中でしか生きて来れなかった「遊女」の悲しみを見事に描いたのである。こういうやり方があったのか。というか、今までこの噺を聴いたことはあるのに、こういう発想をしたことがなかった。身請けされても「シャバ」では「悪妻」にしかなれない哀しみ。それが「遊女」という存在なのだという見方は、現代を考える時にも役立つだろう。端役として出て来る登場人物を主役にするというのは、『ハムレット』に出て来る人物を描くトム・ストッパードローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を思い出す。こういう発想で作れる作品はまだまだあると思う。
(隅田川馬石)(林家きく麿)
 他では隅田川馬石の「金明竹」(というんだと初めて知った)という上方弁でまくし立てて全く理解出来ない噺。馬石の歯切れの良さに引き込まれる。新作の林家きく麿は「おもち」という老人同士の訳の判らない会話がバカバカしくて笑えた。林家正蔵は「西行鼓が滝」。最近正蔵をよく聴いてるが、その中では一番面白かった。

 最後に寄席の話をちょっと。「落語ブーム」とか言われると、寄席もいっぱいかと思うかもしれないが、一部のホール落語は満員だろうが寄席は空いている。チケットはどうするのかというと、そもそも事前に前売り券はない。ホントに時々(お盆興行とか落語芸術協会の神田伯山主任興行とか)だけ、チケットぴあなどで前売り券を発売することもある。時間は夜席だと、5時開始ぐらいで今どき仕事をしていると行けない時間だ。しかし、トリだけでも良ければ7時頃までに行けば空いてると思う。今日もまあ4割ぐらいの入りだったと思う。それでもそこそこ入ってる方。だから応援という意味で行ってるわけである。今どき当日券、現金払いのみという世界。それが寄席である。まあ夜行くと外食になるから物入りだけど。

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