尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

テオ・アンゲロプロスの追悼上映

2012年05月07日 21時51分18秒 |  〃 (世界の映画監督)
 東京・北千住の「東京芸術センター」というところの2階にある「ブルースタジオ」で、ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの緊急追悼上映を夏まで延々と行っています。ほとんど誰も知らないのではないかと思うので、紹介しておく次第。僕も今日初めて行ったんだけど、大きな画面にガラガラの座席でもったいない。アート映画をやるような映画館にチラシをもっとおかないと誰も気づかないでしょう。(もっとも僕は新文芸坐で「芸術センター」という雑誌を入手して知ったのだけど。)


 ここはどういうところか今一つ判りません。神戸や福岡にもあるらしい「日本芸術センター」。政府や自治体の組織ではなく、株式会社で持ちビル会社が芸術振興事業もやってるのかな。天空劇場とかレストランが入った大きなビルです。ピアノコンサートなどを定期的に行っています。ハローワーク足立が入っているビルで、若者支援センターなんかもあります。そこの2階でひっそりと「名画上映事業」をやってるけど、僕もほとんど知りませんでした。もう5年間も続いているようです。ビルに入って1階にある自動券売機でチケットを買って階段を上って2階へ。椅子はそんなに良くないけど、画面はとても大きくて見やすいです。

 テオ・アンゲロプロスについては「追悼文」を訃報が伝えられた時に書いておきました。ギリシャ現代史の知識がないとわかりにくいのですが、それについては中公新書「物語 近現代ギリシャの歴史」の書評も参考に。現時点で早稲田松竹で二週間連続で追悼上映。3月に新文芸坐で全長編上映があったけれど、体調不良で半分しか見られませんでした。今日、その時見逃した「アレクサンダー大王」を1981年以来31年ぶりに見ました。「E.T.」や「1900年」、「炎のランナー」「黄昏」に続いて、その年のベストテン5位ですが、僕個人ではベストワンでした。

 19世紀最後の日にギリシャの牢獄から「義賊」が脱獄する。彼は白馬に乗って古代のアレクサンドロスを名乗って、「20世紀最初の日の出」をギリシャに見に来たイギリス貴族を誘拐して政府に恩赦、土地解放、身代金を要求。イタリア人アナーキストも加わり、故郷の北の村に帰ると、そこはコミューンになっていて、初めは歓迎される。その「英雄的義賊」が村人や政府と交渉、対立して専制化していき、流血の悲劇に終わるまでを3時間半の長さで見つめた映画。「大王」の過去や死に方など謎が多い映画。ロングショット、長回しの絵画的構図が常に緊張感をはらんでいる。テロと解放、英雄と民衆、神話と象徴など、大問題を突きつけている。

 「義賊」というのは社会史に出てくる概念で、シチリアの盗賊やアメリカのビリー・ザ・キッド、オーストラリアのネッド・ケリー、ブラジルのカンガセイロ(グラウベル・ローシャの映画に出てくる)などですが、日本で言えば国定忠治なんかが近い存在です。封建制から近代への変わり目の辺境地域で、実力を持つ悪漢(賭博や盗賊、殺し屋)が政府に反抗して民衆の英雄となる。そういう図式は世界各地にあります。しかし、人質を取って政府に要求を突き付けるのは、今はむしろ「テロリスト」と言われるでしょう。民衆に英雄視される「義賊」が暴力による専制になって民衆から排斥されていき、敗北したのちに神話化されるという、そういう仕組みが映画で描かれています。だから娯楽を映画に求める人は見ない方がいいけど、民衆史や民族学なんかに関心がある人なら面白いはず。長いけど。

 15日まで「アレクサンダー大王」で、その後「シテール島への船出」「蜂の旅人」「霧の中の風景」「こうのとり、たちずさんで」「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」「旅芸人の記録」と、8月21日まで続きます。1作品2週間、水曜変わり。(「エレニの旅」「狩人」はすでに上映終了。)ギリシャの選挙がちょうど終わったところで、ギリシャ現代史を考えたい人もこの特集を見る意味があるでしょう。

 北千住は僕の家から近いけど、東京でも東のはずれの方だから行ったことがない人も多いでしょう。昔の日光街道の宿場町で、観光施設も少しあります。スカイツリーを見て行くこともできるでしょう。地下鉄日比谷線、千代田線、半蔵門線、東武線、JR常磐線が通ってます。東京芸術センターがある場所は、昔の足立区役所で区役所が梅島に移った後の跡地利用は政治的に大問題になり、一時は共産党区長が当選したりしました。長い間空き地で、劇団黒テントの芝居に使われたりしたこともありました。東京芸大の千住キャンパスに続き、4月から東京電機大が移転して学生の街になってきました。

 案外みんな知らないのが、森鴎外の旧居地であること。文京区のホームページに以下のようにあります。
「鴎外は30以上のペンネームを使ったが、最後まで使ったのが「鴎外」だった。「鴎外」の由来には諸説あり、千住にある「かもめの渡し」という地名をもじったものという説が有力。「かもめの渡し」は吾妻橋の上流にあり、吉原を指す名称でもあった。遊興の地には近寄らず、遠く離れて千住に在るという意味も込められている。」
 森林太郎は上京後、向島や千住に住んでいました。千住は父の病院があったところ。ドイツ留学前の時代です。「鴎外」というペンネームが千住を意味するものであるということを知らない人がまだ多いのではないかと思います。碑もあります。足立区のホームページ「森鴎外と千住」も参考に。
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