尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小山明子映画祭と大島渚の映画

2012年05月07日 00時07分21秒 |  〃  (日本の映画監督)
 5日から26日に銀座シネパトスで「小山明子映画祭」があり、今日は小山明子さんのトークショーとサイン会。これは見逃せないと前売を買っておいた。小山明子と言っても誰?という人もいるだろうが、映画監督大島渚の夫人である。大島監督は96年に脳出血で倒れ、その後2000年に「御法度」を監督して以来、闘病中である。夫人の小山明子さんも以後は介護中心の生活で、一時は「介護うつ」の状態だったと伝えられた。現在は元気を取り戻し本を出したり講演などを行っている。しかし、映画やテレビにはもうずいぶん出てないので、女優としての活動が忘れられてしまったかもしれない。
 
 1960年に「松竹ヌーベルバーグ」と言われたのが大島渚、篠田正浩、吉田喜重など。篠田夫人の岩下志麻、吉田夫人の岡田真莉子、お二人の話も最近聞いたけれど、大島夫人小山明子の話もこれで聞けたことになる。二人の子供を育て、最近15年以上は介護生活で、女優としての仕事は他の二人と差があるのが事実だろう。また大島監督も男中心、議論中心の映画で、篠田、吉田監督のように夫人の代表作を作ってあげなかった。でも大島作品は小山明子の助演なくして成り立たない。清楚可憐なクールビューティの魅力は岡田、岩下に負けない。専門学校でファッションショーに出たら「家庭よみうり」の表紙に載り、映画界にスカウトされた。これは司葉子と同じきっかけ。ファンレターに紛れて大島が大量のラブレターを送り、60年に結婚する。しかし、その時は「日本の夜と霧」打ち切り事件で大島は松竹退社を決意した直後で、結婚式も「日本の夜と霧」みたいな大糾弾大会になってしまった。

 今井正の話の中で、60年代になると今村昌平、大島渚の時代になったと書いたけれど、今は今村や大島の持った意味も伝わりにくくなっている感じがする。今回夫人小山の映画祭で大島作品は6本上映される。また最近「絞死刑」を見直す機会もあった。大島渚の政治性、論争性は今見ると色あせているところもないではないけれど、震災以後にみると「挑発性の再評価」が必要だと思う。代表作と言われる「絞死刑」「少年」「儀式」だけでなく、「白昼の通り魔」は大変完成度が高い傑作だ。「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」もしばらく見ていないけれど、今みるとどうなんだろうか。1959年に今井正の代表作「キクとイサム」がベストワンになり、60年になると大島の「青春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」が現れるのは象徴的である。フランスにゴダールやトリュフォーが現れたように、日本映画も新しい時代になったのである。

 「日本の夜と霧」は日本共産党の「50年問題」を厳しく追及した「論争映画」で、主題の政治的挑発性カット数の極端に少ない長回しという方法性ともに、世界を見回しても本来大手映画会社で作られるような映画ではない。小津が当たらず大島がヒットする変化に会社が自信を失い、奇跡的に製作されてしまった。公開直後に浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件が起こり、(全然関係ないのに)会社が4日で公開を中止した。これで大島を松竹を退社する。映画としては、(「新左翼的問題意識」がないと関心が持てないかもしれないけど)、やたら面白い議論映画である。「絞死刑」も在日朝鮮人の死刑執行が失敗して「心神喪失」におちいり、犯行を思い出させるために関係者が犯行を「再現」するというというとんでもない発想の議論映画。とにかく大島渚の映画ほど、登場人物どうしが議論する映画は世界中見ても他にない。ゴダールみたいに観客に向けて議論する映画はあるし、哲学的議論を独白する映画も多いが、登場人物が政治的議論を交わす面白さは大島映画が抜群である。

 今日は「少年」(69年)と「日本春歌考」の2本。「少年」は前から大好きでこれが3回目。子供を自動車に当たらせて示談金を詐取する「当たり屋夫婦」という、当時実際にあった事件をモデルにした映画。高知から松江、城崎、福井、秋田、宗谷岬、小樽などと日本中を回る「ロード・ムーヴィー」の傑作である。主要人物は渡辺文雄の夫、小山明子の妻、二人の子供(上の子は夫の先妻の子)の4人。一年かけて日本中を回り作った映画で、小山明子自身も思い出深いと言う。小山は毎日映画コンクール助演女優賞。テーマはこども虐待が、カメラは遠くから長回しで親子の道行きを見つめ、緊張感にみちている。自動車に当たる上の子供は、宇宙人が救いに来る話をつくり、アンドロメダ星雲からの救援を待つ。吹雪の中、雪だるまの宇宙人を作って自分で壊すシーンは、痛切な痛みが伝わる場面である。少年はほとんど「解離」状態で、虐待を考えるときに落とせない映画だと改めて思った。

 「日本春歌考」(67年)は、群馬から出てきた受験生の東京彷徨を歌めぐりで描きながら、さまざまな現実と幻想を議論するという映画。昔から好きな映画だけど、図式的な部分がつまらないと感じたときもある。今回見るとその図式性がかえって面白いかもしれない。酒場で軍歌に対抗して伊丹十三(当時は一三)が春歌を歌いだす。伊丹の葬式では、革命歌(初めは「国際学連の歌」、次は判らず、その次は「ワルシャワ労働歌」)を歌うとき、高校生役の荒木一郎が春歌を歌う。「軍歌」vs「春歌」vs「革命歌」の構図に割って入るのが、「ベトナム反戦フォークソング集会」で歌われる「ディス・ランド・イズ・ユア・ランド」や「若者たち」などの「フォークソング」である。

 そしてそこに吉田日出子(在日朝鮮人と暗示される女子高生)が歌う歌がからむ。それは調べると、「満鉄小唄」と呼ばれる替え歌を朝鮮人が歌うという設定である。そういう「歌」の政治的位置で話が進む中、伊丹の愛人役の小山明子が騎馬民族論をとうとうと論じるという映画で、「紀元節復活」の年に「黒い日の丸」を掲げる大胆不敵な映画。やはりなかなか面白い。伊丹夫人となる宮本信子や自由劇場の串田和美が若い高校生役をやっているのも珍しい。大島映画は政治や性を扱うように当時は思っていたが、それはそうなんだけど、方法論的に世界で誰もやっていないことをやっていた側面を見逃してはいけないと思う。50年代に続いて、60年代も発見していかないといけない。さらに70年代も。
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