尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ルイス・ブニュエル監督晩年の映画再見

2022年02月10日 22時52分37秒 |  〃 (世界の映画監督)
 もう今日(2月10日)で終わってしまったのだが、ルイス・ブニュエル監督(1900~1983)の6作品の上映が角川シネマ有楽町で行われた。スペインに生まれ、メキシコやフランスで活躍したルイス・ブニュエルは僕のとても好きな映画監督だった。1970年(日本公開1971年)の「哀しみのトリスターナ」以後は同時代に見ているが、若い頃はよく判らなかった。同時代には未公開だった作品が多く、日本では80年代以後のミニシアター・ブームで初公開された作品も多い。数年前には「ビリディアナ」「皆殺しの天使」「砂漠のシモン」が上映され、僕は「冒涜の映画作家、ルイス・ブニュエル再見」(2018.1.5)を書いた。

 2021年には「アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生」(1955)というメキシコ時代の奇怪な作品も初公開され、まだまだ発見を待っている映画作家なのではないか。今回は晩年の6作品を集めたBlu-ray BOXが発売されるのに合わせた上映企画で、撮影はスペインのものもあるが製作はフランス(あるいはイタリアとの合作)が多い。その中で「小間使いの日記」(1964)、「哀しみのトリスターナ」(1970)、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(1972)、「自由の幻想」(1974)の4作品を見直した。「昼顔」(1967)と「欲望のあいまいな対象」(1984)は見逃したが、見た作品をまとめておきたい。

 製作の逆順で「自由の幻想」から。1977年に岩波ホールで公開され、あまりにも自由でぶっ飛んだ作風に驚いた。その年の僕のベストワン(キネ旬4位)。何の関係もないようなエピソードが羅列的に出て来るが、いずれも「常識」を外した展開になっている。人々が食事に集まると椅子がトイレになっている(下の画像)。あるいは公演で男が幼女に写真をあげる。両親が見て、なんて写真だと憤慨する。普通ならわいせつ写真かと思うところ、凱旋門やエッフェル塔の写真なのである。寝室でニワトリやダチョウが後ろを通り過ぎるなど、何をしてもいいんだという映画。「夢」のようで理解しがたいシーンの連続だが、常識の反対をやってるのが昔見て痛快だった。でも今見ると「悪ふざけ」に見えるシーンもあるかも。
(「自由の幻想」)
 「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」はアカデミー賞で外国語映画賞を受賞した。日本では1974年にATG(アートシアター)で公開され、6位。でも僕は公開当時はよく判らなかった。10代では無理だよなという映画。「皆殺しの天使」ではパーティから誰も帰れない。この映画では、皆が食べるために集まると、何か障害が起こって決まって食べられない。その皮肉が面白く、こんなに面白かったのかと再発見した。ブルジョワジーといっても、南米某国の大使である。外交官特権を利用して麻薬の密輸をしている。カネはあるが、これはブルジョワじゃないだろう。そういうところに集まってくる男3人とその妻3人。不条理劇を映像化するとこういう映画になるというお手本。皮肉な眼差しがたまらない。
(「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」)
 「哀しみのトリスターナ」はトリスターナ(カトリーヌ・ドヌーヴ)を養女にした老人フェルナンド・レイの物語。この人はブニュエルのお気に入りで、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」で主演し、「ビリディアナ」「欲望のあいまいな対象」にも出た。美しい養女を妻にしてしまうが、トリスターナは町で画家のフランコ・ネロと知り合って…。一時は彼と出ていくが、病気になって戻り片足を切ることになる。トリスターナは最後にどういう行動を取るか。人間性の深淵を見つめた運命と悪意の物語。夢に出てくる夫の首も凄まじい。スペインの世界遺産の町トレドで撮影された。ドヌーヴ主演だから通常公開され、7位に選ばれた。
(「哀しみのトリスターナ」)
 1964年の「小間使いの日記」はシュールレアリストのブニュエルの中でもっともリアリズムの映画だとされる。オクターヴ・ミルボーの1900年の同名小説の映画化。映画は1930年代に時代を移し、ジャンヌ・モローがパリから来た小間使いを絶妙に演じている。田舎の人々は精神的に腐敗して、勤め先のモンテイユ家も先がない。靴フェチの老人、仲が悪い隣家の元軍人、怪しげな下男、そんな中で幼女殺しが起きるが犯人が判らない。小間使いの目を通して、大領主の腐敗、台頭する右翼などをあぶり出す。66年にATGで公開され8位。僕はどこかで前に見ていて、その時から凄い映画だと思った。ジャンヌ・モローの演技は彼女の中でもベスト級だと思う。シュールレアリストとされるブニュエルだが、このリアリズム映画でも「悪意」を描くことは今まで書いた映画と同じ。
(「小間使いの日記」)
 見たくないようなものを突きつけてくるのがブニュエル映画。あまりにも悪意、悪ふざけに満ちていると、もういい加減にしてくれという感じもする。だけど、「感動」を安売り、押し売りするような映画ばかりが多い中で、こういう映画も必要。スペインのフランコ独裁に反対する中で、反カトリック、反ブルジョワ意識が強くなった。メキシコに逃れて国籍も取得、メキシコで多数の娯楽作を作っている。晩年にフランスを中心に活動するようになり、有名スターが出演して映画祭でも受賞した。そこで得た名声で晩年は自由に夢のような悪ふざけのような映画をたくさん作ったわけである。それが実に魅力的で、どこかでやってたら是非。
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