ギリシアの映画監督で、世界的な巨匠テオ・アンゲロプロスが、24日、交通事故で死去。76歳。
全く!ギリシア人は何と言うことをしてくれたのだ。ただでさえ、ギリシア発の経済危機で世界を揺るがせていると言うのに、アンゲロプロスをバイクではねるなんて。と八つ当たり気味のことを最初に思った。80年代にタルコフスキーやトリュフォー、トルコ(クルド人)のユルマズ・ギュネイらが相次いで亡くなって以来、映画の世界で注目すべき作品を作り続けた巨匠と言うべき人は、アンゲロプロスぐらいだったではないか。もちろん、50年代に出発したアンジェイ・ワイダやアラン・レネが生きている。でも、思想的、映像的に次回作が注目される、次回作が頂点かもしれない映画監督って、他に誰がいただろう?
1979年に岩波ホールで「旅芸人の記録」が公開されたとき、僕も含めて、皆、驚天動地というべき感情を味わったと思う。ギリシア現代史を背景にして、4時間にも及ぶ、ほとんどロングショットばかりの静かな映画。でもその静けさの中に、歴史に翻弄された現代人の愛と怒りがいっぱい詰まっていた。圧倒的。その一言につきる。いや、判らないことが多すぎた。ギリシア現代史を行き来する複雑な構成は、途中で人間関係が把握できなくなってくる。日本だったら、「リンゴの歌」が流れれば戦後の闇市みたいな、同国人ならすぐ判る同時代を生きた証が多分あるんだと思う。それに、登場人物がアガメムノンだのエレクトラだの、ギリシア悲劇なのかという名前が(もちろん意識的に)付けられていて、そんな名前が今でもあるんかいな。などと思いながら、暗いギリシアの風景を見つめていた。4時間もあるので、なかなか再見できなかったけど、数年前にようやくまた見た。やはり判らない。けど、傑作。傑作だということはよく判る。
長すぎるし、暗すぎるし、テーマが重い。「旅芸人」がベスト1になったから見たけど、以後はもう敬遠して見ないと言う人がいる。それはもったいないなあ。岩波ホールでやった「アレクサンダー大王」は、「旅芸人」に匹敵する傑作である。紀元前の話ではなく、19世紀に現れ大王を名乗った義賊の話で、現代史じゃない分、こっちの方が判りやすかった。
以後、(今はなき)「シネヴィヴァン六本木」や「シャンテ・シネ」ができたおかげで、アンゲロプロスはほとんど日本公開されてきた。「シテール島への船出」「霧の中の風景」「こうのとり、たちずさんで」「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」「エレニの旅」と日本でも大きな評価を得た作品ばかりである。少し遅れて公開された「狩人」「蜂の旅人」も後で見たから、僕は日本で公開されていない初期の作品以外、長編は全部見ている。個人的には、「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」が中でも傑出していると思う。
ギリシアでも「子供を寝かせたいなら、アンゲロプロスを見せろ」と言われているらしい。タルコフスキーのように、眠くなる時もあると言えばあるけど、映像の緊張感が続くので、すごいものを見ているという意識は途切れない。僕はこれが映画だと思う。転換が早い映画もいいけれど、世界と歴史を見続けていく映像の緊張感は忘れがたい。
ギリシアと言えば「エーゲ海の真珠」かと思うと、北の方は寒く雪に閉ざされた冬があるということを、アンゲロプロスの映画が教えてくれた。これでは観光にならないし、いつも暗いと敬遠する人も確かにいるだろう。それと左右対立の激しかった現代史。考えて見れば、ギリシアの北は、アルバニア、旧ユーゴスラヴィア、ブルガリアだから、冷戦時代は「社会主義国」との前線国家だった。大戦中はナチスに占領され、イギリスに亡命した王室・政府とソ連の影響下にあった共産党が、戦後も争い続けた。隣国のトルコは同じNATO加盟国だったけれど、イスラム教国でキプロスをめぐって対立関係にあったので、ギリシア現代史は厳しい綱渡りを続けてきた。60年代末から70年代にかけては軍事政権の時代があった。そういう現代史の闇を抱えた国だったのである。
まあ、亡くなってしまった以上は、もとに戻ることはできない。残されたものが頑張っていくしかないわけである。スペインのペドロ・アルモドバル、セルビアのエミール・クストリッツァ、ベルギーのタルデンヌ兄弟、フィンランドのアキ・カウリスマキらに頑張ってもらうしかない。僕はヨーロッパの小国の映画作家が大好きなのである。
なお、いずれ読めると思うんだけど、多くの人がそう思ってるように、僕も池澤夏樹の追悼文が待ち遠しい。アンゲロプロスの字幕は、すべて池澤夏樹が付けてきた。芥川賞を取るずっと前から。僕らは池澤夏樹を通してテオ・アンゲロプロスの世界に接してきたのだ。
(追記:池澤夏樹氏の追悼文は、1月31日付朝日新聞に掲載。必読。)
全く!ギリシア人は何と言うことをしてくれたのだ。ただでさえ、ギリシア発の経済危機で世界を揺るがせていると言うのに、アンゲロプロスをバイクではねるなんて。と八つ当たり気味のことを最初に思った。80年代にタルコフスキーやトリュフォー、トルコ(クルド人)のユルマズ・ギュネイらが相次いで亡くなって以来、映画の世界で注目すべき作品を作り続けた巨匠と言うべき人は、アンゲロプロスぐらいだったではないか。もちろん、50年代に出発したアンジェイ・ワイダやアラン・レネが生きている。でも、思想的、映像的に次回作が注目される、次回作が頂点かもしれない映画監督って、他に誰がいただろう?
1979年に岩波ホールで「旅芸人の記録」が公開されたとき、僕も含めて、皆、驚天動地というべき感情を味わったと思う。ギリシア現代史を背景にして、4時間にも及ぶ、ほとんどロングショットばかりの静かな映画。でもその静けさの中に、歴史に翻弄された現代人の愛と怒りがいっぱい詰まっていた。圧倒的。その一言につきる。いや、判らないことが多すぎた。ギリシア現代史を行き来する複雑な構成は、途中で人間関係が把握できなくなってくる。日本だったら、「リンゴの歌」が流れれば戦後の闇市みたいな、同国人ならすぐ判る同時代を生きた証が多分あるんだと思う。それに、登場人物がアガメムノンだのエレクトラだの、ギリシア悲劇なのかという名前が(もちろん意識的に)付けられていて、そんな名前が今でもあるんかいな。などと思いながら、暗いギリシアの風景を見つめていた。4時間もあるので、なかなか再見できなかったけど、数年前にようやくまた見た。やはり判らない。けど、傑作。傑作だということはよく判る。
長すぎるし、暗すぎるし、テーマが重い。「旅芸人」がベスト1になったから見たけど、以後はもう敬遠して見ないと言う人がいる。それはもったいないなあ。岩波ホールでやった「アレクサンダー大王」は、「旅芸人」に匹敵する傑作である。紀元前の話ではなく、19世紀に現れ大王を名乗った義賊の話で、現代史じゃない分、こっちの方が判りやすかった。
以後、(今はなき)「シネヴィヴァン六本木」や「シャンテ・シネ」ができたおかげで、アンゲロプロスはほとんど日本公開されてきた。「シテール島への船出」「霧の中の風景」「こうのとり、たちずさんで」「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」「エレニの旅」と日本でも大きな評価を得た作品ばかりである。少し遅れて公開された「狩人」「蜂の旅人」も後で見たから、僕は日本で公開されていない初期の作品以外、長編は全部見ている。個人的には、「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」が中でも傑出していると思う。
ギリシアでも「子供を寝かせたいなら、アンゲロプロスを見せろ」と言われているらしい。タルコフスキーのように、眠くなる時もあると言えばあるけど、映像の緊張感が続くので、すごいものを見ているという意識は途切れない。僕はこれが映画だと思う。転換が早い映画もいいけれど、世界と歴史を見続けていく映像の緊張感は忘れがたい。
ギリシアと言えば「エーゲ海の真珠」かと思うと、北の方は寒く雪に閉ざされた冬があるということを、アンゲロプロスの映画が教えてくれた。これでは観光にならないし、いつも暗いと敬遠する人も確かにいるだろう。それと左右対立の激しかった現代史。考えて見れば、ギリシアの北は、アルバニア、旧ユーゴスラヴィア、ブルガリアだから、冷戦時代は「社会主義国」との前線国家だった。大戦中はナチスに占領され、イギリスに亡命した王室・政府とソ連の影響下にあった共産党が、戦後も争い続けた。隣国のトルコは同じNATO加盟国だったけれど、イスラム教国でキプロスをめぐって対立関係にあったので、ギリシア現代史は厳しい綱渡りを続けてきた。60年代末から70年代にかけては軍事政権の時代があった。そういう現代史の闇を抱えた国だったのである。
まあ、亡くなってしまった以上は、もとに戻ることはできない。残されたものが頑張っていくしかないわけである。スペインのペドロ・アルモドバル、セルビアのエミール・クストリッツァ、ベルギーのタルデンヌ兄弟、フィンランドのアキ・カウリスマキらに頑張ってもらうしかない。僕はヨーロッパの小国の映画作家が大好きなのである。
なお、いずれ読めると思うんだけど、多くの人がそう思ってるように、僕も池澤夏樹の追悼文が待ち遠しい。アンゲロプロスの字幕は、すべて池澤夏樹が付けてきた。芥川賞を取るずっと前から。僕らは池澤夏樹を通してテオ・アンゲロプロスの世界に接してきたのだ。
(追記:池澤夏樹氏の追悼文は、1月31日付朝日新聞に掲載。必読。)