尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アイダ・ルピノ、忘れられた女性監督の「発見」

2024年10月11日 22時20分26秒 |  〃 (世界の映画監督)
 シネマヴェーラ渋谷で「カメラの両側で アイダ・ルピノ レトロスペクティブ」という特集上映を行っている。(10月18日まで。)これは非常に驚きと発見に満ちた、非常に出色の企画だと思う。アイダ・ルピノ(Ida Lupino、1918~1995)と言われても、知らない人がほとんどだろう。僕は昔の映画(40年代、50年代ぐらいの白黒映画のことだが)を見るのが好きで、その中でアメリカの昔の女優にそんな人がいたな程度の知識はあったが、それ以上のことはほとんど知らなかった。

 「#MeToo運動」以後、世界的に映画史における女性の活躍が見直されてきた。例えばシャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番』(1975)が日本でも公開され、映画史の見直しが進んでいる。しかし、アケルマンはヌーヴェルヴァーグ以後の作家性の強い女性監督である。しかし、それ以前の映画が「撮影所システム」で作られていた時代には、女性監督はほとんどいなかったと思われてきた。しかし、現実には多くの国で少数ながら注目すべき映画を作った女性監督が存在した。日本では田中絹代が監督としても注目されているが、ハリウッドでは女優アイダ・ルピノが映画監督としても活躍していたのである。

 アイダ・ルピノはロンドンの芸能一家に生まれ、10代のうちからイギリスの舞台や映画で活躍した。当時から主役以上に「娼婦」など「汚れ役」を得意にしていたようである。1933年に出演した映画でパラマウント映画に注目され、ハリウッドに渡ることになった。そして多くの役を演じるが、当時の大女優ベティ・デイヴィスが拒否した役も引き受けて、自分でも「安手のベティ・デイヴィス」と言っている。ワーナー映画に移った後は、脚本や演技に異議を唱えることが多く、トラブルメーカーとして契約が更新されずフリーとなった。その間に製作現場を観察し、「作る側」への関心を強めた。そして、夫のコリアー・ヤングを社長として「低予算で問題志向の映画を制作、監督、脚本する」ために、The Filmakers Inc.という会社を設立したのである。

 初監督作品は事実上『望まれざる者』(Not Wanted、1949)だった。クレジット上はエルマー・クリフトン監督になっているが、撮影直後に心臓発作を起こしほぼアイダ・ルピノが監督を務めた。脚本にはルピノが関わっているので、内容的にも完全にルピノ映画である。冒頭で若い女性が乳母車から赤ちゃんを連れ出す。すぐに母親が気付いて、彼女は「誘拐」として逮捕される。この女性に何があったのかと映画は探っていく。彼女は地方都市で無理解な両親のもとで暮らしていた。たまたま知り合ったピアニストと恋に落ちるが、彼は別の都市に移る。追っていくが彼は一人を望んで彼女を拒否する。その時には妊娠していたが、女は男に告げることが出来ない。「未婚の母」はどうなるんだろうか。時代に先駆けたテーマにチャレンジしている。
(『望まれざる者』)
 監督にクレジットされた最初の作品は『恐れずに』(Never Fear、1950)である。前途有望な女性ダンサーがいて、一緒に踊る恋人もいる。そんな彼女が突然病に倒れる。当時世界に多かったポリオだったのである。彼女は足に障害が残り、ダンサーとしての未来を失う。リハビリが始まるが、絶望し彼との仲も悪化する。そんなリハビリの様子を、患者仲間とともにじっくり追って行く。前作もそうだが、ラストはハリウッド的結末に至るのだが、まだ社会の冷徹さをとことん見つめる映画を作れる時代じゃなかった。しかし、こんなにリハビリを正面から描いた映画は他にあるだろうか。医者や看護師が出て来る映画は多いが、この映画は理学療法士作業療法士もきちんと描かれる。プールで歩くリハビリもある。前作でも「未婚の母の家」という施設が出て来る。1950年当時の日本では考えられない。こういう国と戦争をしてたのかと思ってしまう。
(『恐れずに』)
 続く『暴行』(Outrage、1950)ではさらに深刻なテーマにチャレンジしている。それは「レイプ」とその後の「セカンドレイプ」である。夜の街で男に襲われた主人公は、心ない噂に追いつめられ婚約を解消して街をから逃げ出す。彼女には果たして再生する日が来るのだろうか。75分という短い映画だが、今もなお犯罪被害者に起こりうる悲劇を描くのである。しかも、光と影の陰影の中に、印象的な映像を作り出している。まさに時代に先駆けた映画であり、2020年に米国議会図書館の保存映画リストに登録された。「未婚の母」「性被害」など当時は描きにくかったテーマに果敢に挑んでいるのである。
(『暴行』)
 全部詳しく書くと大変なので、後は簡単に。『強く、速く、美しい』(Hard, Fast and Beautiful、1951)はテニスに秀でた娘が有力者に見出され、全米チャンピオンになりウィンブルドンに出場する。母親は自分の結婚生活に幻滅し、娘の人生を通して成功を求めるが、娘は婚約者との落ち着いた生活を求める。「母と娘の衝突」というこれも時代に先駆けたテーマ。『ヒッチハイカー』(The Hitch-Hiker、1953)はたまたま車に乗せたヒッチハイカーが殺人犯だった…という「都市伝説」的恐怖映画。純粋の「フィルム・ノワール」で、これは女性のテーマではないが、いろんな映画を作る必要があったんだろう。低予算のB級犯罪映画だが、この種の映画の傑作になっている。
(『ヒッチハイカー』)
 その後、1955年に会社はつぶれてしまい、ルピノは主にテレビで活動するようになる。しかし、コロンビア映画がベストセラーの映画化のため、アイダ・ルピノと契約し、『青春がいっぱい』(The Trouble with Angels、1966)が作られた。ペンシルベニアのカトリック修道院が経営する女子高の物語である。そこにトラブルだらけの二人が入学してきて、ドタバタ騒ぎがいっぱい。その様を見事に描くコメディで、ヒットして続編が2作作られた。まあ、雇われ監督で、特にテーマ性があるわけじゃないが、アメリカ映画によくあるような「学園もの」の定番ながら楽しく見られる。
(『青春がいっぱい』)
 他にも共同監督もあるし、女優で出た映画も面白い。僕も全部見るのは大変で、あまり見てないけど。アイダ・ルピノ監督の映画は、低予算のB級映画として作られている。そして、大手映画会社の埋め草作品として上映されたわけである。経済的には大変だったろうが、自分の会社を持ったためにテーマ性のある作品が製作出来たのである。しかし、それでもハリウッド映画には厳格なコードがあり、70年代以後のように完全に自分の理想を追求することは不可能だった。そんな中で作られた商業映画に、これほど先駆的な作品を作った女性監督がいたというのは大きな発見だ。
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