尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ハダカデバネズミの衝撃-小川洋子を読む④

2016年06月11日 23時51分34秒 | 本 (日本文学)
 小川洋子さんの小説について3回書いてきて、これからも数回続く。だけど、4回目は小説ではなくて、非常に面白い対談本を紹介。小説(特に純文学)を紹介しても、読まない人は読まないということを僕は知っているけど、一方「文学」読者の中には逆に科学や社会に関する本を読まない人もいる。どっちももったいないと思うが、特に今回紹介する小川洋子、岡ノ谷一夫「言葉の誕生を科学する」(河出文庫)はぜひとも読んでほしい本。今まで知らなかったことを後悔した。

 「人間が〝言葉”を生み出した謎に、科学はどこまで迫れるのか? 鳥のさえずり、クジラの鳴き声…言葉の原型をもとめて人類以前に遡り、小説家と科学者が、言語誕生の瞬間を探る!」という風に、文庫の裏側に書いてある。これで判ります? 僕は今一つ判らんという感じで、これを見ただけなら買わないと思う。だけど、読んでみるとものすごく面白い本で、ビックリするようなことがいっぱい出てくる。小さな発見から、壮大な発想まで盛りだくさんで、多くの人に読んでほしい本。
 
 小川洋子という人は、数学が出てくる小説もあるし、「科学の扉をノックする」(集英社文庫)というエッセイ(様々な研究者を訪ね歩く)もある。なんだか理数系に強い人なのかなあと思うかもしれないけど、早稲田大学第一文学部卒業。でも卒業後に岡山の医科大学の秘書室に勤務した経験があり、その経験が作品世界に反映しているのかもしれない。

 一方、対談相手の岡ノ谷一夫(1959~)の方こそ、慶応大学文学部卒業。その後、米国メリーランド大学で博士号を取得し、千葉大、理研を経て、現在東大教授の動物行動学者。そもそも「言葉の誕生」という発想が素晴らしい。僕は「文字の発生」という問題意識はあったけれど、人間が言葉を持つのは当たり前と考え、動物に遡って「言葉の誕生」を探ろうという考え方そのものが新鮮だった。そして、小鳥の歌声を研究して、そこに「文法」を見出した。

 それが「言語の歌起源説」である。そもそも「新しい音を学ぶ」ということが、人間以外では鳥と鯨ぐらいしかできない。うちの犬や猫がしゃべるという人もいるだろうが、それは飼い主のイントネーションに反応するのを過大評価しているだけ。オウムや九官鳥のように「こんにちは」とちゃんと発音することはできない。なるほど。スズメだって、ちゃんと教え込めば発音できるそうで、鳥はすごいんだとか。そして、「求愛」のためにオスは「歌の練習」に励む。本能で全部歌えるのではなく、自分で他の鳥や自分の歌声を聞いて「練習」するんだそうだ。それができる。そして、人間が聞いても美しい歌声になっていく。「美意識」が共通しているらしい。もちろん美意識はメスも共有しているから、「求愛」になるわけである。ところが、なんとオスの中には、自分の歌声に聞きほれて求愛行動を全然起こさない鳥(ジュウシマツ)も出てくるんだという。「芸術の起源」ではないかというけど…。

 という話もすごく面白いんだけど、もっとすごい、一種衝撃なのが「ハダカデバネズミ」の話。エチオピアやケニアに住む「デバネズミ」科の「ハダカデバネズミ属」の齧歯(げっし)類。名前の由来は、まさに名のとおり、「ハダカ」(毛がない)で、「出っ歯」。地下に住んでいる動物で、10匹以上290匹以内の大規模な社会を構成して生きている。そして、一匹の「女王」がいて、その他大勢が女王を支えているという。この女王も歌う。なんでという感じだが、その歌声を対談で披露している。形をみれば、「キモカワイイ」「グロカワイイ」といった言葉は彼らのためにあったのかと思ってしまう。
 
 2枚目の写真は、ハダカデバネズミの子どもが生まれた時に、「働きネズミ」たちが「肉布団」になっている様子。この動物を通して、社会の起源を探り、それが宗教の話につながっていく壮大さ。それも面白いが、ハダカデバネズミを調べてみると、この変てこなやつら、ものすごく重要で不思議な動物である。ネズミ類では異常に長寿で、女王(繁殖ネズミ」では、なんと28年生きた例もあるという。「老化に対する耐性」があるらしい。ウィキペディアには、環境が厳しいときに代謝を低下させる能力があり、酸化を防いでいるとある。また「がんに対する耐性」もある。がんにならないのである。がん細胞を防ぐ遺伝子が働いているらしいというのだが、すごい可能性を秘めた動物である。

 ところで、原著は2011年4月に出版された。そこには(72頁)に、「フェルミのパラドックス」という話が出てきて、「言語を持ってしまうと滅びる」という説が紹介されている。「言語を持ってしまうと、やがては原子力を使えるようになって、いずれ滅びる」。そして、岡ノ谷氏は「すべてを知って滅びるか」「すべてを知ったうえでいったん文明を逆戻しする」と言っている。これは「3・11」を予言してしまったかのような言葉である。2月に対談がまとまり、4月に出た本だが、岡ノ谷氏はこの二つの選択肢しか作らなかったことを後悔したという。文庫本あとがきによれば、どちらもできない。「知ることを求め続けながら、消費エネルギーの少ない、こぢんまりした社会に戻っていく」ことが道であると書かれている。

 小鳥の話から人類史全体を展望する哲学的な深みを持つ。しかも、対談だから読みやすい。小説家と学者という組み合わせが相乗効果を挙げている。ものすごく面白くて役に立つ本。理科や社会だけでなく、国語、英語、体育などの教師も読んでみてほしい。音楽やダンスに関わる人にも。人間は誰でも、(多少のうまい下手はあるとしても)音に対してリズムを取って「踊る」ようなことができる。そのことの意味も考えさせられる。実に深い本だ。
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