尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

メーサーロシュ・マールタ監督の映画ーハンガリーの女性監督

2023年06月06日 23時26分32秒 |  〃 (世界の映画監督)
 メーサーロシュ・マールタ(Mészáros Márta 1931~)監督の特集上映が新宿シネマカリテで行われている。今回の上映があるまで、名前を知っていた人はほとんどいないだろう。ハンガリー女性監督で、世界三大映画祭で最高賞を獲得した最初の女性監督なのだという。1975年のベルリン映画祭で、『アダプション/ある母と娘の記録』が金熊賞を受賞したのである。しかし、今まで日本では一本も公開されず(映画祭上映のみ)、知る人も少なかった。今回5本上映されているが、そのうち4本を見たので紹介しておきたい。いずれも「女性の生き方」がテーマになっているが、映画以上に監督の実人生も非常に特別なものだった。

 メーサーロシュ・マールタは、1931年にブダペストで生まれた。父がコミュニストだったため、1936年にソ連のキルギスに移住したが、父はスターリンの粛清によって逮捕された(1945年に処刑)。(ハンガリーはナチスと同盟して第二次大戦に参戦した国家である。)母も1942年に死亡して孤児となり、ソ連在住のハンガリー人の養子となった。戦後ハンガリーに帰るが、結局モスクワに戻って全ロシア映画大学を1956年に卒業したのである。

 その後ハンガリーでドキュメンタリーを撮っていたが、1958年に後にハンガリー映画の巨匠となるヤンチョー・ミクローシュと結婚した。日本でも『密告の砦』(1965)が岩波ホールで公開され、その峻烈な映像美に驚いた記憶がある。ヤンチョーとの結婚によって、ハンガリー社会と映画界の知識を得たのだという。1968年に離婚したものの、その年に長編映画第1作を撮っている。彼の前妻の息子ヤンチョー・ニカは後にメーサーロシュの撮影監督をしていて、今回のプログラムにインタビューが掲載されている。
(メーサーロシュ・マールタ監督)
 以下、簡単に作品解説を。『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』(1970)は未見。『アダプション/ある母と娘の記録』は、43歳というカタが医者に自分はまだ子どもが産めるかと聞くシーンから始まる。彼女は未亡人で、同じ工場に働くヨーシュカと長い不倫関係にある。カタは彼に子どもを産みたいというが、公に出来ない関係だからダメだと言われる。妻子がいる家庭に同僚として連れて行かれ、妻から自分も働きたいと言われる。しかし、ヨーシュカは女は育児をして欲しいという。
(『アダプション』)
 そんなカタのところに、寄宿学校に通うアンナが部屋を貸して欲しいと頼んでくる。アンナは親にネグレクトされ、寮のある学校に送られている。交際相手が出来たものの結婚を認めて貰えない。そんな彼女に次第に同情していき、カタは学校まで出掛けていく。そして、次第に自分の子どもでなくても、養子を迎えることも出来ると思うようになっていく。女性にとっての「子どもを持つこと」の重大さ、ハンガリーの家父長制社会への批判、そして名付けようのない女同士の連帯関係…。モノクロの静かな映画で、ハンガリーでは非常に不評だったという。時代に先駆けたテーマだったのだろう。

 次の『ナイン・マンス』(1976)は実に面白い。ユリモノリ・リリ)は、農学を学びながら窯業の工場で働くことにした。すぐに上司のヤーノシュヤン・ノヴィツキ)が言い寄ってくるが、ユリは応じるような、時々避けるような態度を取る。実は前に未婚で生まれた子どもがいたのである。そのことを隠しているが、ヤーノシュは後を追ってきて知ってしまう。それでも諦めきれず、二人はズルズルと付き合い続けて、子どもが出来てしまう。しかし、前の子どものことを彼の家族になかなか言えない。
(『ナイン・マンス』)
 この映画は『アダプション』と同様に、「女性、子ども、仕事」をテーマにしている。しかし、抒情的な音楽で判るように芸術映画というよりもメロドラマ的に作られている。それが「社会主義」時代のハンガリーで女性監督が生きていく道だったのかもしれない。1977年のカンヌ映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞している。この映画に出演したポーランドの俳優ヤン・ノヴィツキとはその後生涯のパートナーとなった。またユリ役のモノリ・リリは以下の2作にも出ていて、メーサーロシュ映画のミューズとなった。出演依頼を受けたときに実際に懐妊していて、ラストでは現実の出産シーンが出て来るという驚くべき映画。

 『マリとユリ』(1977)は、縫製工場の寮で責任者を務めるマリマリナ・ヴロディ)、工場に戻ってきたが寮に子どもを連れ込むユリモノリ・リリ)の二人の関係を描いている。子どもを連れてくるのは違反だが、ユリの夫はアルコール中毒で暴力を振るうため、マリは自分の部屋にユリと子どもを引き取る。マリの夫は、彼女が寮に住み込んで働くことを良く思ってない。自分の結婚もうまく行ってないので、ユリにも強い同情を持ってしまうのである。
(『マリとユリ』)
 フランスの大女優マリナ・ヴロディを起用して、再び「名付けようのない女同士の連帯」を扱っている。お互いにどういう関係なのか、自分たちでも判らないながら、相手を見捨てられない。ユリの夫はヤン・ノヴィツキが演じていて、前作の言い寄る上司と全く違うアル中男のメチャクチャぶりを好演している。「マリ」「ユリ」だの、まるで日本みたいな女性名だなあと思うが、ハンガリーは姓が先、名が後という名前を見ても東洋風の名残がある。

 『ふたりの女、ひとつの宿命』(1980)は珍しく、第二次大戦前夜を描く歴史映画。モノリ・リリは今度は豪邸に住む大富豪の娘スィルビアである。軍人の夫アーコシュヤン・ノヴィツキがやっている。二人は愛し合っていて何も問題ないように思うと、実は彼女は不妊症で子どもが出来ない。それを父親には言えず、父は莫大な遺産を彼女の子どもに残すと遺言して亡くなってしまった。そこでスィルビアはお菓子屋で知り合った若い友人イレーヌイザベル・ユペール)に、夫の子どもを産んで貰って自分の子としようと画策するのだが…。
(『ふたりの女、ひとつの宿命』)
 ここに、イレーヌがユダヤ人であり、ハンガリーがナチスの同盟国だったという歴史が絡んでくる。それを別として、やはりこの映画でも「女性と子ども」、そして「二人の女」というテーマを扱っている。ただし、時代も主人公の経済力も、今まで描いていたハンガリーの現実と離れている。そのためちょっとテーマ性が見えにくいが、若きイザベル・ユペールの魅力が素晴らしい。もうすでにカンヌ映画祭女優賞などを受賞し、世界的に活躍していた。

 この4作はハンガリーが未だ「社会主義」だった時代の映画で、主人公が工場労働者だったりするのもそれが理由だろう。あまり国内受けはしなかったというが、女性監督のテーマとして認められたということだと思う。ただ先に書いたように、ドキュメンタリー映画出身らしくリアリズムで描きながらも、展開や描写にメロドラマ的な作りが見られる。思ったように作れなかった時代なのかもしれない。ハンガリーの巨匠コーシャ・フェレンツは80年以前の彼女の作品は認めないと言ったらしい。彼女の真の代表作は自己の人生をモデルにした「日記4部作」というものらしい。それらが公開されることも望みたい。
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