尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「風が踊る」と「坊やの人形」ーホウ・シャオシェンの映画①

2021年05月19日 22時46分17秒 |  〃 (世界の映画監督)
 先に「ホウ・シャオシェン監督、「乾杯」を熱唱すーオリヴィエ・アサイヤス「HHH」を見る」で書いたように、新宿のケイズシネマという84席しかないミニシアターで台湾映画祭が開かれている。ここでは最近よく台湾映画特集が行われているが、今年は「侯孝賢監督デビュー40周年記念」と銘打って、ホウ・シャオシェン監督関連映画を12本上映した。そのうち8本を見たので感想を書いておきたい。(朝10時上映から一本の上映が6月11日まで続く。最高傑作「悲情城市」を見直すつもりだったが、あっという間に満席になってしまい今回はパスすることにした。)
(ホウ・シャオシェン監督、「黒衣の刺客」のころ)
 ホウ・シャオシェン(侯孝賢、1947~)は広東省で生まれて1歳の時に台湾に来た。客家(ハッカ)系外省人になる。「外省人」とは大陸に本籍がある住民で、台湾に籍がある人は「本省人」と呼ばれる。1949年に革命に敗れた蒋介石の国民政府が台湾に逃れ、1987年まで戒厳令が敷かれていた。その間、外省人と本省人は長く政治的、文化的、言語的な対立関係にあった。

 ホウ・シャオシェンエドワード・ヤンら台湾ニューシネマの監督たちは、戒厳令下で教育を受け映画界に入ったのである。僕はその辺りの政治的事情は大体は知っていたが、ホウ・シャオシェンの映画を見始めた頃はどうも難解な感じも受けた。表現方法も革新的だったが、台湾事情に詳しくないとニュアンスが伝わりにくい部分もある。例えば僕は中国語か韓国語かは聞き分けられるが、中国語と言っても北京語台湾語かは判らない。オムニバス映画「坊やの人形」の一編「りんごの味」では米軍に勤める台湾人通訳が台湾語を理解出来ない様子が描かれている。

 ホウ・シャオシェンは特に芸術に縁がある青春ではなかったらしい。大学受験に失敗し高雄でグレていたが、徴兵されて兵役を務めた。軍隊で映画の面白さに目覚めて、除隊後に国立芸術専科学院に入った。その後、何とか映画界に参加出来るようになって、1980年には監督に昇進した。それが初期三部作の「ステキな彼女」(1980)、「風が踊る」(1981)、「川の流れに草は青々」(1982)で、「川の流れ…」以外の2本は日本では正式公開はされなかった。映画祭では上映されたと思うが、「風は踊る」は今回が劇場初公開である。
(「風は踊る」)
 この3作はいずれも香港の人気歌手ケニー・ビーが主演する「青春歌謡映画」である。最初の2作には、台湾のアイドル歌手フォン・フェイフェイも出ている。第1作「ステキな彼女」が大ヒットして、翌年に「風は踊る」が作られたという。話はご都合主義そのものだが、テーマは「自由恋愛」である。戒厳令下でありながらも経済成長が進んで生活が向上している様子が興味深い。

 CM製作チームが澎湖(ほうこ)諸島に行くと盲目のギター弾きがいる。(CMの女性ディレクターがフォン・フェイフェイ、盲人がケニー・ビー。)島民かと思うと、台北で再会して手を引いて助ける。実はその人は医者で、病気で一時的に目が見えなくなっている。しかし、それは手術で治る病気だった。彼女は弟に代わって故郷で代理教師をすることになったが、手術が成功した彼がやってきてプロポーズする。実は他に仲良くしている人がいたり、郷里の学校事情などを交えながら、軽快に映画は進行する。離島の障害者と思ったら、カッコいい都会の医者に変身するから都合のいい話である。郷里の鹿谷(台湾中部)の田園風景が興味深い。
(「坊やの人形」)
 「坊やの人形」(1983)は翌年に作られた「光陰的故事」と並び台湾ニューシネマの始まりとされる。どっちもオムニバス映画で、3作の短編で構成されている。ホウ・シャオシェン以外は皆新人で、5人の監督を送り出すためにオムニバスにしたという。国民党が関わる中央電影の製作だが、蒋介石の没(1975年)以後、1978年に蒋経国が総統になり少しずつ社会が変化していた。ホウ・シャオシェンはすでに監督だったが、新世代のリーダー的存在として登用されたのだろう。

 「坊やの人形」の3作は、黄春明(ホワン・チュンミン)の短編が原作になっている。黃春明は「さよなら・再見」が当時日本でも話題になっていた。この映画は日本でも1984年に公開された。その時見ているが、「坊やの人形」の時点でホウ・シャオシェンには注目しなかった。ホウ監督の「坊やの人形」、ゾン・ジュアンシャン「シャオチーの帽子」、ワン・レン「りんごの味」の三作からなるが、ホウ作品は何だか一番センチメンタルだ。他の2作の方が面白かったというのが実感だった。今回見ても同じような感想で、その後の乾いたタッチとの違いがむしろ興味深い。
(「坊やの人形」台湾版ポスター)
 今見ると、「鉄道ファン」としての原点のような作品かもしれない。主人公は映画館の宣伝マン、具体的に言えば日本の雑誌にある写真を見て、自分でサンドイッチマンを志願した男である。妻と幼い子がいるが、毎日化粧してピエロになって映画の看板を背負ってわずかな給金を得ている。主人公はほぼ駅前に立っているという役である。これが竹崎駅となっている。嘉義から出ている阿里山森林鉄路の駅なのである。当時の鉄道風景がいっぱい出ているのが貴重だ。やがて車で宣伝出来るようになるが、そうなると坊やが化粧してない主人公を父と認識できない。そんな貧乏暮らしを描いている。

 なお、「シャオチーの帽子」は日本製の圧力鍋をセールスするため南部に赴いた二人の男を描く。この圧力釜がラストで悲劇を呼ぶが、当時我が家で圧力鍋を使っていたので、この作品が一番思い出に残っている。別に圧力鍋が悪いわけじゃないと思うけど。「りんごの味」は台湾駐留の米軍人が貧しい屋台引きをはねてしまう。子だくさんの一家はどうしてくれると狂乱するが、米軍人が金を渡すと彼ら家族にはあまりの巨額なので驚き喜ぶ。米軍病院の豪華さに子どもたちは浮かれ騒ぎ、見舞いにもらったりんごを初めて味わう。非常に興味深い作品。
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