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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「注目すべき人々との出会い」、久々の上映を見て

2022年09月21日 23時07分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 2022年7月2日に亡くなったピーター・ブルックの追悼文(「ピーター・ブルックの逝去を悼むーイギリスの演出家、映画監督」)で、僕は以下のように書いた。「僕がまた見てみたいブルックの映画がある。それがグルジェフの原作をもとにした『注目すべき人々との出会い』(1979)という映画である。」ところが、新宿のケイズシネマで行われている「奇想天外映画祭」のプログラムにこの映画が入っているではないか。6回しか上映がないので、早速今日見に行ってきた。
(『注目すべき人々との出会い』当時のチラシ)
 『注目すべき人々との出会い』(Meetings with Remarkable Men)は、1979年に製作、1982年7月日本公開。全編英語なので、今見ると違和感を感じてしまう。思想家グルジェフ(1866~1949)の自伝的著述の映画化である。グルジェフはギリシャ系の父とアルメニア系の母との間に、現在のアルメニア(当時はロシア帝国領)に生まれた。冒頭で少年グルジェフらが谷間の円形劇場に集まっている。ペルシャやコーカサスからやって来た楽人たちがが、20年に1度、谷間の岩にヴァイブレーションを与え、こだまさせた者が勝者となる競争が始まったのである。もっとも説明がなく、今調べて、そうだったのかと判った。
 
 学校時代の「決闘騒ぎ」などを経て、人生の意義とは何かと問う少年グルジェフは、やがて「自分探し」の旅に出る。紀元前2500年に起源を朔る秘密教団、サルムングの記述を見つけ、そこに真実があるのではないかと考える。やがて教団を知る導師がエジプトにいると知り、船で働きながらエジプトまで出掛ける。そこで同じく人生の悩みを抱える旧知のルボヴェドスキー公爵(テレンス・スタンプ)と出会う。しかし、導師と公爵は彼を置いて、ブハラ(ウズベキスタン)に行ってしまった。グルジェフはゴビ砂漠を探検して幻の都を探す一団に参加するが、大きな砂嵐に巻き込まれて、全てを失ってしまう。
(ピーター・ブルック)
 やがてブハラにたどり着いた彼は、そこで再び教団を探し始める。導師の居場所を見つけ、どうにか秘密の場所を教えて貰えることになる。秘密を誓ってから目隠しをして馬に乗って、危険な山道を行く。ようやく着いたと思うと、谷間に掛かる恐ろしい橋を何とか渡りきる。その先を行くと、彼方に壮麗な城郭が見えてくるのだった。そこへ行くと、別れたきりのルボヴェドスキー公爵がいて、舞踏に明け暮れる教団の様子を案内してくれる。この「神聖舞踏」を目の当たりにして、彼の精神的彷徨が終わるのだった。
(神聖舞踏を行う人々)
 70年代、80年代には「精神世界」への関心が高かった。「気流の鳴る音」で紹介したドン・ファンシリーズなども、そういう中で広く読まれた。グルジェフもそういう流れで注目されたが、今回見るとラストの舞踏が余り面白くない。「舞踏」に大きな意味を見出すのは判る気がするが、シュタイナーの「オイリュトミー」の方が見ていて美しい。性別に分かれて舞踏していて、男の方の踊りはどうも変な気がする。そんなところも、今ではグルジェフが知られなくなった理由かもしれない。ブルックは『グルジェフ-神聖舞踏』(1984)というドキュメンタリーも作っているので、そっちも見てみたい。

 この映画は舞踏シーンはイギリスで撮影された以外は、アフガニスタンでロケされたと出ている。(今の情報は英語版ウィキペディアだが、エジプトのシーンはどうなんだろう。ピラミッドが見えているが。)谷間や砂嵐など、なるほどという感じである。アフガニスタンは、1979年12月にソ連が侵攻し、長い内戦が始まる。それ以前もゴタゴタしていたが、外国ロケを受け入れる余地はあったのだろう。ソ連、タリバン、アメリカ、タリバンともう外国映画がロケできる国ではなくなってしまった。その意味でも重要な映画かもしれない。デジタル版ではなく、公開時のフィルムだと思う。
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