真木悠介『気流の鳴る音』を読むと、カルロス・カスタネダが呪術の指導を受けたドン・ファンという人物が非常に印象的である。カスタネダの本はアメリカでも大きな評判になって、「ドン・ファン」を探し出そうとした人はたくさんいたようである。しかし、誰一人として見つけ出すことが出来ず、その結果「ドン・ファン非実在説」まで登場した。そのように主張した本も書かれ、邦訳も出ている。この問題をどう考えるべきだろうか。そこで大変参考になるのが、宗教学者の島田裕巳氏による『カルロス・カスタネダ』という本である。2002年にちくま学術文庫から書下ろしで出版された。今は品切れだが、電子書籍で読めるようである。買ったまま読んでなかったが、今回読んで教えられることが多かった。(だけど500頁以上あって長い。)
(島田裕巳『カルロス・カスタネダ』)
島田氏はドン・ファン実在説に立っているが、後で書くがその主張は納得的だと思う。それより、この本には驚くことがいっぱいあった。まず『気流の鳴る音』(1977)では、当然ながらそれまでに出版された4冊の本が分析対象になっている。(最初の3冊は翻訳があったが、4冊目は英語の原書で検討。)ところで、カスタネダはその後も本を書き続け、ドン・ファンによる修行の様子を書き続けた。中には同じ話も出てくるるようだけど、とにかく全部で11冊の本を遺して、1998年に亡くなった。それをまとめてみると、最初の4冊は「ドン・ファン顕教」にあたり、実はその後に「ドン・ファン密教」が書かれたというのである。
「顕教」(けんきょう)と「密教」(みっきょう)というのは、もともと仏教用語で「釈迦が聞く人の能力に応じて、分かりやすい言葉で説いた教え」が顕教で、それに対し大乗仏教成立後の「真理そのものの現れとしての大日如来の究極の教え」を密教と呼んだ。転じて、一般向けに説かれるタテマエ的主張を「顕教」、組織内部で運用されているホンネ的な言行を「密教」と呼んだりする。例えば、大日本帝国では国民に「天皇機関説」を禁止したが、支配層内部では「天皇機関説」が通用していたなどと使われる。久野収、鶴見俊輔氏らが使用して、現在では政治史・思想史用語としてよく使われている。
そうすると『気流の鳴る音』では判りやすく説かれた部分のみを分析対象にしたことになるのだろうか。ドン・ファンはカスタネダに様々な「罠」を仕掛けるが、実はそれにも意図があった。そもそもドン・ファンは「ファン・マトゥス」だと後の本で明かされた。もっともそれが本名とも限らず、カチョーラ・ギッティメアともされる。時にはカスタネダのもとにスーツ姿で現れたこともあり、何を仕事にしているのかも不明である。もう一人の「ドン・ヘナロ」に関しては、ヘナロ・フロレスという軽業師だと明かされる。カスタネダに対して「頭で座る」印象的なシーンがあったが、要するに職業的な軽業師だったのである。
(島田裕巳氏)
この本の序章では著者の島田裕巳氏がいかにして宗教学者になったかを語っている。東大で柳川啓一教授の講義を聞いたことがきっかけだが、山岸会を対象として研究したりした。また雑誌「展望」のアナーキズム特集で鶴見俊輔「方法としてのアナーキズム」を読んだ。この論文にカスタネダの本が紹介されていたのだという。若い頃から関心を持って読んできたカスタネダについてまとめたのがこの本である。島田氏の自分史的な話は面白いんだけど、ここでは省略することにする。
まず第一章で「ドン・ファンは実在するのか」が追求されている。それにはまず著者のカルロス・カスタネダ(Carlos Castaneda)とは何者かという検討がいる。ウィキペディアを見ると、生年が「1925/31?年」となっている。生まれた年も確定されていない。これは「履歴を消す」というドン・ファンの修行の一つかもしれないが、それ以上に「自分を若く見せたい」というカスタネダ本人の意図もあるらしい。そもそもアメリカ生まれではなく、ブラジルの大学教授の家に生まれたというが、本当のところは1925年にペルーの貧困家庭に生まれたのが正しいらしい。家族を取材した記録が出ているから確かだろう。
(カスタネダ)
成功を求めてアメリカに来たが、最初は美術を学んでいたのである。その後、UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス分校)で人類学を学ぶようになったが、ドン・ファンに弟子入りした時点で35歳を越えていた。つい若い人類学の学生を思い浮かべて読んでいたが、もう30代半ばだったのである。さらに風采も上がらず身長も高くなかったので、後にドン・ファンシリーズがベストセラーになって、講演会などが開かれるようになると、聴衆にガッカリされたり偽物視されたりしたという。それでも人類学の研究としてドン・ファンを取り上げて学位を得ている。
(カスタネダの若い頃)
カスタネダは掲載のように本人の写真がインターネット上に出ているし、もちろん実在人物である。しかし、カスタネダの本に出てくる人物の大部分は実在が確認されていない。ではドン・ファンは架空の存在なのか。シリーズは創作だという説もあるが、そうするとカスタネダは非常に想像力の豊かなファンタジー作家だということになる。何の裏付け的体験もなく、これだけのシリーズを書けるだろうか。また大学に提出した論文でもあるわけで、完全な創作に学位を授与したら大問題である。
さらにカスタネダは実は呪術師として修行を積むことで、ドン・ファンの後継者にもなっている。後期の著書に出て来るが、ドン・ファンには他にも弟子がいて、一部の女性の弟子はカスタネダが束ねるようになったという。カスタネダ没後はホームページを作成して有料のワークショップを開いたという。そうなると、名前はともかく「ドン・ファン教団」のようなものがあって、「指導者としてのドン・ファン」がいたことは確かだと考えるべきだろう。このように「ドン・ファン実在説」はリクツ的には納得出来るものだと思う。しかし、問題はその「教団」とはどのようなものかである。
本当に実在するならば、誰かが接触出来たのではないかとも思うだろう。そこで「わざと隠れている」ということになる。ドン・ファンの教えはヤキ族に伝わる伝統的な呪術世界だと僕は若い頃に受けとめた。しかし、必ずしもそうではなく、ドン・ファン以外にもいくつかの呪術師グループがあって、敵対しているようでもある。ドン・ファンの実人生も後期の著作で触れられているという。幼いときに両親がメキシコ軍に殺され、苦労したという。様々な仕事を転々とする中で、呪術師の先導者に見込まれたらしい。そもそもカスタネダに会ったのはアリゾナ州だが、メキシコに会いに行ったりもしている。メキシコでまずいことがあって、アメリカに避難していたときにカスタネダに会ったようだ。
そこですぐに修行を授けたのではない。カスタネダは論文を書く材料が欲しくて接触したわけだが、ドン・ファンは来た者に対し「どれほどの人物なのか」を見極めている。スクリーニングせずに希望者全員に幻覚植物を使うわけにはいかないだろう。そこでの結果を見て、カスタネダには呪術師としての資質をがあると見て、延々と「密教修行」が始まったと思われる。そして、一種の後継者とみなされ、女性の弟子の何人かはカスタネダと行動するようになる。しかし、全員ではないようだ。そして密教修行は神秘体験が多く、それをどう理解するべきか僕にはよく判らない。
60年代末期のアメリカでは、ヴェトナム戦争への反戦運動が盛んになって、その中でカスタネダの本もベストセラーになった。「薬物との付き合い方」や「正気を保って生きる方法」などが出ていたからだろう。しかし、それはドン・ファンの表層で、もっと奥深い神秘思想があった。それは圧倒的なヨーロッパ人の侵略の中で、自分たちの世界を守っていくためのアメリカ先住民の知恵の結晶だった。だが「自分たちの姿を消す」ことも教えの一部で、だからはっきり見えない部分があるのだと思う。新たに読み返してみると、僕はドン・ファンの教えは、道教の「タオ」、インドの「ヨガ」、そして禅や密教の修行などと共通性が多いように思う。カスタネダとドン・ファンのやり取りは、ほとんど「禅問答」になっている。

島田氏はドン・ファン実在説に立っているが、後で書くがその主張は納得的だと思う。それより、この本には驚くことがいっぱいあった。まず『気流の鳴る音』(1977)では、当然ながらそれまでに出版された4冊の本が分析対象になっている。(最初の3冊は翻訳があったが、4冊目は英語の原書で検討。)ところで、カスタネダはその後も本を書き続け、ドン・ファンによる修行の様子を書き続けた。中には同じ話も出てくるるようだけど、とにかく全部で11冊の本を遺して、1998年に亡くなった。それをまとめてみると、最初の4冊は「ドン・ファン顕教」にあたり、実はその後に「ドン・ファン密教」が書かれたというのである。
「顕教」(けんきょう)と「密教」(みっきょう)というのは、もともと仏教用語で「釈迦が聞く人の能力に応じて、分かりやすい言葉で説いた教え」が顕教で、それに対し大乗仏教成立後の「真理そのものの現れとしての大日如来の究極の教え」を密教と呼んだ。転じて、一般向けに説かれるタテマエ的主張を「顕教」、組織内部で運用されているホンネ的な言行を「密教」と呼んだりする。例えば、大日本帝国では国民に「天皇機関説」を禁止したが、支配層内部では「天皇機関説」が通用していたなどと使われる。久野収、鶴見俊輔氏らが使用して、現在では政治史・思想史用語としてよく使われている。
そうすると『気流の鳴る音』では判りやすく説かれた部分のみを分析対象にしたことになるのだろうか。ドン・ファンはカスタネダに様々な「罠」を仕掛けるが、実はそれにも意図があった。そもそもドン・ファンは「ファン・マトゥス」だと後の本で明かされた。もっともそれが本名とも限らず、カチョーラ・ギッティメアともされる。時にはカスタネダのもとにスーツ姿で現れたこともあり、何を仕事にしているのかも不明である。もう一人の「ドン・ヘナロ」に関しては、ヘナロ・フロレスという軽業師だと明かされる。カスタネダに対して「頭で座る」印象的なシーンがあったが、要するに職業的な軽業師だったのである。

この本の序章では著者の島田裕巳氏がいかにして宗教学者になったかを語っている。東大で柳川啓一教授の講義を聞いたことがきっかけだが、山岸会を対象として研究したりした。また雑誌「展望」のアナーキズム特集で鶴見俊輔「方法としてのアナーキズム」を読んだ。この論文にカスタネダの本が紹介されていたのだという。若い頃から関心を持って読んできたカスタネダについてまとめたのがこの本である。島田氏の自分史的な話は面白いんだけど、ここでは省略することにする。
まず第一章で「ドン・ファンは実在するのか」が追求されている。それにはまず著者のカルロス・カスタネダ(Carlos Castaneda)とは何者かという検討がいる。ウィキペディアを見ると、生年が「1925/31?年」となっている。生まれた年も確定されていない。これは「履歴を消す」というドン・ファンの修行の一つかもしれないが、それ以上に「自分を若く見せたい」というカスタネダ本人の意図もあるらしい。そもそもアメリカ生まれではなく、ブラジルの大学教授の家に生まれたというが、本当のところは1925年にペルーの貧困家庭に生まれたのが正しいらしい。家族を取材した記録が出ているから確かだろう。

成功を求めてアメリカに来たが、最初は美術を学んでいたのである。その後、UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス分校)で人類学を学ぶようになったが、ドン・ファンに弟子入りした時点で35歳を越えていた。つい若い人類学の学生を思い浮かべて読んでいたが、もう30代半ばだったのである。さらに風采も上がらず身長も高くなかったので、後にドン・ファンシリーズがベストセラーになって、講演会などが開かれるようになると、聴衆にガッカリされたり偽物視されたりしたという。それでも人類学の研究としてドン・ファンを取り上げて学位を得ている。

カスタネダは掲載のように本人の写真がインターネット上に出ているし、もちろん実在人物である。しかし、カスタネダの本に出てくる人物の大部分は実在が確認されていない。ではドン・ファンは架空の存在なのか。シリーズは創作だという説もあるが、そうするとカスタネダは非常に想像力の豊かなファンタジー作家だということになる。何の裏付け的体験もなく、これだけのシリーズを書けるだろうか。また大学に提出した論文でもあるわけで、完全な創作に学位を授与したら大問題である。
さらにカスタネダは実は呪術師として修行を積むことで、ドン・ファンの後継者にもなっている。後期の著書に出て来るが、ドン・ファンには他にも弟子がいて、一部の女性の弟子はカスタネダが束ねるようになったという。カスタネダ没後はホームページを作成して有料のワークショップを開いたという。そうなると、名前はともかく「ドン・ファン教団」のようなものがあって、「指導者としてのドン・ファン」がいたことは確かだと考えるべきだろう。このように「ドン・ファン実在説」はリクツ的には納得出来るものだと思う。しかし、問題はその「教団」とはどのようなものかである。
本当に実在するならば、誰かが接触出来たのではないかとも思うだろう。そこで「わざと隠れている」ということになる。ドン・ファンの教えはヤキ族に伝わる伝統的な呪術世界だと僕は若い頃に受けとめた。しかし、必ずしもそうではなく、ドン・ファン以外にもいくつかの呪術師グループがあって、敵対しているようでもある。ドン・ファンの実人生も後期の著作で触れられているという。幼いときに両親がメキシコ軍に殺され、苦労したという。様々な仕事を転々とする中で、呪術師の先導者に見込まれたらしい。そもそもカスタネダに会ったのはアリゾナ州だが、メキシコに会いに行ったりもしている。メキシコでまずいことがあって、アメリカに避難していたときにカスタネダに会ったようだ。
そこですぐに修行を授けたのではない。カスタネダは論文を書く材料が欲しくて接触したわけだが、ドン・ファンは来た者に対し「どれほどの人物なのか」を見極めている。スクリーニングせずに希望者全員に幻覚植物を使うわけにはいかないだろう。そこでの結果を見て、カスタネダには呪術師としての資質をがあると見て、延々と「密教修行」が始まったと思われる。そして、一種の後継者とみなされ、女性の弟子の何人かはカスタネダと行動するようになる。しかし、全員ではないようだ。そして密教修行は神秘体験が多く、それをどう理解するべきか僕にはよく判らない。
60年代末期のアメリカでは、ヴェトナム戦争への反戦運動が盛んになって、その中でカスタネダの本もベストセラーになった。「薬物との付き合い方」や「正気を保って生きる方法」などが出ていたからだろう。しかし、それはドン・ファンの表層で、もっと奥深い神秘思想があった。それは圧倒的なヨーロッパ人の侵略の中で、自分たちの世界を守っていくためのアメリカ先住民の知恵の結晶だった。だが「自分たちの姿を消す」ことも教えの一部で、だからはっきり見えない部分があるのだと思う。新たに読み返してみると、僕はドン・ファンの教えは、道教の「タオ」、インドの「ヨガ」、そして禅や密教の修行などと共通性が多いように思う。カスタネダとドン・ファンのやり取りは、ほとんど「禅問答」になっている。