アレハンドロ・ホドロフスキーという83歳になる伝説的な映画監督の23年ぶりの新作、「リアリティのダンス」は、驚くべき映像力で見る者の心をつかんで離さない傑作だった。大画面で是非見て欲しい映像美だ。ホドロフスキーは、1970年に公開された「エル・トポ」というカウンターカルチャーを代表する映画を作った監督である。当時のキネマ旬報に金坂健二が紹介していたが、まさか日本で公開されるとは思っていなかった。1973年の「ホーリー・マウンテン」、1989年の「サンタ・サングレ 聖なる血」も公開されたが、題名から感じられるように、ヒッピー文化、精神世界などを背景にしていて、僕も面白く見た。しかし、その時点でホドロフスキーという人にはほとんど関心がなかった。
アレハンドロ・ホドロフスキー(ALEJANDRO JODOROWSKY 1929.2.17~)はチリ北部の港町トロピージャで生まれ、その後首都サンチャゴに移り、大学時代に「天井桟敷の人々」に感動、パントマイムに熱中して大学を中退。フランスに渡ってマルセル・マルソーと出会い、55年のマルソー来日公演に一緒に来ていたという。60年代に劇作家アラバールと知り合い、メキシコでアラバール原作の長編映画を監督した。こうした来歴があって、ようやく「エル・トポ」の大ヒットになる。その後「DUNE」の映画化がとん挫して、映画界からは遠ざかり気味になる。その間何をしていたかというと、コミックの原作者として一番活躍していたようで、日本で翻訳されたコミックもけっこうある。知らないことは多い。
映画はそのホドロフスキーの自伝的な要素が大きく、実際に前半は生まれた町のトロピージャで撮影されている。と言っても、それは後からパンフなどで判ることで、見ているときはよく判らない。トロピージャは学校で使う世界地図にも載っている。チリ最北ではないが、もう国境にごく近い所にある小さな港町。映画は世界大恐慌の時代という設定で、経済的に苦しい時代だが、今も貧しいままで、ほとんど昔のまま変わっていなかったと監督は語っている。大きな青い空、海と鉱山と砂漠と貧しい人々が作る幻想の中のような町である。最初にサーカスの場面が出てくるが、一種フェリーニや寺山修司などのムードで始まり期待させる。が、幻想の質はどんどん過激になり、過酷な歴史に翻弄される一家の運命が華麗なる映像で展開されていくのである。
一家はウクライナ系ユダヤ人(パンフにロシア系とあるけど、店名を見ればウクライナとある。ロシアとウクライナは違うと、今では新聞に毎日出ている。)で、父は強権主義的な共産主義者で、スターリンの写真を飾っている。母はオペラ歌手になりたかったということで、映画ではすべてのセリフをオペラ風に歌う。これだけで「並のリアリズム映画ではない」ことがよく判るが、そういう境遇に育つアレハンドロは学校では少数派としていじめられる。靴磨きの少年と赤い靴を交換するエピソード、両手をなくした労働者、空から降ってくる魚、スラムの火事、ペストの患者たちへ水を運び感染した父を放尿で治した母…等の、奇抜で、もの悲しく、原色が印象的な驚くような映像喚起力に魅了される。
その後、父は独裁者イバニェス大統領を暗殺しようとサンチャゴに向かい、おかしな犬の品評会で友人を助けるつもりで大統領を救う。その結果、大統領の馬の飼育係になることに成功する。その白馬が圧倒的に素晴らしく、忘れられない映像が続く。奇妙な先輩の飼育係、大統領暗殺の失敗、記憶喪失、椅子作りの聖人、警察の拷問など息つくヒマもない展開に圧倒されながら、ただ映像美に釘づけになるしかない。この父は監督の長男が演じている。他にも子どもや妻など一家総動員で作られていて、最後に家族のもとに集うところが感動的である。
過酷な現代史を背景に、映像イメージの連鎖で家族の歴史をたどり直すような映画で、好き嫌いはあるかもしれないが、映画ファンには見逃せない。僕は圧倒される思いがした。これがホドロフスキーが本当に作りたかった映画なのかと思う。「リアリティのダンス」という題名については次のように語っている。
「もしあなたが意識的になれば、常に瞬間瞬間で、世界は、人生は変わっていることが分かる。ダンスをしていることが分かります。あなたも周りも全てダンスをしているのです。花が開く瞬間も死ぬ瞬間も、退化していくのも、昼が来て夜が来るのもダンスだと思うのです。ですから「リアリティのダンス」というタイトルをつけました。」
アレハンドロ・ホドロフスキー(ALEJANDRO JODOROWSKY 1929.2.17~)はチリ北部の港町トロピージャで生まれ、その後首都サンチャゴに移り、大学時代に「天井桟敷の人々」に感動、パントマイムに熱中して大学を中退。フランスに渡ってマルセル・マルソーと出会い、55年のマルソー来日公演に一緒に来ていたという。60年代に劇作家アラバールと知り合い、メキシコでアラバール原作の長編映画を監督した。こうした来歴があって、ようやく「エル・トポ」の大ヒットになる。その後「DUNE」の映画化がとん挫して、映画界からは遠ざかり気味になる。その間何をしていたかというと、コミックの原作者として一番活躍していたようで、日本で翻訳されたコミックもけっこうある。知らないことは多い。
映画はそのホドロフスキーの自伝的な要素が大きく、実際に前半は生まれた町のトロピージャで撮影されている。と言っても、それは後からパンフなどで判ることで、見ているときはよく判らない。トロピージャは学校で使う世界地図にも載っている。チリ最北ではないが、もう国境にごく近い所にある小さな港町。映画は世界大恐慌の時代という設定で、経済的に苦しい時代だが、今も貧しいままで、ほとんど昔のまま変わっていなかったと監督は語っている。大きな青い空、海と鉱山と砂漠と貧しい人々が作る幻想の中のような町である。最初にサーカスの場面が出てくるが、一種フェリーニや寺山修司などのムードで始まり期待させる。が、幻想の質はどんどん過激になり、過酷な歴史に翻弄される一家の運命が華麗なる映像で展開されていくのである。
一家はウクライナ系ユダヤ人(パンフにロシア系とあるけど、店名を見ればウクライナとある。ロシアとウクライナは違うと、今では新聞に毎日出ている。)で、父は強権主義的な共産主義者で、スターリンの写真を飾っている。母はオペラ歌手になりたかったということで、映画ではすべてのセリフをオペラ風に歌う。これだけで「並のリアリズム映画ではない」ことがよく判るが、そういう境遇に育つアレハンドロは学校では少数派としていじめられる。靴磨きの少年と赤い靴を交換するエピソード、両手をなくした労働者、空から降ってくる魚、スラムの火事、ペストの患者たちへ水を運び感染した父を放尿で治した母…等の、奇抜で、もの悲しく、原色が印象的な驚くような映像喚起力に魅了される。
その後、父は独裁者イバニェス大統領を暗殺しようとサンチャゴに向かい、おかしな犬の品評会で友人を助けるつもりで大統領を救う。その結果、大統領の馬の飼育係になることに成功する。その白馬が圧倒的に素晴らしく、忘れられない映像が続く。奇妙な先輩の飼育係、大統領暗殺の失敗、記憶喪失、椅子作りの聖人、警察の拷問など息つくヒマもない展開に圧倒されながら、ただ映像美に釘づけになるしかない。この父は監督の長男が演じている。他にも子どもや妻など一家総動員で作られていて、最後に家族のもとに集うところが感動的である。
過酷な現代史を背景に、映像イメージの連鎖で家族の歴史をたどり直すような映画で、好き嫌いはあるかもしれないが、映画ファンには見逃せない。僕は圧倒される思いがした。これがホドロフスキーが本当に作りたかった映画なのかと思う。「リアリティのダンス」という題名については次のように語っている。
「もしあなたが意識的になれば、常に瞬間瞬間で、世界は、人生は変わっていることが分かる。ダンスをしていることが分かります。あなたも周りも全てダンスをしているのです。花が開く瞬間も死ぬ瞬間も、退化していくのも、昼が来て夜が来るのもダンスだと思うのです。ですから「リアリティのダンス」というタイトルをつけました。」
ヴィム・ヴェンダース監督の3D でのドキュメント(Pina )もダンサーのピナ・バウシュ女史の死であやうく未完になりそうだったが、何とか公開に至ったというから未完性的な要素は濃厚だったかも知れない!興業ではピナへの追悼という要素で乗り切った面はあるが、圧倒的にいい音楽のヒットもあって満席に近いロードショー上映で観ることができた。アラン・レネの遺作も、映画の可能性を求めた姿勢があるから、作品の未完性的な要素も魅力があったと思う。印象派の絵画の未完性さが、絵画作品の革新と切り離せないようにー。