黒田長政と二十四騎展 3

2008-08-20 11:04:06 | Weblog
先日の読売新聞に黒田長政と二十四騎展の広告記事が載っていた。関が原の合戦の功績により徳川家康から所領を与えられた大名の中で260年もの間の江戸時代を通じて多くの藩が転封や改易、取り潰しになったが筑前黒田藩は安泰であった。それは関が原の天下分け目の合戦で黒田長政の武功が勲一等のものであったことによる。朝鮮の役で石田三成の讒言により危うく切腹させられそうになった父如水のこともあり三成憎しの状況から秀吉子飼いの武将達、加藤清正や福島正則、山之内一豊といった有力大名を徳川側に付け、関が原では当初戦局押され気味のところ長政の周旋により小早川秀秋を見方に取り込んだことが東軍の大逆転につながった。合戦後、家康は本陣に於いて並み居る武将の前で長政の手を押し戴き「今回の戦に勝利したる事長政殿のお陰、この家康末代までその恩は忘れぬ」と言い、論功行賞では筑前五十二万石の大封を与えその武勲に報いた。その折に与えた感状に黒田藩に対して末代まで大事にするよう記した。このお墨付きであるが長政は跡継ぎの忠之や家臣がそれにより驕満になることがないようにとそれを秘していたという。筑前黒田藩は長政のおかげで徳川幕府の庇護の下、明治まで筑前の地にて藩を存続することができた。
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